最終リハーサル
夏至祭まで、あと二日。
朝もやが立ち込める噴水広場に、馬車で運ばれてきた移動式かまどと鉄板が並んでいる。前日のうちに搬入を終えた設備は、これから行われる本番を静かに待っているかのようだ。
続々と職人たちが集まってくる。総勢三十人の顔ぶれは、今や互いにすっかり馴染みとなっていた。
「おはよう、リーナ」
ガードルートが力強い足音で近づいてきた。その表情には、現場を統括する職人組合の組合長としての自信が窺える。
「設備の最終確認は済んだ。問題なく使えそうだ」
「ありがとうございます。それじゃあ、始めましょうか」
リーナの声に、職人たちの表情が一段と引き締まる。これまで組合の作業場で練習を重ねてきたが、屋外での調理はやはり勝手が違うことを皆が理解していた。
「揚げパスタチームは移動式かまど、鉄板チームは新しい鉄板を使います。いつも通り、無理をせず安全第一でお願いします」
「はい!」
元気な返事が、朝の広場に響き渡る。
まずは火起こしから始まった。職人たちは慣れた手つきで炭に火を入れていく。風はやや強かったが、ガードルートが前日に設置した風除けのおかげで、炎は安定していた。
「よし、いい調子だ」
鉄板では、職人のひとりが肉巻きおにぎり串の仕込みを始めていた。握ったおにぎりにアースボアの薄切り肉を、すき間なく丁寧に巻き付けていく。その手つきは無駄がなく、練習の成果が見て取れた。
一方、移動式かまどでは揚げパスタチームが油の温度を細かく確認していた。屋外は風で熱が奪われやすいため、室内より慎重になる必要がある。
「温度はどうですか?」
「少し低めですが、調整できそうです」
鉄板チームも順調に野菜を刻み、お好み焼きの生地を混ぜる音が広場に響く。別のテーブルでは、べっこう飴とドリンクの準備も進んでいた。ドライフルーツ入りのべっこう飴を作る職人と、赤ワインでサングリアを仕込む職人の手際も良い。
やがて調理が本格的に始まり、ひとつ目の問題が起きた。
「あれ、煙が食事エリアの方に流れてるぞ……」
風向きが変わり、鉄板から立ち上る煙が食事エリアへ流れ始める。
「これはまずいだろうか?」
職人のひとりが顔をしかめかけた。しかし、その鼻をくすぐったのは――
「あ、でもこれ、すごくいい匂い!」
お好み焼きが焼ける香ばしい匂いと、ソースの甘辛い香りが、煙に乗って広場いっぱいに漂っていた。むしろ、これが客の食欲をそそりそうだ。
「確かに、この香りは食欲をそそりますね」
職人のひとりは笑顔で頷いた。ガードルートも腕を組んで、その様子を見守る。
「あまりにも煙が濃すぎるようだったら、位置を調整すればいい。香りも祭りの魅力のひとつ、演出として考えれば悪くないだろう」
リーナはほっと息をつく。客の五感を楽しませるなら、香りも立派な武器になる。
二つ目の問題は、別の場所で発覚した。
「動線が、ちょっと窮屈じゃないか?」
鉄板チームの職人が声を上げる。お好み焼きを焼く鉄板と、揚げパスタの油鍋が想像以上に近く、お互いの作業がやりづらそうに見えた。
「確かに。こっちで野菜を切っていると、そっちの邪魔になっちゃいますね」
「少し位置を変えてみましょう」
リーナたちは、お互いの動きを確認しながらテーブルや機材を少しずつずらしていく。リハーサルだからこそ、こうした問題に気づけるのはありがたい。
さらに三つ目の問題が起きた。
「鉄板の火加減が、いつもと違いますね」
屋外では風が吹くだけで、炭火の強さが思い通りにいかない。室内での練習とはまるで勝手が違っていた。
「風が強い時は火が強くなりすぎるから、炭を少し広げた方がいい。風が止んだ時は炭を寄せたり、板で風を送ってやれば大丈夫だ」
職人のひとりが炭を動かしながら、火加減を調整していく。
「あ、いい感じになってきました!」
屋外ならではの火加減の難しさも、経験を積んだ職人の機転によって、少しずつ克服されていった。
問題をひとつずつ解決するうちに、調理は順調に進んでいく。次々と料理が完成し、職人たちの歓声が広場に響いた。鉄板から立ち上る特製ソースの甘い香り、熱々の油から引き上げられた揚げパスタの黄金色、香ばしい焦げ色がついた肉巻きおにぎり串。テーブルには、ドライフルーツが透けるべっこう飴が並び、美しい赤色のサングリアとレッドアイもすべていい頃合いに仕上がっている。広場は一気に活気に満ちていった。
「それでは、試食してみましょう」
協議会のメンバーも集まり、出来立ての料理を味わっていく。
まずは肉巻きおにぎり串。噛むとジュワッと肉の旨味が広がり、醤の香りが絶妙に絡む。
次は揚げパスタだ。サクサクとした軽い食感と、程よい塩気がやみつきになる美味しさ。
お好み焼きは、甘辛い特製ソースがとろりと広がり、シャキッとしたキャベツの歯ごたえがまた食欲を刺激する。
食事系最後は、焼きパスタ。パスタの香ばしさと野菜の甘みが口いっぱいに広がった。
そして、べっこう飴とドリンクも確認する。べっこう飴はドライフルーツが浮かび、口の中で甘酸っぱさと優しい甘みがゆっくりと溶けていく。
「うまいな」
バルトロメオ団長はべっこう飴を口にして、満足げに口元を緩めた。
「素晴らしい出来ですね」
サングリアは果実の甘みが爽やかで飲みやすく、レッドアイはトマトの酸味がきいていて、食事にもよく合いそうだ。
「これは間違いなく好評となるでしょうね」
マルセロもコップを傾け、果実の香りを楽しむように笑みをこぼした。
リハーサルも終盤、片付けが始まった頃。
「お疲れさま」
振り向くと、ジュードが立っていた。騎士の制服姿からして、任務の途中らしい。
「ジュード!お疲れさま」
「警備の下見でぐるっと回ってきた。こっちは順調そうだな」
「うん。みんなが頑張ってくれてる。いくつか問題もあったけど、ちゃんと解決できたよ」
ジュードは広場を見渡し、職人たちが協力しながら片付けを進める様子を見る。
「いいチームになったな」
「本当にそう思う。最初は不安だったけど、今はもう大丈夫だって確信してる」
ジュードが少し目をそらし、照れくさそうに髪をかきあげた。
「そうだ、当日のことなんだけどさ」
「当日?」
「警備の合間に時間を作るから、少しでもいいから一緒に祭りを見て回らないか?」
リーナの胸が高鳴る。一緒に祭りを回る、それは……。
「もちろん、無理はしなくていいけどさ。せっかくの祭りだし」
「行く! 行きたい!」
思わず大きな声で答えると、ジュードは一瞬きょとんとした顔をして、それから口元をほころばせた。
「あ、えっと……楽しみにしてる」
「俺も。明後日が待ち遠しいよ」
ジュードの笑顔を見ていると、夏至祭が急に特別なものに思えてくる。客を喜ばせるのはもちろんだが、ジュードと一緒に過ごせることも、嬉しくて仕方なかった。
(これって……デート、みたいなものよね?)
胸の奥が熱くなり、顔が赤くなるのをリーナは自覚する。
「じゃあ、俺は警備の続きがあるから」
「うん。気をつけてね」
去っていくジュードの背中を見送りながらも、胸の高鳴りはなかなか収まらなかった。
「リーナ、いい顔してるじゃないか」
いつの間にか隣にガードルートが立っていて、少し笑いながら声をかけてきた。
「え、そ、そんなことないです!」
「はっはっは! 若いっていいねえ!」
ガードルートの豪快な笑い声が広場に響き渡る。だが確かに、今のリーナは嬉しさでいっぱいであった。
技術面の準備も万全。職人たちとの連携も問題ない。設備の配置もバッチリだ。
そして、ジュードとの約束も。
(夏至祭、絶対に成功させよう)
夕日が広場を柔らかく染める中、リーナは心の中で改めて強く誓った。




