表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/124

初挑戦・フェングリフ唐揚げの奇跡

 朝日が街の屋根を照らし始めた頃、リーナはすでに「アンナの食卓」の厨房で火を起こしていた。かまどの前にしゃがみこみ、薪に火をつける。乾いた木がパチパチと音を立て、ようやく炎が安定してきたところだった。


「おはよう、リーナちゃん。随分と早いのね」


 階段から降りてきたアンナが、火の番をするリーナを見て目を細める。


「おはようございます、アンナさん。今日はちょっと特別なことをしたくて」


「特別な?」


「はい。昨日、ジュードさんが預けてくださった魔物の肉を受け取りに行くんです。それと、調味料のことで確認したいことがあって」


「調味料?」


(ジャン)ってご存知ですか?東方からの輸入品で、ちょっと変わった香りのあるものです。聞いたことだけはあって……ひょっとしたら、肉料理の下味に使えるかもしれなくて」


 アンナが少しだけ首をかしげた。


「名前は聞いたことがあるわね。高級品で、ほんの少しつけるだけっていう」


「やっぱり。あの香りと塩気、調理に使えば新しい味になる気がするんです。でも実際に試してみないと分からないから……できれば仕入れという形で、少量だけ貸していただけませんか?もしうまくいったら、ちゃんとお返しします」


 リーナの真剣な表情に、アンナの顔がほころぶ。


「ふふ、そんなに目を輝かせて。いいわよ、私たちもあなたの料理、楽しみにしているのよ」


「ありがとうございます!」


 リーナは深々と頭を下げた。



「おーっす、リーナ!  早いな~」


 解体業者の作業場に着くと、ジュードが陽気に手を振ってきた。


「おはようございます、ジュードさん。昨日はありがとうございました」


「堅い堅い。昨日みたいに気軽にいこーぜ」


 作業場の奥から、大柄な親方が大きな包みを持って現れる。


「嬢ちゃん、昨日の肉だ。皮と骨は分けてあるが、こっちは正真正銘の肉だぞ」


 包みを広げると、ふっくらとした白い肉塊が現れた。鶏肉に似ているが、もっときめ細かい。リーナの視界に、あの不思議な文字が浮かび上がる。


『フェングリフ』

『部位:胸肉』

『品質:上級』

『調理法:唐揚げ、ローストに最適』


(やっぱり……これは絶対に美味しい)


「これ、おいくらになりますか?」


「いや、お代はいらねぇよ。普通なら捨てるもんだしな。ただし……」


 親方が真剣な目で見つめてくる。


「万が一、変なことになっても知らねぇぞ?」


「はい、責任は私が持ちます」


 リーナのまっすぐな返答に、親方はあきれたように肩をすくめた。


「変わった子だなぁ……まあ、食い物への情熱は本物だな」



「ところでさ、(ジャン)って知ってる?」


 肉を受け取ったあと、リーナが声をかける。


「東方の調味料だっけ?  つけダレくらいにしか使わないって話だけど?」


「実は、あれを肉の下味に使えないかと思っていて」


「下味? そんな使い方、聞いたことないな」


「香りが強いから、少量でも肉に深い味がつくはずなのよ。それで試してみたくて」


 ジュードが腕を組んで唸る。


「なるほどな。そういう発想、面白いかも。だったら、騎士団が使ってる輸入商人のとこ、案内してやるよ」


「ほんと? ありがとう!」


 ジュードの案内でたどり着いたのは、やや高級感のある輸入品専門店だった。


「いらっしゃいませ。ジュード様のご紹介でしたら、どうぞご遠慮なく」


 応対に出たのは、整った髭をたくわえた中年の店主だ。


(ジャン)を少し、料理に使いたいのですが……」


(ジャン)? ああ、ございますよ。高級品ですが、どのくらい必要ですか?」


「ほんの少しで構いません。肉の下味に使ってみたくて」


「下味、ですか……?」


 店主が目を細める。


「珍しい使い方ですね。小瓶ですと銀貨三枚になりますが」


「に、三枚……!」


 思わず声が漏れる。たったひと瓶で三千円相当。気軽に買える額ではない。


「もう少し小さいものは……?」


「ではこちらのミニ陶器入りで銀貨一枚になります」


 リーナは、マルクから借りた銀貨を差し出し、小さな器を受け取った。中には、深い琥珀色の液体が少量入っている。香りを嗅ぐと、濃厚で、どこか香ばしい匂いが鼻をくすぐった。


「ありがとうございます。どんな味になるか、今度ご報告しますね」


「料理に(ジャン)を使うなど、聞いたことがありませんでした。成功を祈っていますよ」


 店主が丁寧に見送ってくれる。



「ただいま戻りました」


 厨房へ入ると、マルクが心配そうに振り向いた。


「おかえり、リーナちゃん。その荷物……まさか?」


「はい。フェングリフの胸肉です。今日はこれを使って、新しい料理を作らせていただこうと思います」


「おお、昨日の焼き鳥とは違うのかい?」


「はい。今日は『唐揚げ』という揚げ物に挑戦します」


 リーナは、厨房の棚に仕舞い込まれていた大ぶりの鍋を引っ張り出す。東方から渡ってきたという、底の深い鉄製の鍋。アゲナベと呼ばれている。


「これ、使うのかい?」


「はい。この鍋がないと、うまく揚がらないんです」


 リーナは手早く準備を始めた。まずは肉の下処理。フェングリフの胸肉は驚くほどしっとりとした質感で、包丁の刃が吸い込まれるように入る。


「……この感触、絶対美味しい」


 一口大に切り分けた肉をボウルに入れ、小瓶の(ジャン)を慎重に注ぎ、水でほんの少し薄める。おろした生姜と刻みにんにくも加えて、手で揉み込みながらなじませる。鼻先に広がる、香ばしくて少し甘いような独特の香り。塩気と旨味が、肉の奥まで染み込んでいくようだった。


「さて、ここで少し寝かせます」


 その間に、衣の準備。片栗粉がないから、小麦粉だけまぶすか、水で溶いて粘度を調整するか、何通りか試してみるつもりだった。


「さて……油の温度はどうかな」


 アゲナベにたっぷりと油を注ぎ、かまどの火にかける。菜箸代わりの木の棒を差し入れると、先端に細かい泡が浮かび上がった。


「うん、これくらいかな」


 一切れの肉に粉をまぶし、油へとそっと落とす。


 ジュワッ!


 心地よい音が響き、油の中で衣が花のように広がった。


「いい音!」


 火の勢いに気をつけながら、揚げ色を見極める。表面がきつね色になったところで一度引き上げ、しっかり油を切る。だが、次の一切れは焦げ気味になってしまった。


「うっ……ちょっと火が強すぎたかも」


 慌てて薪をずらすが、火力の調整は難しい。三つ目、四つ目は逆に温度が下がりすぎ、衣がべちゃりとした食感に。


「うーん……どうしたら……」


 額に汗が滲んできた頃、店の扉が鳴った。


「邪魔するぜー」


 入ってきたのは、筋骨たくましい大柄な男。作業着に木屑がついている。どうやら職人らしい。


「あの、今日はまだ準備中で……」


「ああ、トムじゃよ。大工のトム」


 マルクさんが紹介してくれる。


「新しい料理人かい? 随分と若いね」


「はい、リーナと申します。よろしくお願いします」


「おう、よろしくな。それにしても、なんだこの匂い。うまそうだな」


 焦げもあったはずなのに、店内には確かに食欲をそそる香ばしい香りが漂っていた。-ジャンの香りが、油と混ざり合って深みを増している。


「火加減がうまくいかなくて……」


 リーナが困っていると、トムがかまどに目を向けた。


「火なら任せとけって。薪の組み方と風の通し方で、温度を安定させられる」


 トムが手際よく薪を並べ直すと、炎の勢いが落ち着き、鍋底の油の泡が均一に踊り始めた。


「……すごい! ありがとうございます!」


 リーナはもう一度、衣をまぶした肉を油に落とす。今度はじゅわっと控えめな音を立て、泡が穏やかに弾けた。


「この音……いい感じ!」


 きつね色に染まった唐揚げを引き上げると、カリッとした衣が表面にしっかりと張り付き、湯気とともに香ばしい匂いが立ちのぼった。


「できました!」


 黄金色に輝く唐揚げが皿に並ぶ。その場にいた全員が、思わずごくりと喉を鳴らす。


「ほんとに……これ、魔物の肉なのかい?」


 トムが目を丸くして聞いた。


「はい。フェングリフという、鳥型の魔物です」


「まあ……試してみるか」


 トムが一口、齧った。


「……うっま!! なんだこれ、鶏肉より柔らかくて、味が濃い!」


「でしょ!?」


 マルクも続いて一口。


「おお、サクサクなのに中はジューシー……こりゃ驚いた。昨日の焼き鳥も良かったけど、これはまた別格じゃ!」


 その時、扉がもう一度開いた。


「よう、からあげってやつ、できたか?」


 入ってきたのはジュードだった。


「ジュードさん!」


「いい匂いにつられてきたよ。成功したっぽいな?」


「うん! トムさんに火加減を教えてもらって、なんとかここまで……!」


「トムさん?」


「ああ、大工のトムだ。お前さんは……騎士か?」


「騎士団のジュードだよ、よろしく!」


「騎士団の人がなぜここに?」


「森でリーナの焼き鳥食べさせてもらったんだよ。それがマジで絶品で」


「焼き鳥?」


 話を聞いたトムさんが目を輝かせる。


「他にも魔物料理を?」


「まだ焼き鳥と唐揚げだけですが、これからもっと色々と」


「楽しみだなあ。魔物の肉がこんなに美味しいなら、食材費も安く済みそうだ」


 確かに、廃棄されている肉を有効活用できれば、店の経営にも家庭にも良い影響がある。


「さあ、どうぞ」


「いっただきまーす」


 ジュードが口に含んだ瞬間、表情がゆるんだ。


「うわっ、なにこれ……サクッとしてて、中がとろけそう。うますぎ」


「下味に(ジャン)を使ったんです。香りが残ってるでしょう?」


「それだ! 香ばしいのに、くどくない。こりゃ他の料理にも応用できそうだな」


 その会話を聞いて、アンナも奥から顔を出した。


「あら、唐揚げができたの?  ちょっと味見させてね」


 一口食べると、彼女の目がぱっと見開かれる。


「っ! うそみたいに美味しい……」


 リーナの胸に、喜びがふくらんでいった。その後、噂を聞きつけた近所の人たちが、次々と店にやって来る。


「魔物の肉が美味しいって、本当かい?」


「私も試してみたい!」


 最初は半信半疑だった人々も、一口食べると一様に目を見張った。


「これは……革命だな」


「信じられない……捨てていたなんてもったいない!」


 あっという間に、最初に作った分は完売。


「すみません、材料がもう……」


「明日もやるのかい?」


「はい。よろしければ、また」


「じゃあ予約してくよ!」


「俺も!」


 次々と予約が入り、厨房は活気に包まれていた。


「リーナちゃん、すごいじゃない!」


 アンナが目を細めて笑った。


「こんなに人が集まるなんて、久しぶりよ」


「本当ですか?」


「ええ。あなたのおかげね。ありがとう」



 夕方、片付けを終えた厨房で、ジュードが言った。


「なあリーナ。騎士団にも紹介してみないか?」


「騎士団に?」


「魔物討伐のあと、捨ててた肉がこれだけ美味いなら、有効活用できる。団の財政にも良い影響があるし、なにより……俺たちがうまいもん食えるしな!」


「ふふっ……それは大事だね」


「そのうち団員連れてくるから、よろしくな」


「うん、楽しみにしてる!」


「それと、俺のことはジュードな! 『さん』はいらねーよ」


「分かった! ジュード!」


 ジュードが帰ったあと、リーナは二階の自室で窓辺に腰を下ろした。今日一日、必死だったけど、それ以上に楽しかった。


「この国に来て、本当によかった」


 小さくつぶやいて、リーナはゆっくりと目を閉じた。明日はもっと美味しい唐揚げが作れるかもしれない。いや、きっと作ってみせる。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ