理想の食事空間
食事エリアの設置が決まってから三日。リーナは騎士団の会議室に一人残り、広げた資料と向き合っていた。
テーブルの上には、マルセロがまとめた預かり金制度の詳細、ガードルートから届いた設備手配リスト、そしてギルバートが描いた手洗い場の設計図が並んでいる。
「テーブル二十台、椅子八十脚、ゴミ箱十個、手洗い場三箇所」数字を口に出しながら、リーナは会場全体を頭の中で組み立てていく。設備としては完璧なはずだった。けれど、どうしても違和感が拭えなかった。もっと心地よい場所にできないだろうか。
ふと、リーナの脳裏にぼんやりとした記憶が蘇る。大きな空間に整然と並ぶテーブル。親子で賑わう姿。明るく清潔で、誰でも安心して過ごせる食事の風景。前の世界で見た、あの場所だ。たくさんの店が囲む広場のような場所で、家族も友人も、知らない人同士も同じ空間で食事を楽しんでいた。
もちろん、この世界にはそんな言葉はない。だが、みんなが座ってゆっくり食べられて、子ども連れでも安心できて、清潔で明るい場所は作れるはずだ。
リーナは新しいページを開き、ペンを走らせた。
「急に集まってもらって、すみません」
翌朝、リーナは再び協議会のメンバーを会議室に呼び出していた。
「また何か問題が?」
バルトロメオが少しだけ眉を寄せる。昨日ようやく決まったばかりなのに、と言いたげな表情だった。
「いえ、問題というより、食事エリアのことで、もう少しご相談がありまして」
リーナは昨夜まとめたノートを開いた。協議会メンバーたちの視線が集まる。
「皆さんに決めていただいた設備、とてもありがたいものです。でも、もう一歩、もっと過ごしやすい空間にできる気がしていて」
「過ごしやすい空間、とは?」
マルセロが首を傾げる。商業ギルドを束ねる彼にとっても、この提案は新鮮に映ったようだ。
「はい。ただテーブルと椅子を置くだけじゃなくて、たとえば雨が降っても食事できるように屋根があったり、夜でも明るく食事ができるように照明があったり。あとは、どこに何があるかひと目で分かるように案内板があるといいなって思ったんです。来てくれた人たちに、少しでも心地よく食べてもらいたくて」
しばらく沈黙が続いた。メンバーたちはリーナの言葉を咀嚼するように、互いの顔を見合わせている。重苦しいわけではない。むしろ、それぞれが考えを巡らせている静けさだった。やがて、腕を組んでいたガードルートが、重々しく頷いた。
「なるほど。確かに、ただ設置しただけでは足りない部分があるな。屋根なら、簡易的なものを手配できる。帆布を使った大きなテントのようなものなら、職人組合で対応可能だ」
「光の魔石を使えば、夜間でも十分な明るさを確保できる。必要な分は、私が支援しよう」
バルトロメオもすぐに続く。騎士団長として、祭りの安全を守ることは責務でもあった。
「案内板は商業ギルドで用意できますよ」
マルセロは資料を軽く叩いて笑みを浮かべる。
「『器返却はこちら』『手洗い場はこちら』といったものなら、すぐに作れます」
「本当ですか! それは心強いです」
リーナは思わず目を見開いた。次々と協力を申し出てくれるメンバーたちに、心が奮い立つ。
「でも、まだ他にも」リーナは手元のノートをめくる。
「人の配置についてです」
「人?」ギルバートが眉を上げる。設備の話から急に人員の話になり、少し戸惑った様子だった。
「はい。どれだけ設備を整えても、案内する人がいなかったり、汚れたテーブルが放置されたりしたら、きっとお客さんは困ってしまいます」
「確かに」
バルトロメオが深く同意する。祭りの混雑時は特に、案内や清掃の人員が必要になるとすぐに理解した。
「座席案内なら、冒険者ギルドの若手に声をかけられるかもしれん」
「混雑する時間帯だけなら、何人か配置できそうだ」
「それは大変助かります」
リーナの声に、次第に熱がこもっていく。理想の食事空間が、一歩ずつ現実味を帯びていく。
「それと、清掃の件ですが……料理人の皆さんは手が離せないでしょうし、町の方々にお手伝いをお願いできないでしょうか」
「町の人に?」
ガードルートが意外そうに目を丸くする。祭りの運営に一般の民を巻き込むという発想は、確かに珍しかった。
「お祭りだからこそ、参加する形にしたいんです。短時間の交代制にすれば、負担も少なく済むと思って」
「面白い提案です。商業ギルドからも、店主の家族に声をかけてみましょう」
「それからもう一つ。器を失くしてしまった人や、迷子の子どもへの対応も考えておいた方がいいと思うんです」
「迷子の対応は、我々騎士団が巡回しながら対処できる。案内所を一箇所設けて、何か困ったことがあればそこに向かってもらうようにしよう」
「器の紛失については」マルセロが資料をめくる。
「預かり金制度である程度はカバーできますが、完全に紛失した場合の代替案も記しておきます」
メンバーたちが次々と具体的な協力策を提示してくれる。その一つ一つが、リーナのノートに書き加えられていく。
会議が終わり、メンバーが部屋を後にした後も、リーナはその場に残っていた。テーブルには、さっきまで交わされた議論の痕跡がそのまま広がっている。
屋根付きの食事エリア。魔石による照明。案内板、案内係、清掃ボランティア、案内所。それは、夢見ていた風景が、手の届くところに来ているという証だった。
その夜、リーナは部屋で一人、最終的な計画を丁寧にまとめ直した。
前の世界で見たような場所は作れない。けれど、ここにも心地よい食事空間は作れるはずだ。料理を作ることも大切だが、それを食べる人のことを考えることも同じくらい大切だ。
そして今、たくさんの人が協力してくれている。きっと、みんなが喜んでくれる素敵な場所になる。
夏至祭まで、あと少し。理想の食事空間が、確実に形になろうとしていた。




