ストーンカウの極上ステーキ
街道沿いの木陰で、馬車が止まった。
昼時を迎え、ちょうど良い休憩場所を見つけたのだ。
「ここで昼食にしよう」
ジュードの言葉に、ガレスが「待ってました!」とばかりに馬車から飛び降りる。
ガレスが火を起こし、アデラインとシリルが食器を準備する中、リーナとロドリックは荷台から主役であるストーンカウの肉を取り出した。
「このストーンカウ肉、どう調理しようか」
ロドリックが、陽光に艶めく霜降りの塊を眺めながら呟いた。
「絶対ステーキ!!」
ジュードが即答する。
「ステーキ良いね! このお肉の美味しさを一番感じられそう」
リーナも興奮を隠さずに応じた。
ロドリックが指二本分ほどの厚みで肉を切り分けていく。
断面には鮮やかな赤が広がり、脂の筋が絹のように光っていた。
「筋切りをしましょうか?」
リーナが包丁を手に取る。焼いたときに反り返り、焼きむらができないようにするためだ。
「火力は十分だ」
ロドリックが火加減を確かめ、鉄のフライパンを火にかける。
切り取った牛脂を滑らせると、パチパチと小気味よい音が弾け、濃厚な脂の香りが広がった。
「いい香りですね」
シリルがうっとりと呟く。リーナが塩を振り、小さな木の容器を取り出した。
「ふふっ、実はコショウも持ってきたんです。少しだけですけど、旅用に」
「コショウだと!?」
ガレスが目を丸くする。
「この肉にぴったりだ」
ロドリックが応じ、リーナはコショウの粒を包丁の背で軽く潰し、パラリと振りかけた。
スパイシーで鮮烈な香りが辺りを満たす。
フライパンが十分に熱されると、リーナが肉を置いた。
ジュウウウッ!
力強い音が辺りに弾け、熱せられた鉄の上で肉が跳ねる。すぐに湯気が立ちこめ、肉の表面はみるみる赤から琥珀色へと変わっていった。甘く香ばしく、野性味を帯びた肉の芳香が、一行の食欲を容赦なく刺激する。
「おおっ!! すげえ音と匂いだな!」
ガレスがごくりと喉を鳴らす。
表面を香ばしく焼き固め、肉の奥深くに潜む旨味を閉じ込める。
肉から溶け出した脂がフライパンで踊るように弾け、美しい焼き色が刻まれていった。
「いい色になってきましたね」
リーナが期待に頬を紅潮させる。
「裏返すぞ」
ロドリックが肉をひっくり返すと、さらに力強い音が響き、芳醇な香りが一気に広がった。
***
「さあ、お待たせしました」
焼き上がったステーキが皿に盛りつけられる。表面は艶やかな焦げ茶色に焼け、ナイフを入れるとわずかに滴る肉汁が琥珀色に輝いた。断面はほんのり桜色で、霜降りの脂が溶け込んで光を帯びている。
「わあ、綺麗ね!」
アデラインが感嘆の声を上げた。
「いただきます!」
リーナが最初の一口を頬張った。
(ふわぁぁ!なにこれ!)
肉はナイフでスッと切れ、口の中でとろけるようにほどけた。噛み締めるたび、熱を孕んだ旨味がじわりと溢れ出し、舌にまとわりつく。脂の甘みはくどさがなく、口の中で香りを残しながら溶けていった。
(美味しい。すごく柔らかくて、口いっぱいにうま味が広がる!)
「見事な肉だ」
ロドリックも満足げに目を閉じ、静かに呟いた。
「石のように頑強な体に、これほどの深いコクと優しい甘みが蓄えられていたとは」
「本当に美味いぞ! これ!」
ガレスが夢中で肉を頬張る。
「脂身も全然しつこくないです!」
ルークも驚きの声を上げた。
「上品な味わいで、いくらでも食べられそうね」
アデラインも頬を緩ませる。リーナは一口一口を大切に味わった。前世で食べたステーキとはまた違う、魔物の肉特有の野性味と霜降りの上品さが絶妙に絡み合い、身体の奥から力が湧いてくるような感覚に満たされる。
「ペスカードでも、こんな美味しい料理を作りたいですね」
リーナがロドリックを見上げると、彼は静かに応えた。
「海の食材との組み合わせも楽しみだな。きっと、新しい発見があるはずだ」
***
満足のいく昼食を終え、一行は再び馬車に乗り込んだ。
「腹もいっぱいになったし、ペスカードまで一気に行くか!」
ジュードが御者席のルークに声をかける。
馬車が進むにつれ、空気が変わった。
草原の匂いが遠のき、独特の塩気を含んだ風が頬を撫でる。
「潮の香りがずいぶん濃くなってきたな」
ガレスが窓を開けて顔を出した。リーナも窓際に身を寄せ、外の空気を胸いっぱいに吸い込む。
潮の香りとともに、遠くからかすかに魚の生臭さや海藻の匂いも混じり合っている。
「あっ!」
ルークが突然声を上げた。
「ペスカードが見えますよ!」
全員が窓の方を向くと、遠くに建物群の輪郭が見えてきた。
「本当だ。あれがペスカードなのね」
リーナの鼓動が高鳴る。
馬車は坂道を下り、港町へと近づいていく。建物はだんだん大きくなり、人々の声や活気ある音が聞こえ始めた。そして──
「うわあ!!」
リーナは声を失った。目の前に、青が果てしなく広がっていた。
陽の光が水面で砕け散るようにきらめき、空の青と溶け合いながら果てしなく続いている。
「これが……海……」
前世の記憶にある海とは違う、圧倒的な生命力に満ちた『この世界の海』が、そこにあった。
「綺麗でしょう?」
アデラインが優しく微笑む。
「はい。こんなに綺麗だなんて」
「港を見てみろよ」
ガレスが指差す方向には、たくさんの船が停泊し、人々が忙しそうに行き交う姿があった。
白い海鳥たちが甲高い声で鳴きながら、港の上を舞い飛んでいる。
「さあ、宿に行くぞ」
ジュードが皆を振り返った。
「明日からいよいよ本格的な調査が始まるからな」
「はい!」
ペスカードでの日々が、今、始まろうとしていた。




