市場探訪・新たな食材を求めて
騎士団の人たちが帰ってから一夜明けた朝、リーナは「アンナの食卓」の厨房で湯気が立つ鍋に向かっていた。
フェングリフの出汁も美味しい。でも、もっと色々な種類があれば――記憶の奥にあるのは、前世で慣れ親しんだ和の味。カツオと昆布を合わせてとった、あの澄んだうま味の黄金色のスープ。今の料理も悪くはないけど、あの味が懐かしくて仕方がない。この国に、そんな食材はあるのだろうか。
店の扉がからんと音を立てて開いた。
「リーナちゃん、おはよう!」
野菜を山ほど抱えたベラが、息を弾ませながら店へ入ってきた。市場で野菜を売る、気のいいおばさんだ。リーナが振り返ると、ベラはリーナの表情を見て足を止めた。
「さっきから顔が難しいわよ? 何か悩み事?」
さすがは商売人だ。リーナは苦笑しながら、出汁に使える新しい食材を探していること、スープに深みを出すためのうま味のある素材が欲しいことを説明した。「うま味」という言葉に、ベラは首をかしげた。
「スープに深みを出してくれるんです。きのこや海藻から染み出してくる、素材の味がぎゅっと濃くなってるもの、というか……」
リーナがそう補足すると、ベラの表情がぱっと明るくなった。野菜を抱える腕を組み直し、嬉しそうに目を細める。商売人が、思いがけない掘り出し物を見つけた時の顔だ。
「市場の奥に、ちょっと変わった店が集まってる場所があるの」
普通の客はあまり行かない一角だが、料理好きなら面白いはずだと、ベラは楽し気に顔を近づけ声を潜めて言った。リーナは即座に案内を頼んだ。ベラは「いいものを見せてあげるよ」とでも言うように、ウインクしてみせた。
リーナはベラに連れられて市場の奥へと足を踏み入れた。
普段の八百屋や肉屋が並ぶ表通りとはまるで雰囲気が違う。薄暗い石畳の通りに入ると、所狭しと並ぶ小さな店舗、漂う香辛料や乾物の匂い――普段の明るい市場とは別世界だった。リーナは思わず足を止め、周囲を見渡す。
「こんなところがあったなんて」
「観光客は知らないけど、料理人や商人はみんな利用してるのよ。掘り出し物だらけだからね」
ベラの言葉通り、最初に訪れたきのこ専門店は、天井近くまで乾燥きのこが吊るされ、濃厚な土の香りが漂っていた。無精髭を生やした中年の店主が、しゃがれた声で声をかけてくる。
「ベラさんと……初めて見る顔だね、いらっしゃい。なに探してるんだい?」
「スープに使えるきのこを探していて……味の濃いものがあれば、ぜひ」
店主は「味が濃い物ねぇ」とぼりぼりと顎をさすり、店の奥から無造作に籠を持ってきた。中には、泥がついたままの茶色いきのこが転がっている。
「これはツチタケって言ってな。土の中で育つから、土臭いって嫌われてる。でも乾燥させると味が濃くなるんだよ」
リーナがじっとそれを見ると、視界に文字が浮かぶ。
『ツチタケ』
『品質:中級』
『特性:乾燥させると旨味が増加』
『用途:出汁、スープのうま味強化』
「これです! 乾燥させれば、素晴らしい出汁になるはずです。あるだけ全部、ください!」
声が上ずった。店主が目を丸くして、在庫が掃けるなんて滅多にないと興奮しながら、慌てて在庫を取りに行く。店主にお代を渡した後も、リーナはツチタケの入る袋から目を離さなかった。これは間違いなく、和食の柱の一つとなる素材だ――干し椎茸の代わりになる。
次に案内されたのは、海産物を扱う小さな店だった。潮の香りが漂い、木桶に盛られた魚や貝が並ぶ店先。その隅で、ひっそりと網に引っかかっていたような海草が山積みにされていた。
「すみません、あれって何ですか?」
リーナが足を止めて指差すと、店主の男が鼻で笑った。
「それ? ウミクサっていう海の雑草だよ。磯臭くて料理になんかならない。捨てる手間が惜しいから置いてるだけさ」
リーナは目を凝らして食材を観察する。
『ウミクサ』
『品質:中級』
『特性:乾燥・塩抜き後、旨味が凝縮される』
『用途:出汁。スープのうま味強化』
リーナの口元が、勝手に緩んでいくのを止められなかった。
「これ、全部ください!」
リーナの真剣な表情に、店主は圧倒されたように黙り込み、無言で海草を詰め始めた。
市場を一通り回った帰り際、ベラが古びた八百屋の片隅を指差した。白く長い野菜と、黒い根菜が、店の端にひっそりと置かれている。
「これはシロネギ。白い部分は甘くて美味しいんだけど、扱いづらくてあまり人気がないの」
『シロネギ』
『品質:良質』
『特性:加熱で甘みが増す』
『用途:薬味など』
「こっちは黒大根。辛みが強すぎて敬遠されがちだけど、火を通せば甘くなるのよ」
『黒大根』
『品質:上級』
『特性:加熱で辛味が和らぎ、甘味が引き立つ』
『用途:すりおろして薬味に。スープや煮物にも』
リーナは迷わず両方を購入した。八百屋のおじさんが「売れた!」と叫んで跳ね上がるほど喜び、野菜を詰めてくれた。
ベラと別れ、「アンナの食卓」に戻ったリーナは、仕入れた食材を広げ、手際よく準備に取りかかった。
まずはツチタケ。乾いた布で傘の土を払い落とす。石突きを切り落とし、乾燥を早めるため薄くスライスしてザルに広げた。干し椎茸のように香りが変わるのを期待してのことだ。
次にウミクサ。まずは塩水でよく洗って泥や砂を落とし、きれいに整えたら、紐で束ねて軒下に吊るす。乾燥させることで潮臭さが抜け、うま味がぎゅっと凝縮されるのだ。
ほんのりと陽にあたって、表面が乾き始める頃には、もう海草特有のぬめりも消えていた。
「リーナちゃん、何してるの?」
厨房に顔を覗かせたアンナが、興味深げに声をかけてきた。
「新しい出汁用の食材を試してるんです。きっと今までにない味になると思うんですよね」
夕方、日が傾くころ。しっかり乾燥させたツチタケからは、深い旨味の香りが立ち上っていた。干す前の土臭さは跡形もない。
「お? 良い感じじゃない?」
リーナは鍋に水を張り、ツチタケを静かに浮かべて火にかける。やがて部屋中に、深く落ち着いた香りが満ちていく。ふぅっと息を吹きかけ、一口飲んでみた。
「すごい! やっぱりしいたけの出汁だ……」
続けて、軽く乾燥させたウミクサを水に戻し、弱火でゆっくりと煮出す。すると、鍋からは柔らかく上品な潮の香りが広がった。そして、二つの出汁を合わせた。
ひとくち含むと、口の中に広がる複雑で奥深いうま味。塩味ではなく、素材そのものが持つ力強くも繊細な味。懐かしい味――記憶の中の、日本の朝。リーナの目に、涙が浮かんだ。
「これだ……何度も味わった、あの懐かしい味……」
リーナは出汁の仕込みを終えると、もうひとつの準備に取りかかった。
手にしたのは、市場で手に入れた干した白身魚。水で戻し、骨を丁寧に取り除いて細かく叩く。目を凝らして視てみたが、おそらく前世のタラに似た魚だ。身がしっかりしてるから、すり身にできそう。
細かくした魚を鉢に入れ、塩をひとつまみ。ゆっくりと手のひらで押しつぶすように練り続けると、ばらばらだった身が次第にまとまり、粘りを帯びてきた。
「よし、このまましっかり練れば……」
ねっとりとしたすり身に、香味づけとして刻んだシロネギを加える。手のひらで丸めながら、リーナは合わせ出汁の入った鍋を火にかけた。ツチタケとウミクサのうま味が溶け込んだ黄金色の出汁が、静かに温まっていく。
湯気が立ち始めたところで、リーナはすり身を団子状にまとめ、出汁の中へそっと落とした。一つ、二つ、三つ――表面が白く固まり始め、湯の動きに合わせてゆっくりと浮かび上がってくる。
「うん、崩れてない」
つみれが出汁を吸い込み、ふっくらと膨らんでいく。リーナは火を弱め、静かに煮含める。
出汁につみれの旨味が溶け出し、つみれには出汁の味が染み込んでいく。鍋の中
で、二つの味わいが溶け合っていた。
「できた……」
リーナは椀に出汁とつみれを盛り付けた。黄金色の澄んだ汁に、白いつみれが浮かぶ。深く優しい香りの湯気がゆっくりと空中で散っていく。
これを、一人で食べるのはもったいない。
「マルクさん、アンナさん! ちょっといいですか?」
リーナが声をかけると、二階からマルクとアンナが顔を出した。
「どうしたんだい、リーナちゃん?」
「試してもらいたい料理があるんです。よかったら、味見してもらえませんか?」
二人は顔を見合わせ、興味深そうに厨房へ入ってきた。リーナは三つの椀に出汁とつみれを盛り付け、それぞれに手渡す。
「これは……スープかい?」
マルクは椀を受け取り、琥珀色の液体を覗き込む。
アンナは椀から立ち上る湯気を吸い込み、普段慣れ親しんだスープとは明らかに異なる複雑な香りに目を細めた。
「なんだか、いつものスープとは違う香りね」
「はい。新しい出汁を使ってるんです。ツチタケとウミクサで作った、合わせ出汁で」
リーナがそう説明すると、マルクが眉を上げた。
「ツチタケ? あの土臭いきのこか?」
「乾燥させると、すごく良い香りになるんです。ウミクサも、塩抜きして乾燥させたら……まあ、とにかく飲んでみてください」
三人は顔を見合わせ、ほぼ同時に椀を口元へ運んだ。
リーナが一口含むと、口の中に広がる懐かしい味。ツチタケの深い旨味と、ウミクサの優しい潮の香り。そこに白身魚のつみれが加わり、ふっくらとした食感と淡い甘みが溶け合う。
マルクが、動きを止めた。椀を持ったまま、じっとリーナを見つめている。
「……これは」
アンナも息をのんだ。もう一口、もう一口と、夢中で出汁を飲んでいる。
「なに、これ……こんなに優しいのに、ものすごく深い味……」
「スープに塩は入れておらんのだろう? でもちゃんと味がする。それでいて、雑味が一切ないのが不思議じゃ」
彼はつみれを口に運び、目を閉じ、ゆっくりと噛みしめる。マルクが椀を見つめながら、ゆっくりと言葉を継いだ。
「リーナちゃん、これは……すごいものじゃよ」
リーナは二人の笑顔を見つめた。彼女の知る「和」の味は、この国で受け入れられる――その手ごたえを掴んだ。
「ありがとうございます。でも、これはまだ試作です。明日のお昼に、ちゃんとした形でお客さんに出したいんです」
「そうかい……楽しみじゃよ。お客さんたちも喜ぶはずじゃ」
マルクは椀を空にすると、満足げに息を吐いた。アンナも頷いて、つみれの最後のひとつを口に運ぶ。
「絶対に喜ばれるわ。こんな味、初めて」
リーナは二人の笑顔を見つめながら、照れくさそうに笑った。
翌朝、リーナは誰よりも早く厨房に立ち、仕込みを始めた。
フェングリフの肉と黒大根を合わせ出汁で煮込み、醤としょうがで味を調える。部屋中に香ばしい香りが広がった。昨夜作ったつみれは、温めた出汁に入れてシロネギを散らす。優しい潮の香りと山の香りが重なった。
昼の営業が始まると、常連のトムがいつもの席に座った。
「今日は新しい料理を試してるんです。よかったら食べてみてください」
リーナが運んできたのは、煮物とつみれ汁の二品。トムは目を丸くした。
「おお、今日は豪華だな」
まずはつみれ汁を一口。トムが椀を口元へ運ぶと、動きが止まった。スプーンを持ったまま、じっと汁を見つめている。
「……なんだこれ。今までのスープとは全然違う」
「新しい出汁を使ってるんです。干したツチタケとウミクサを合わせて」
「泥臭いキノコ」と「磯臭い雑草」というトムの記憶が、目の前の黄金色のスープによって塗り替えられていく。トムはリーナの説明を聞きながら、もう一口、また一口と夢中で汁を飲んでいる。
「素材からの味がこれでもかって来るな……すごいな、これ」
続けて、煮物を口に運ぶ。黒大根をフォークで刺し、じっと見つめてから口に入れた。
「黒大根って、こんなに甘くなるのか! それに、この肉……フェングリフだよな? 唐揚げとまったく違う味だ」
店内のあちこちからも、感嘆の声が上がりはじめていた。
「このスープ、すごく優しい味……でも、全然物足りなくない」
「黒大根、こんなに美味しいものだったなんて」
「つみれがふわふわで、口の中でほどける……」
リーナは厨房から店内を見渡しながら、希望を感じた。この反応なら、色々な和食を作っても受け入れてもらえるかも。もっとたくさんの人に、この味を知ってもらえる。
忙しい昼の営業が落ち着いた夕方、ベラが店に顔を出した。
「リーナちゃん、どうだった? 市場の戦利品は」
「大成功でした! 出汁も煮物もつみれ汁も、大好評で」
リーナは試しに合わせ出汁を小さな器に注いで差し出した。ベラは一口飲んで、目を丸くする。
「えっ……これ、本当にあの地味な食材で作ったの? 信じられない」
「隅に追いやられてたのに、こんなお宝だったなんて……他にも隠れてるかもしれませんね」
ベラは器を置くと、嬉しそうに笑った。
「あの店の連中、きっとびっくりするわね。今度一緒に報告しに行きましょう!」
リーナも喜びを隠せず、明るい声で「ぜひ!」と応じた。
読んでいただきありがとうございます!
今日のごはん、煮物にしようかな。優しい出汁の香りって、なんだか心まで温まりますよね。




