料理が繋ぐ絆
夏至祭の翌朝。
ブランネル王国騎士団本部の会議室には、夏至祭協議会のメンバーが顔をそろえていた。窓の向こうには片付けが進む噴水広場が遠くに見え、大きな机の上には整然と書類が並べられていた。
バルトロメオは椅子に深く腰かけ、静かに微笑んだ。
「皆……この三日間、本当によくやってくれた。改めて、今回の夏至祭の成功を祝おう」
リーナは、こうした正式な場での報告にまだ慣れず、背筋を伸ばして席についた。
マルセロが手元の書類をめくりながら声を上げる。
「それでは、売上の報告をいたします。美食エリア全体で三日間の合計は七千五百食を提供し、すべて完売いたしました」
「七千五百食……」
その数は、この街の人々が新しい食文化を受け入れた証のように思えた。リーナは一瞬、言葉を失う。
「来場者数も予想を大幅に上回り、近隣の街からも多くのお客様が訪れました。売上も、当初の想定以上です」
「現場の運営も最終日には驚くほどスムーズだった。職人たちの手は、日を追うごとに確かになっていったしな」
「食材の確保も問題なかった。魔物肉の需要が増えて、冒険者たちも張り切っている」
各部門から、次々と成果が語られていく。リーナは、この三日間が確かに実を結んでいたのだと実感した。
バルトロメオは書類から視線を上げた。
「そして面白いのは、美食エリア以外の屋台でも、リーナの技術を取り入れた料理が出ていたことだ」
「出汁の香りが街のあちこちから漂い、ラー油を効かせた辛いスープに来場客が舌鼓を打っていました。街全体が、これまでになかった活気に満ちている。これは想定していなかった成果です!」
自分が教えた技術が、街の食文化を豊かにしていく。リーナの頬に、自然と笑みがこぼれた。何にも代えがたい喜びだった。
「で、これからどうする? 来年はもっと大規模にやるのか?」
「それを話し合いたい。今回の成果を踏まえ、アードベルを美食の街としてさらに発展させる具体的な計画を立てたい」
「まず、常設の美食エリアについてです。噴水広場以外の場所で屋台を出している人々にも、リーナさんの技術を学んでもらうのはどうでしょうか?」
「それはいいと思います。私が知っていることは全部伝えられます」
「全部……か。リーナ、職人ってのは技術を簡単には教えないもんだぞ? 秘伝ってやつもあるだろう」
「でも……」
「あんたが損するんじゃないかって話だよ。教えた相手が、いずれあんたの商売敵になるかもしれない」
リーナは少し考え込んだ。確かに、料理人は自分の技術を簡単には明かさない人が多いのかもしれない。でも――
「私は……この街の料理が全体的に美味しくなる方が嬉しいです。それに技術を教えたって、みんなそれぞれ違う料理を作るはずだから」
「素晴らしい考えですね。リーナさんの技術が土台になって、それぞれの職人が自分の個性を加えていく。そうすれば、街全体が豊かになる」
「まったく、お人好しだな」ガードルートが呆れたように笑う。「……まあ、そういうところが、この街に必要だったのかもしれないが」
リーナには、彼らが自分の選択を尊重してくれているのが伝わってきた。
「ありがとうございます!」
「そうだ! 料理教室をもっと大きくするのはどうだい?」
「今は週二回、数人ですが……」
「商業ギルドの集会場を貸し出せます。三十人規模での運営が可能です」
三十人。リーナの目が丸くなる。
「いや、逆に人が多い方が、お互いに教え合ったり相談できるだろう。それに、活気が出るしな」
会議室にいた全員の熱量が、波のように押し寄せてきた。皆の期待を乗せた言葉が、彼女の不安を打ち消していく。
「技術を学んだ人たちが、それぞれ自分の屋台で活かせば、街全体の料理のレベルが上がります。頑張ります」
職人育成の方針、来年の料理コンテスト開催、そして他都市への情報発信についても議論が続いた。マルセロは商業ギルド、ギルバートは各地に拠点を持つ冒険者ギルド、さらに職人組合の情報網を活用するという、具体的な計画が次々と固まっていく。
リーナは小さく口を開いた。
「私にも何かできることありますか?大きな計画や運営はちょっと難しいかもですけど……」
「リーナ、あんたは料理のことだけ考えてればいいんだよ。新しい料理を作って、調理法を教えてくれる。それで十分すぎる」
「そうですよ。リーナさんは料理の専門家として、技術の面で街を支えてくれればそれでいいんです。大きな計画や運営は、私たちが責任を持ちますから」
「適材適所だ」
リーナの肩から、すうっと力が抜けていった。
「ありがとうございます。それなら、新しい料理を考えて、みんなに伝えられるよう頑張ります!」
バルトロメオは立ち上がった。
「よし、方針は決まった。常設屋台への技術指導、料理教室の拡大、各ギルドを通じた情報発信。そして来年の夏至祭では料理コンテストを開催する」
会議室は、彼らの決意と高揚感に包まれていた。
会議が終わり、リーナが騎士団本部の玄関を出ると、ジュードが待っていた。
「お疲れ、リーナ。会議はどうだった?」
「うん、すごく有意義だったよ。アードベルを美食の街にする話が、更に発展した感じ!」
「おお!」
「料理教室も拡大するし、来年は料理コンテストもやるんだって」
「料理コンテスト! ……よし、俺も出るか!」
「ジュードが? 料理できるの?」
「……できない」
リーナはくすっと笑う。
「それなら、これから教えてあげようか? リーナ先生が」
冗談めかした口調の裏で、彼女の内心は少し照れていた。
「マジで? それ、結構ありがたいかも。包丁で指切りそうだからさ」
「も~……危なっかしいんだから」
呆れながらも、リーナの頬は熱くなる。からかわれているとわかっているのに、こんなふうにジュードと話していると、肩の力が抜けて自然体でいられる自分がいた。騎士団本部での緊張とは正反対の、気楽で穏やかな空気が心地よかった。
「でも、教えるのは楽しいかもしれない」
「だろ? 俺、ちゃんと真面目に習うよ。たぶんだけどさっ!」
ジュードはおどけた調子で笑い、ふたりは並んで歩き出した。
噴水広場の方では片付けの最終作業が進んでおり、昨日までの喧騒が嘘のように静まり返っている。
「ここに来たときは、こんなに大きなことをやるなんて想像もしてなかったなぁ」
「すごくうまくいったよな。リーナの料理の技術があったからこそだ」
「みんなで協力したからだよ。職人さんたちも、ボランティアのみんなも、協議会の人たちも」
リーナは振り返り、騎士団本部の窓を見上げた。
「これから、もっと忙しくなりそうだな」
「うん。でも、楽しみ」
リーナも同じように青空を見上げた。雲ひとつない澄み切った空が、どこまでも広がる。
「新しい料理も作りたいし、もっとたくさんの人に技術を教えたい」
「俺も手伝うよ。何でも言ってくれ」
「ありがとう、ジュード」
そう言いながら、リーナはふと思った。ジュードは冗談ばかり言っているけれど、いつもこうやって自分を気にかけてくれる。会議の後に待っていてくれたのも、疲れていないか心配してくれたからだろう。言葉にはしないけれど、そういう優しさが彼にはあった。
「でも、まずは今日はゆっくり休もう! 間ずっと忙しかったから」
「そうだな。どこかでのんびりお茶でも飲むか?」
「いいね」
ふたりは肩を並べ、ゆっくり歩いていく。
広場の向こうから、いくつかの屋台が営業を始める音が聞こえてきた。昨日までの祭りの熱気とは違う、穏やかで日常的な空気だ。
しかしリーナには、はっきりとした手応えが芽生えていた
(これから、どんな料理を作ろうかな)
次々と浮かぶアイディアに、心が弾む。
(来年の夏至祭は、今年よりもっとすごいものにしたい)
青空が眩しく、未来が果てしなく広がって見えた。
夕方になると、「アンナの食卓」では久しぶりに静かな時間が流れていた。
リーナは客席側のカウンターにノートを広げ、新しいレシピの構想を書き込んでいる。
「そうだ……あの調味料を使って……」
小さくつぶやいていると、店の扉に取り付けられた鐘がからんと鳴った。
「いらっしゃいませ」
顔を上げると、トムたち見慣れた常連客が立っていた。
「リーナちゃん、お疲れさま! 夏至祭、すごかったね!」
「ありがとうございます。今日は何か食べたいものありますか?」
「お任せで! でも、新しい料理があったら、それも食べてみたいな」
「実は、ちょうど新しいアイディアを考えていたところなんです」
「お、新作!? いいね! あの夏至祭みたいに、またみんなをびっくりさせてよ!」
「それ、楽しみだな!」
トムが身を乗り出すと、周りの客も声をあげる。店内に笑い声と、彼女を包むような温かい期待が満ちた。
リーナは心が温かくなった。
「じゃあ……ちょっとお待ちください。作ってみますね」
厨房に戻りながら、リーナは静かな決意を胸に固めた。
(これからも、美味しい料理で、もっとたくさんの人を笑顔にしたい)
夕陽が店内を優しく照らし始め、新しい料理の香りが、湯気とともに店内に漂っていった。




