騎士団、魔物料理に驚愕す
唐揚げを初めて作った日から3日。今や『アンナの食卓』では、リーナの魔物料理が看板メニューとなっていた。
「唐揚げ、今日も頼むよ!」
「私も!昨日のが忘れられなくて!」
昼の店内は今日も活気にあふれている。常連のトムやベラが次々と席につき、キッチンからは香ばしい匂いが漂っていた。
「はい、お待たせしました!」
リーナが手際よく揚げた唐揚げを皿に盛る。きつね色に輝く衣からは、カリッとした食感を約束する音が弾け、醤の香ばしい香りが鼻腔をくすぐる。中の肉はしっとりとジューシーで、熱々の湯気が立ちのぼる。
「うんめぇぇぇ!!」
トムが一口頬張るなり、目を丸くして叫んだ。
「この味、クセになるわ……。魔物なんて信じられないくらい!」
「ホントに。こんなの、家じゃ作れないよ」
嬉しそうな客たちの反応を背に、リーナは片隅に置いたフェングリフの骨を見つめる。もとは胸肉が中心だったが、解体業者から届いた部位の中には軟骨や骨も多く含まれていた。
「この骨……何かに使えないかな」
目を凝らすと、またあの浮かび上がる不思議な文字が現れた。
『フェングリフの骨』
『品質:良質』
『用途:出汁、スープストックに最適』
「出汁……!」
祖母の店では鶏ガラでスープを取っていた。出汁は料理の『土台』だ。だが、この世界ではそういう概念を聞いたことがない。
「試してみよう」
* * *
思い立ったらすぐ行動。昼の営業が終わると、リーナは大鍋に骨を詰め、水をたっぷり注いで火にかけた。
「骨を煮るって、変わったことするのねぇ」
アンナが興味深そうに覗き込む。
「はい。もしかしたら、美味しいスープが取れるかもしれません」
かまどに火をつけてしばらくすると、鍋の中からじわじわと湯気が立ち、色は透明からやや白く濁っていく。ほんのり漂い始めた香りは、まろやかで、どこか懐かしい匂いだった。
「……あら、いい匂い」
「ですよね。脂っこくなさそうなのに、なんだか深みがある感じがして」
じっくり1時間ほど煮込んだあと、骨を取り出し、スープを濾してみる。ほんのり琥珀色の透明な液体は、澄んだ光を反射して美しい。
「よし、飲んでみよう……」
リーナがそっと口に含むと、その瞬間、まるで身体の芯に沁み渡るようなやさしい旨味が広がった。
「……美味しい。鶏ガラスープより上品で、雑味がない……」
塩も醤も加えていないのに、しっかりと味がある。まさに出汁。
「リーナちゃん、そんなに驚いて……?」
「アンナさん!ちょっと飲んでみてください!」
小さなカップにスープを注いで差し出す。アンナが一口含んだ瞬間、ぱっと目を見開いた。
「これ、すごいわね……! 透明なのに、こんなに旨味が詰まってるなんて」
「骨を煮ただけなのに、不思議ですよね」
「今までのスープとは全然違うわ……こんなの初めて」
この世界ではスープといえば具だくさんが常識。透明な液体に味があるなど、誰も思いもしない。
「これを使えば、もっと美味しい料理が作れそうです!」
そのときだった。
「おーい、リーナ!」
外から声がかかった。
ジュードが顔を出し、にやりと笑う。
「今夜さ、うちの騎士団の仲間連れて来るって言ってたろ?今日、ほんとに来るからな!」
「えっ、あの話……本気だったの!?」
「もちろん。ちゃんと『すげえの食わせる』ってハードル上げてるからな!」
「それはまた……!」
リーナは苦笑しながらも、心のどこかがワクワクしていた。
(なら――今夜は、この出汁も披露しよう)
* * *
夕方、空が茜色に染まり始めた頃、「アンナの食卓」の扉が勢いよく開いた。
「よっ、リーナ!連れてきたぜ!」
陽気な声と共に現れたジュードの後ろから、個性的な面々が次々と入ってくる。
「いらっしゃいませ。本日はようこそ」
最初に現れたのは、スラリとした体躯に金髪をなびかせた人物。長いまつ毛と整った顔立ちは、一見すると女性に見えるが、低めの声と喉仏が男であることを示していた。
「アデライン・ローレンスよ~。ジュードから聞いて楽しみにしてたの」
優雅な仕草に、どこかオネエの雰囲気を纏っている。
次に入ってきたのは、屈強な体格の大男。
「ガレス・フォックスだ!腹減ったぞ!うまいもん食わせてくれ!」
明るく豪快な笑い声が店内に響き渡る。
3人目は、細身で理知的な雰囲気を持つ青年だった。眼鏡の奥に知的な光を宿し、淡く口元を引き結んでいる。
「シリル・ストーンです。魔物の生態について調査しています。……正直、興味津々です」
そして最後に、やや緊張気味の若者が恐る恐る店内に足を踏み入れた。
「あっ、ぼ、僕はルーク・ハートウェルっていいます。よろしくお願いします!」
人懐っこい笑顔の奥に、まだ若さが残る。真面目そうな青年だった。
「リーナと申します。どうぞごゆっくりお過ごしください」
「魔物料理って……ホントに食えるのか?」
ガレスが眉をひそめる。
「俺は信じてないぞ? ジュードが騒いでたけどさ」
「ま、見た目がどうであれ、美味しいなら問題ないのよ~」
アデラインが優雅に髪をかき上げる。
「フェングリフの生態は把握していますが、食用になるとは意外です」
シリルが興味深そうに観察するような視線を向ける。
「ぼ、僕もちょっと……こわいですけど、楽しみです!」
「では、腕によりをかけてご用意しますね」
* * *
リーナは厨房へと姿を消し、すぐに調理に取りかかった。
揚げ鍋に火を入れ、醤と生姜、にんにくで漬け込んでおいたフェングリフの胸肉を1枚ずつ丁寧に衣にくぐらせる。
ジュワァ……ッ!
油に落とした瞬間、黄金色の泡が立ち、香ばしい香りが立ち上がる。カリカリに揚がった衣の奥に、旨味たっぷりの肉汁が閉じ込められていく。
「この音……たまらんな!」
厨房の外からガレスの声が飛んでくる。
出汁はすでに温め直し、澄んだ香りが湯気とともに店内に満ちる。
さらにムシキを取り出し、野菜の準備にかかる。キャベツ、人参、玉ねぎを彩り良く切り揃え、蒸気が上がる層に丁寧に並べる。ふたを閉めると、やがて素材の甘い香りがふんわりと立ち上った。
最後に、蒸し野菜用のタレ――醤にすりおろしたニンニクと香味油を加え、旨味の詰まった小皿を仕上げる。
「お待たせしました!」
まずは唐揚げ。黄金色に揚がったそれは、見るからにカリカリと音を立てそうな衣をまとい、皿の上で湯気を上げていた。
「これが魔物……?」
ルークがフォークを手に取り、一口。
「……っ!!」
目を見開いたまま、しばし固まる。
「うめぇぇぇ!! なんだこれ、鶏肉よりジューシーで、香りがすげぇ!」
ガレスが豪快に頬張る。衣のサクッとした食感の直後、ふわりと広がる醤の香ばしさと肉の旨味。脂っこさはなく、口の中で旨味だけが残る。
「香ばしさとジューシーさのバランスが絶妙ね~」
「これは……まさに料理として完成されています。下味に使ったという『醤』、非常に興味深いです」
次に出されたのは、澄み渡る琥珀色のスープ。光を反射する透明感と、ふんわり漂う柔らかな香りに、全員が静かに息を呑んだ。
「これは……何ですか?」
「フェングリフの骨を煮込んで出汁を取ったものです」
恐る恐る口をつけたシリルの眉が跳ね上がる。
「……なんという味わい深さ。透明なのに、この深み。これは画期的な発見です!」
「まるで、優しい手で包まれてるみたいな……そんな味だわ~」
アデラインがうっとりと瞳を閉じる。
ルークも静かにうなずいた。
「すごく……落ち着く味です。体の奥から温かくなるような……」
そして最後に、彩り鮮やかな蒸し野菜がテーブルに並べられた。
「この色……どうやって?」
「ムシキという東方の蒸し器で調理しました。素材の味を壊さず、引き出す調理法なんです」
醤の特製ダレにつけてひと口。人参は甘みがぐっと引き立ち、キャベツはシャキッとした歯ごたえを残したまま、優しい旨味を纏っている。
「な、なんだこれ……野菜だけなのに、ごちそうだ!」
「このタレ、万能ね~。こんなに野菜が主役になるなんて」
「非常に興味深い……タレの活用法まで、学術的な価値があります」
騎士団の4人は、まるで初めての世界に出会ったように、夢中で皿を空にしていった。
* * *
「いやあ……参った。こんなに美味いとはなぁ」
ガレスが大きく腹をさする。
「魔物が、こんな立派な食材になるなんて思いませんでした」
シリルが頷きながら記録帳を取り出している。
「今まで捨ててたなんて、もったいなさすぎるわよ~」
アデラインが肩をすくめる。
「リーナさんの料理、ほんとに最高でした!」
ルークの満面の笑みに、リーナも照れ笑いを返した。
「ありがとうございます。そう言っていただけて、嬉しいです」
「で、なんで魔物の肉なんて調理しようと思ったんだ?」
ガレスが疑問を口にする。
少し迷ってから、リーナは正直に打ち明けた。
「……見えるんです。食材を見ると、文字が浮かんで」
「文字……? それって、『鑑定』?」
「『鑑定』っていうんですか?でも、なぜか食材限定で。他のものはまったく」
「あら、食い意地の表れかもよ~?」
「ち、違いますっ!」
リーナの慌てた声に、笑いが弾ける。
「でも、興味深いですね。これだけ実用的な能力なら、学術研究としても十分価値があります」
シリルが目を輝かせる。
「よし、じゃあさ。次は別の魔物、持ち込んでもいい?」
「ええ、処理さえきちんとされていれば」
「解体業者と連携すれば問題ないな。よし、任せとけ!」
ジュードが頼もしく言い切る。
「うーん……魔物料理専門店、ありかもね~」
「王都でも話題に上るかもしれませんよ」
「また絶対来ます!」
4人がそれぞれに笑顔を残しながら店を後にした。
* * *
その夜。リーナは自室で1人、出汁の香りを思い出しながら呟いた。
「……よし、もっと美味しいもの、作れるはず」
拳をぎゅっと握りしめる。今日の驚きと喜びは、彼女の中に新しい覚悟を芽生えさせていた。