煮干し粉末の発見と焼きパスタの完成
翌朝、リーナは昨日の焼きパスタを思い返しながら、キッチンで材料を前に腕を組んでいた。
「うーん……」
確かに、美味しかった。けれど、あと一歩。もう少しだけ味に奥行きが欲しい。パンチというか、コクというか。食べた後に、もう一口欲しくなるような、あとをひく余韻が。
「前世だったら、ここで削りたてのカツオ節とか青のりとかをパラッとかけるんだけどなぁ」
そんな贅沢な素材、この国にあるわけもなく。そもそも削り節という文化自体が存在しない。
ふと、彼女の視線が乾物棚に向いた。細長く、銀色に光る小魚たち。煮干しだ。
「……煮干し?」
煮干しだって立派な出汁素材だし、粉末にして振りかければうま味が足せるはずだ。
「粉末にすれば、いけるかも……!」
リーナは思わず手を叩いた。
***
「煮干しの粉末?」
マリアが店の奥から顔を出しながら、煮干しの入った籠をのぞき込む。
「うん。夏至祭で出す予定の焼きパスタにかけたいんだけど、風味とコクを足すために、煮干しを粉にできたらと思って」
「焼きパスタって、昨日の夜のメニューで出てきたあれよね? 十分美味しかったと思うけど」
「ありがとう。でも、もうちょっとだけ進化させたくて」
マリアは興味深そうに煮干しを手に取り、くんくんと鼻を近づける。
「煮干しを粉末にねぇ。面白そう! やってみましょうか」
「粉にできる道具、ある?」
「あるわよ。ちょっと待ってて」
マリアが奥から持ち出してきたのは、手回し式の小さなミルだった。
「これ、前に唐辛子を粉末にしたときに使ったやつ。硬いハーブや胡椒も挽けるから、煮干しもいけると思う」
金属のハンドルを持ち上げ、マリアが煮干しを数匹入れる。ぎゅっ、ぎゅっとハンドルを回すたび、カリカリという音と共に、芳ばしい風味が空気に広がっていく。
「おお……」
最初は粗い破片だった煮干しが、だんだんと粉状になっていく。ほんのり青魚の風味と、海のような塩気が鼻先をくすぐった。
「できたわよ。見て」
マリアが見せてくれたミルの底には、さらさらとした銀灰色の粉末がたまっていた。リーナは指先で少し取って舐めてみる。
「うん、しっかり煮干しの味がする。これは期待できそう」
「良かった! でも、これで何をするの?」
「焼きそば風パスタに振りかけるんだ。きっと美味しくなるよ」
「面白そうね。私も見てみたい」
「じゃあ、一緒に店に来る?」
マリアの目が輝いた。
「もちろん! これは面白くなりそう!」
『アンナの食卓』に戻ったリーナは、早速昨日の焼きパスタを作り直すことにした。まずはソースから見直そう。昨日の配合より、少しだけ醤を強めに、砂糖も気持ち多めにして、全体にツヤと深みを加える。混ぜている最中から、甘辛い湯気が立ちのぼり、鼻先をくすぐった。鍋の中でとろりとしたソースがつやめく。そのままでもご飯に合いそうな、コクのある匂いに、自然と笑みがこぼれる。
次は具材だ。玉ねぎ、キャベツ、人参。昨日はひとつずつ炒めたけれど、今日は同時に入れて火を通す。油を引いた鍋に、刻んだ野菜を一気に投入すると、じゅわっと音を立てて弾けた。甘い湯気と焦げた葉野菜の匂いが、立ち込める煙の中に広がっていく。
太めのパスタを鍋に加え、野菜と混ぜ合わせて炒める。すかさず、さっき調整した特製ソースを一気に投入した。
ジュワァァ!
甘辛い匂いがキッチンに広がり、パスタ全体が艶やかに色づいていく。ソースの照りがパスタにしっかり絡み、野菜の色合いとも相まって、見た目からして食欲をそそる一皿に仕上がっていく。
リーナはマリアが作ってくれた煮干し粉末を、小さな匙でパラパラとふりかけた。すると、芳ばしくてどこか懐かしい、魚の風味が広がった。
だけど、もう少し、何か。一瞬、思考が止まり、そして、ひらめく。
「目玉焼き!」
リーナはすぐに卵を取り出し、フライパンに落とす。じゅっと油が弾けて、白身の縁が軽く色づいていく。焦がさないように、でも焼きすぎないように。黄身がぷっくりと残った状態で、火を止めた。そっと、焼きパスタの上に乗せると、途端に皿全体の印象が変わる。
「これは、見栄えがするわね!」
マリアが感嘆の声を上げた。
「でしょ? 味に加えて、見た目でもインパクトを」
パスタの茶色いツヤに、目玉焼きの白と黄がアクセントとして映える。さらにその上に、銀灰色の煮干し粉末がきらりと光っている。
リーナはフォークでパスタを巻き、一口。噛んだ瞬間、甘じょっぱいソースの濃厚な風味が広がり、後から煮干しの芳ばしいうま味が押し寄せてきた。目玉焼きのとろりとした黄身が絡むと、味が一段とまろやかになり、口の中が幸せで満たされていく。
「どう?」
マリアが期待するように聞いてくる。
「完璧! 私が求めてたのは、これ! 煮干し粉末が加わって、料理が別物みたいになったよ。マリア、ありがとう」
「ふふ、それならよかった。私も食べてみたい!」
一緒にフォークを手に取ったマリアが一口食べて、目を見開く。
「わあ。このコク、粉末だけじゃないわよね。目玉焼きもすごく合ってる」
「でしょ? 屋台で出すなら、インパクトって大事だと思って」
「うん、これは注目されるわ」
そのとき、店の扉が開いて、軽やかな足音が近づいてきた。
「おっ、なんかいい匂いがするな」
「ジュード、ちょうどよかった! 試作品の試食、お願いしていい?」
「改良版の焼きパスタか。もう出来たのか」
リーナは皿にパスタを盛り、目玉焼きを乗せて、仕上げに煮干し粉末をふりかける。
「はい、召し上がれ」
ジュードはフォークを手に取り、目玉焼きを割ってから、麺を巻いて口に運んだ。
「っ! うまい!」
「やった!」
「ソースの味が深くなってるし、この粉、何だ?」
「煮干しの粉末。マリアが作ってくれたの」
「へぇ、なるほどな。ちょっとクセあるけど、すごく効いてる。あと、目玉焼きが映えるな。これは屋台でも目を引くぞ」
「ほんと? それならよかった」
リーナはようやく肩の力を抜いた。
「工程も見直してあるから、大量調理にも向いてるはず」
「これで一品、完成ね」
マリアが笑いながら言う。
「で、次は?」
「えっと、お好み焼きを作ってみようかと思って」
「お好み?」
ジュードとマリアが首を傾げた。
「小麦粉で作る、丸くて平たい料理。具を混ぜて焼くの」
「また面白そうなものを」
「でも、それは明日にしようかな。今日はもう満足!」
リーナは煮干し粉末の器を手に取り、そっと棚に置いた。
「マリア、また少し粉末作ってくれる?」
「もちろん! いくらでも!」
西日がオレンジ色にキッチンを染める中、完成した焼きパスタを前に、リーナは静かに呟いた。
「夏至祭まで、あと少し。頑張ろう」
その夜、リーナはひとさじの煮干し粉末を舐めながら、お好み焼きの構想を練っていた。小麦粉にキャベツ、卵。あとは、ソースとマヨネーズ。今日のソースも良かったけど、もう少し甘めにしてもいいかもしれない。
窓の外では、夜空に星がまたたいていた。




