不器用な看病
「夏至祭以降、街が活気づいてますね」
シリルが歩きながら呟く。夕方の巡回は、いつもなら穏やかに過ぎる時間のはずだった。
「そうだな。いい祭りだったからな」
ジュードは短く答え、商業区域を回りながら、店じまいを始める商人たちに声をかけていく。だが、その平和は唐突に破られた。
「ジュードさん!」
息を切らせたマリアが向こうから駆けてくる。普段は落ち着いている彼女が、すっかり取り乱していた。
「大変!リーナが倒れたの!」
ジュードの思考が真っ白になる。
「何だって?」
「今、私の店で意識を失って。医者を呼ばなきゃ!」
マリアの声が震える。ジュードはすぐに状況を飲み込んだ。
「落ち着いてマリア。シリル、すまないが医者を呼んでくれ。俺はマリアと行ってくる」
「了解です!」
シリルが駆け出すのを見送り、ジュードはマリアとともに乾物屋へ急いだ。
***
乾物屋の奥の部屋で、リーナは床にうずくまるように小さく身を縮めていた。普段の活気ある姿が嘘のように、顔色は悪く、額には玉のような汗が浮かんでいる。
「リーナ」
ジュードは名を呼びながら、彼女を抱きかかえるようにしてベッドへ運ぶ。こんなに弱々しいリーナを見るのは初めてだった。
「少し具合悪そうだったけど、立ち上がろうとしたら」
マリアが必死に説明しながら、濡らした布をリーナの額に当てる。間もなく、シリルとともに医者が到着した。
「失礼します」
医者はすぐにリーナの脈を取る。ジュードはただそばで立ち尽くすしかなかった。
「脈が速いですね。目の下のクマも酷い。このところ、無理を重ねていたのでしょう」
診察が続く間、ジュードの胸には苛立つような無力感が燻っていた。やがてリーナがうっすらと目を開ける。ジュードはすぐに膝をつき、小さな笑みを浮かべる彼女を見つめた。
その後、ジュードはリーナを背負い、アンナの食卓へと急いだ。リーナが安らかに眠りについたのを確認してから、騎士団詰所へ戻る。
***
「で、リーナの容体はどうなんだ?」
詰所へ戻ると、バルトロメオ団長がすぐに声をかけてきた。シリルからすでに報告を受けていたらしい。
「過労で、一週間の安静だそうです」
「それは大変だな。しばらく看病が必要だろう」
「はい。でも」
ジュードは言葉を詰まらせた。看病してやりたい。しかし、自分には料理も家事もろくにできないのが歯がゆい。
「何か困ったことがあれば遠慮なく言え。我々も力になる」
団長の励ましに、ジュードは深く息を吐き、意を決して厨房へ向かった。
「よし、とにかくやってみるしかない」
騎士団の厨房には基本的な食材が揃っている。パン、米、肉、卵、野菜。
「病人には、スープとかがいいのかな」
見よう見まねで包丁を握り、ピーマン、ナス、キュウリを切り始めた。
「いてっ!」
包丁が指をかすめ、血が滲む。慌てて止血して再開する。
「ええと、まず炒めるんだっけ?」
油をひいた鍋に野菜を放り込む。
「あつっ!」
油が跳ね、指先を火傷する。
「あれ? 焦げ臭い」
鍋底から焦げた匂いが漂い始め、慌てて水を注ぐ。だが、すでに鍋の中は真っ黒だった。
「くそっ! こんなはずじゃ」
一口すくって味見をするが、焦げの苦味ばかりで味がしない。
「ダメだ。全然ダメだ」
ジュードは鍋の前で肩を落とした。
「ジュード? 何をしているんだ?」
振り向くと、ロドリックが厨房に入ってきた。
「ロドリックさん」
「随分と香ばしい匂いがしているが」
ロドリックが鍋の中を覗き込み、渋い顔をする。
「リーナの看病用にスープを作ろうと思ったんですが」
「なるほど。それで料理に挑戦したのか。心意気は立派だが」
ロドリックは黒く焦げ付いた鍋を見て、ため息をついた。
「これは流石に食べられんな。材料も惜しい」
「すみません。俺には無理みたいです」
ジュードはうなだれる。
「落ち込むな、ジュード。料理は思っているより繊細なものだ。誰でも最初はそうだ」
ロドリックは優しく笑った。
「でも……リーナに何もしてやれないのが、悔しいんです」
「そうか」
ロドリックは少し黙り込み、やがてゆっくり言った。
「よし、明日の朝は私が雑炊を作ろう。それを持って行けばいい」
「本当ですか?」
「ああ。以前、リーナさんから病人食について教わったことがある。雑炊なら消化も良いし、体にも優しいそうだ」
ジュードは深々と頭を下げた。
「ありがとうございます、ロドリックさん」
「気にするな。リーナさんには、私も世話になっているからな」
***
翌朝。約束通りロドリックが厨房に立っていた。
「まず、出汁だ。ツチタケとウミクサを使う」
出汁が煮立つと、やさしく深い香りが広がる。ジュードはその香りに目を見開いた。
「次に調味料だ。塩はほんの少しずつ。醤も控えめにな。生姜のすりおろしは香り付けに少しだけ」
ロドリックの動きは無駄がなく、包丁の音も軽やかだ。
「沸いたところでご飯を入れる」
「卵はここが難しいんだ。上から円を描くように流し入れて、火を弱める」
卵がふわりと花のように広がり、雑炊の表面にやわらかい黄色が彩りを添える。
「最後に刻んだシロネギを散らして、完成だ」
雑炊から湯気が立ち、優しく甘い香りを帯びていた。
「すげぇ……」
「経験の差だな。だが、料理は心をこめるのが一番大事だ。今日は私が作ったが、君の想いもちゃんとこの雑炊に込められている」
「っ! ありがとうございます!」
ジュードは布で包んだ鍋を両手で大切に抱えた。
***
朝の街を急ぎ足で歩き、ジュードはアンナの食卓の前でマリアに出会った。
「ジュードさん、おはようございます!」
「おはよう、マリア」
「リーナまだ起きてないみたいです」
「そっか……これ、病人食を作ってもらったんだ」
「わっ! リーナ、絶対に喜びますよ!」
ジュードはマリアと一緒にリーナの部屋へ向かった。寝息を立てるリーナの横で、鍋から雑炊をよそい、机の上に置く。
「料理って、こんなに大変なんだな」
リーナが日々してきたことを思い返しながら、ジュードは胸の奥で新たな感謝を噛み締めた。リーナがかすかに目を開ける。
「この匂いは?」
「お? 起きたか。雑炊を作ってもらったんだ」
「ありがとう」
弱々しいが、確かに笑顔を見せるリーナ。ジュードはほっと息をつき、その笑顔を心に刻んだ。明日からも、きっと自分にできることがあるはずだ。そう思いながら。




