騎士団、魔物料理に驚愕す
唐揚げを初めて作った日から三日。今や『アンナの食卓』では、リーナの魔物料理が看板メニューとなっていた。
「唐揚げ、今日も頼むよ!」
「私も! 昨日のが忘れられなくて!」
昼の店内は今日も活気にあふれている。常連たちが次々と席につき、キッチンからは香ばしい匂いが漂っていた。
「はい、お待たせしました!」
リーナが手際よく揚げた唐揚げを皿に盛る。きつね色に輝く衣からは、カリッとした食感を約束する音が弾け、醤の香ばしい香りが鼻腔をくすぐる。中の肉はしっとりとジューシーで、熱々の湯気が立ちのぼる。
「うんめぇぇぇ!!」
トムが一口頬張るなり、目を丸くして叫んだ。
「この味、クセになるわ……。魔物なんて信じられないくらい!」
「ホントに。こんなの、家じゃ作れないよ」
嬉しそうな客たちの反応を背に、リーナは片隅に置いたフェングリフの骨を見つめる。もとは胸肉が中心だったが、解体業者から届いた部位の中には軟骨や骨も多く含まれていた。
「この骨……何かに使えないかな」
目を凝らすと、またあの浮かび上がる不思議な文字が現れた。
『フェングリフの骨』
『品質:良質』
『用途:出汁、スープストックに最適』
「出汁……!」
祖母の店では鶏ガラでスープを取っていた。出汁は料理の『土台』だ。だが、この世界ではそういう概念を聞いたことがない。
「試してみよう!」
思い立ったらすぐ行動。昼の営業が終わると、リーナは大鍋に骨を詰め、水をたっぷり注いで火にかけた。
「骨を煮るって、変わったことするのねぇ」
アンナが興味深そうに覗き込む。
「はい。もしかしたら、美味しいスープが取れるかもしれません」
かまどに火をつけてしばらくすると、鍋の中からじわじわと湯気が立ち、色は透明からやや白く濁っていく。ほんのり漂い始めた香りは、まろやかで、どこか懐かしい匂いだった。
「……あら、いい匂い」
「ですよね。なんだか深みがある感じがします」
じっくり一時間ほど煮込んだあと、骨を取り出し、スープを濾してみる。ほんのり琥珀色の透明な液体は、澄んだ光を反射して美しい。
「よし、飲んでみよう」
リーナがそっと口に含むと、その瞬間、まるで身体の芯に沁み渡るようなやさしい旨味が広がった。
「……美味しい。鶏ガラスープより上品で、雑味がない」
塩も醤も加えていないのに、しっかりと味がある。まさに出汁。
「リーナちゃん? そんなに驚いてどうしたの?」
「アンナさん! ちょっと飲んでみてください!」
小さなカップにスープを注いで差し出す。アンナが一口含んだ瞬間、ぱっと目を見開いた。
「これ、すごいわね……! 透明なのに、こんなに旨味が詰まっているなんて」
「骨を煮ただけなのに、不思議ですよね」
「今までのスープとは全然違うわ……こんなの初めて」
この世界ではスープといえば具だくさんが常識。透明な液体に味があるなど、誰も思いもしない。
「これを使えば、もっと美味しい料理が作れそうです!」
そのときだった。
「おーい、リーナ!」
外から声がかかった。ジュードが顔を出し、にやりと笑う。
「うちの騎士団の仲間連れて来るって言ってたろ? 今夜、ほんとに来るからな!」
「えっ、あの話……本気だったの!?」
「もちろん。ちゃんと『すげえの食わせる』ってハードル上げてるからな!」
「それはまた……!」
リーナは苦笑しながらも、心のどこかがワクワクしていた。
(なら――今夜は、この出汁も披露しよう)
夕方、空が茜色に染まり始めた頃、「アンナの食卓」の扉が勢いよく開いた。
「よっ、リーナ! 連れてきたよ!」
陽気な声と共に現れたジュードの後ろから、個性的な面々が次々と入ってくる。
「いらっしゃいませ。本日はようこそ」
最初に現れたのは、スラリとした体躯に金髪をなびかせた人物。長いまつ毛と整った顔立ちは、一見すると女性に見えるが、低めの声と喉仏が男であることを示していた。
「アデライン・ローレンスよ。ジュードから聞いて楽しみにしてたの」
優雅な仕草に、どこかオネエの雰囲気を纏っている。次に入ってきたのは、屈強な体格の大男。
「ガレス・フォックスだ! 腹減ったぞ! うまいもん食わせてくれ!」
明るく豪快な笑い声が店内に響き渡る。三人目は、細身で理知的な雰囲気を持つ青年だった。眼鏡の奥に知的な光を宿し、口元を引き結んでいる。
「シリル・ストーンです。魔物の生態について調査しています。……正直、興味津々です」
そして最後に、やや緊張気味の若者が恐る恐る店内に足を踏み入れた。
「あっ、ぼ、僕はルーク・ハートウェルっていいます。よろしくお願いします!」
人懐っこい笑顔の奥に、まだ若さが残る。真面目そうな青年だった。
「リーナと申します。どうぞごゆっくりお過ごしください」
「魔物料理って……ホントに食えるのか?」
ガレスが眉をひそめる。
「俺は信じてないぞ? ジュードが騒いでたけどさ」
「ま、見た目がどうであれ、美味しいなら問題ないのよ」
アデラインが優雅に髪をかき上げる。
「フェングリフの生態は把握していますが、食用になるとは意外です」
シリルが興味深そうに観察するような視線を向ける。
「ぼ、僕もちょっと……こわいですけど、楽しみです!」
「では、腕によりをかけてご用意しますね」
リーナは厨房へと向かい、すぐに調理に取りかかった。
揚げ鍋に火を入れ、醤と生姜、にんにくで漬け込んでおいたフェングリフの胸肉を一枚ずつ丁寧に衣にくぐらせる。
ジュワァ……ッ!
油に落とした瞬間、黄金色の泡が立ち、香ばしい香りが立ち上がる。カリカリに揚がった衣の奥に、旨味たっぷりの肉汁が閉じ込められていく。
「この音……たまらんな!」
カウンターからガレスの声が飛んでくる。出汁はすでに温め直し、澄んだ香りが湯気とともに店内に満ちる。
さらにムシキを取り出し、野菜の準備にかかる。キャベツ、人参、玉ねぎを彩り良く切り揃え、蒸気が上がる層に丁寧に並べる。ふたを閉めると、やがて素材の甘い香りがふんわりと立ち上った。
最後に、蒸し野菜用のタレ――-醤にすりおろしたニンニクと香味油を加え、旨味の詰まった小皿を仕上げる。
「お待たせしました!」
まずは唐揚げ。黄金色に揚がったそれは、見るからにカリカリと音を立てそうな衣をまとい、皿の上で湯気を上げていた。
「これが魔物……?」
ルークがフォークを手に取り、一口。
「……っ!!」
目を見開いたまま、しばし固まる。
「うめぇぇぇ!! なんだこれ、鶏肉よりジューシーで、香りがすげぇ!」
ガレスが豪快に頬張る。衣のサクッとした食感の直後、ふわりと広がる醤の香ばしさと肉の旨味。脂っこさはなく、口の中で旨味だけが残る。
「香ばしさとジューシーさのバランスが絶妙ね~」
「これは……まさに料理として完成されています。下味に使ったという『醤』、非常に興味深いです」
次に出されたのは、澄み渡る琥珀色のスープ。光を反射する透明感と、やわらかく漂う香りに、全員が静かに息を呑んだ。
「これは……何ですか?」
「フェングリフの骨を煮込んで出汁を取ったものです」
恐る恐る口をつけたシリルの眉が跳ね上がる。
「……なんという味わい深さ。透明なのに、この深み。これは画期的な発見です!」
「まるで、優しい手で包まれてるみたいな……そんな味だわ~」
アデラインがうっとりと瞳を閉じる。ルークも静かにうなずいた。
「すごく……落ち着く味です。体の奥から温かくなるような……」
そして最後に、彩り鮮やかな蒸し野菜がテーブルに並べられた。
「この色……どうやって?」
「東方で使われているムシキという道具で、蒸してみました。蒸し料理って、素材の味を壊さずに、きちんと引き出してくれるんです」
醤の特製ダレにつけてひと口。人参は甘みがぐっと引き立ち、キャベツはシャキッとした歯ごたえを残したまま、優しい旨味を纏っている。
「な、なんだこれ……野菜だけなのに、ごちそうだ!」
「このタレ、万能ね~。こんなに野菜が主役になるなんて」
「非常に興味深い……タレの活用法まで、学術的な価値があります」
騎士団の四人は、まるで初めての世界に出会ったように、夢中で皿を空にしていった。
「いやあ……参った。こんなに美味いとはなぁ」
ガレスが大きく腹をさする。
「魔物が、こんな立派な食材になるなんて思いませんでした」
シリルが頷きながら記録帳を取り出している。
「今まで捨ててたなんて、もったいなさすぎるわよ~」
「リーナさんの料理、ほんとに最高でした!」
ルークの満面の笑みに、リーナも照れ笑いを返した。
「ありがとうございます。そう言っていただけて、嬉しいです」
「よし、次は別の魔物、持ち込んでもいい?」
「ええ、処理さえきちんとされていれば」
「解体業者と連携すれば問題ないな。よし、任せとけ!」
ジュードが頼もしく言い切る。
「うーん……魔物料理専門店、ありかもね~」
「王都でも話題に上るかもしれませんよ」
「また絶対来ます!」
四人がそれぞれに笑顔を残しながら店を後にした。




