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迷い路

 パンの香ばしい匂いが鼻に抜ける。リーナは小さく息をのみ、ためらうようにひとかじり。


「はい! ジュードさんのお代わりです」


 アンリは上目づかいで微笑み、胸の前でそっと差し出した。ジュードは口元だけで笑い、首筋にひやりと鳥肌が立つ。真夏の空気の中で、そこだけ温度が下がったようだ。


「ありがとう。もう十分だよ」

「遠慮しないでくださいね。たくさん食べて、今日も頑張ってくださいね」


 アンリは微笑みを残して去っていく。空になったリーナの皿には目もくれず、彼女は厨房へ戻っていった。


(もう慣れたけど、ちょっと……これはねぇ)


 そんなリーナの様子に気づいたアデラインが、気遣わしげに声をかける。


「リーナ、パンのお代わりは?」

「ありがとうございます。もう十分いただきました」


 リーナは口元だけで苦く笑い、肩を落として首を振った。

 少し離れた席で、ガレスがパンをかじりながらジュードに身を寄せる。


「なあ、ジュード。あの娘の態度見てらんねぇよ。リーナが気まずいだろ? 宿、変えた方がいいんじゃねぇか?」


 ジュードは、パンをちぎる手を止め、こめかみを押さえた。


「わかるけどさ……ここ、騎士団御用達の宿だから。そう簡単には動けないんだよ」


 ガレスがアンリの方をちらりと見やる。


「でもよ! あの娘がずーっとお前にベタベタしてるから、リーナが気まずそうだろ。パンのお代わりすら言い出せねぇっての」


 ジュードは、食堂の他の客に聞こえないよう、さらに声を潜めて応じた。


「ずっと見られてる感じがして、俺も居心地が悪いんだ。近すぎて、ぞわっとするし」


 ガレスは苦笑し、肩をすくめた。


「モテる男はつれーな」


 ジュードは言葉を切り、無言でちらりとリーナを見やった。


「……リーナに、これ以上気を使わせるのもな」


 二人のひそひそ声を聞かないふりをしながらも、リーナはスープをひと口飲み込んだ。


(大丈夫なのに……)


 ふう――みんなに気を遣わせていると思うほど、息が重くなる。


 ジュードは気を取り直すように声のトーンを戻し、地図を広げる。


「さて、今日の予定を確認しよう」


 テーブルに広げられた紙には、港町ペスカードの複雑な通りが細かく描かれている。


「朝市で一旦分かれて、それぞれ調査に行く。リーナはマルクさん夫妻を探すんだったな?」

「うん。前に手紙をもらったから、それを頼りに探してみるよ」


 リーナは懐から大事そうに手紙を取り出す。そこには、マルクとアンナの息子・シモンが、漁師アズールと結婚し、港近くに住んでいると書かれていた。


「一人で大丈夫か? 港のあたりは広いし入り組んでるからな」


 ジュードが心配そうに眉をひそめる。


「大丈夫! もし何かあったら、すぐ知らせるから」


 リーナは胸を張り、できる――と言わんばかりに歯を見せて笑った。


 ***


 ペスカードの朝市は、想像以上の熱気に包まれていた。早朝に港へ戻った漁船から、新鮮な魚が次々と運び込まれ、潮の香りと人々の声があふれている。アードベルでは見たこともないような海の幸が、所狭しと並んでいた。


「うわあ、これ何て魚だろう?」


 ルークが、青い光を放つ魚が並んだ台に身を乗り出した。


「タイの仲間ですね。潮の流れが速いところにいる魚だから、体つきがしっかりしているんです」


 シリルはレンズの反射を受けながら、博識ぶりをさらりと見せてみせた。


「俺たちはここで情報収集する。リーナ、気をつけて行ってこいよ」


 ジュードが声をかけた。


「分かった。またあとでね!」


 リーナは手を振り、港へと足を向けた。


 港に向かうにつれ、石造りの家々がぎっしりと並ぶ住宅街が広がってきた。どの家も似たような造りで、灰色の石壁が潮風にさらされ、海辺の町特有の匂いが漂う。


「この辺り、かな……」


 リーナは立ち止まり、手紙をもう一度開いた。しかし書かれているのはおおまかな場所だけで、家の造りや道の名まではわからない。見渡せば、どの道も同じような狭い路地ばかりだ。


 曲がり角を左へ折れ、さらに右へ進む。気づけば、背後の景色はすっかりわからなくなっていた。


「あれ……?」


 リーナは周囲を見回した。石造りの家々が続き、路地はどれもよく似ている。太陽の位置で方角はなんとなくわかるが、朝市からどれほど離れたのかすら見当がつかない。


「参ったな……」


 小さくため息をつき、人影を探す。だが朝の住宅街はまだ静かで、人通りもまばらだった。

 そのとき、不意に背後から声がかけられた。


「お姉さん、迷子かい?」


 振り向くと、三人の若者たちがゆっくりと近づいてくる。口元は笑っているものの、どこか馴れ馴れしい雰囲気をまとっていた。


「あ、はい……少し道に迷ってしまって」


 リーナはわずかに身を引きながら答える。視線が肌に貼り付き、輪郭を指でなぞるみたいに上下した。


「そりゃ大変だな。なに探してるんだい?」


 背の高い男が近づく。笑いと目つきの温度が合わず、言葉より先に違和感が立つ。


「港の近くに住んでる方を探していて……」

「おお、それならオレたち詳しいぜ」


 別の男がにやりと笑い、リーナの肩に手を伸ばしかけた。


「こっちの路地から行けば近道だよ。案内してやるって」


 男たちがさりげなく、リーナを人通りのない奥まった道へ誘おうとする。ぞわりと肌が粟立ち、耳の奥で小さな警鐘が鳴った。


「いえ、やっぱり大丈夫です。自分で探しますので」


 リーナは踵を引いて角度を変え、間合いを広げた。


「そんなこと言わずにさ。オレら、この辺りじゃ顔が利くんだよ?」


 男の一人がリーナの腕へ手を伸ばしかけたところへ、澄んだ声が響いた。


「ちょっと、そこのお兄さんたち」


 声が路地に落ち、伸びかけた手が止まった。

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