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夏祭りの記憶とソース作りへの挑戦

 店の二階。窓から差し込む午後の光の中、リーナは机に向かっていた。


 紙の上にはまだ何も書かれていない。手にしたペンをくるくると回しながら、昨日の会議の言葉を思い返していた。


 技術開発と品質監修。ただ料理を作るのではない。料理教室のように、少人数に教えるのでもない。三日間の夏至祭、数千人規模の客に対応する料理を、数十人の料理人たちと共に作りあげていく。その全体をまとめ、技術の水準を保つ役割を、リーナは任されたのだ。


 (こんなに大きなこと、初めてだ)


 わずかな緊張を抱えながら、リーナは紙の上に書き出していった。


『夏至祭屋台メニュー案』


 フェングリフの唐揚げ、アースボアの角煮、炊き込みご飯、野菜の焼き浸し。どれも店で出している人気料理だ。味には自信がある。だが――


「なんだか、いつもと変わらない気がする」


 リーナはペンを置いて、椅子の背にもたれかかった。

 夏至祭という非日常の空気を思い浮かべる。通りに並ぶ屋台。行き交う人々の熱気。子供たちの笑い声。


 (私が知っているお祭りって)


 前世の夏祭りの光景が浮かんだ。浴衣姿の子供たち。夜空に揺れる提灯の灯り。射的や金魚すくい、盆踊りに焼きとうもろこし。そして、鉄板の前で威勢よく焼かれる焼きそば、お好み焼き、たこ焼き、じゃがバター、りんご飴、クレープ、綿あめ。


(あれは全部、あのときだけの『ごちそう』だったんだなぁ)


 リーナは急に心が躍るのを感じた。紙を新しく取り出し、今度は思いつくままに屋台メニューを連ねていく。

 焼きそば、お好み焼き、たこ焼き、クレープ。ひとつずつ吟味する。


「たこ焼きは、この世界にタコなんていたかしら。クレープは薄く均等に焼く技術が必須だし。綿あめはあの機械が必要だし」


 残ったのは、お好み焼きと焼きそば。これなら、今ある材料で工夫すればいけそうだった。特に焼きそばは、パスタを使ってアレンジできる。


「でも、問題はソースよね」


 焼きそばとお好み焼きに欠かせない、あの茶色いソース。甘くて、酸っぱくて、香ばしい。とろみのある複雑な味わい。あれがなければ、ただの炒めた麺だ。


 祖母が作ってくれた焼きそば。あの香りは今でも忘れられない。

 思い出の味を再現するためには、まずはソースから作る必要がある。リーナは立ち上がり、保存庫へと向かった。


 保存庫を見回しながら、リーナは使えそうな野菜を確認していく。玉ねぎ、にんにく、人参、トマト。香味野菜と調味料、それにローリエ、黒胡椒、唐辛子といったスパイスも揃っている。


「問題は果物」


 ウスターソースには確か、りんごのような果実の甘みと酸味が必要だった。けれど今は夏。りんごは収穫の時期ではない。


 何か、代わりになるもの。


 棚の奥に目をやったリーナの視線が、ふとある瓶に止まった。深い紫色の液体が透ける、エルダーベリーのジャム。


「これだ!」


 ベリーの甘酸っぱさ、果実の香り。甘味と酸味が必要なら、エルダーベリージャムで代用できるかもしれない。


 瓶の蓋を開けた途端、濃厚な香りが広がった。熟した果実の甘さと爽やかな酸味、ほのかな渋みも感じる。リーナは笑みを浮かべた。


「よし! やってみよう」




 リーナは厨房に戻り、大鍋を用意した。香味野菜を炒め、トマトを加えて煮込んでいく。香ばしい匂いが広がり、やがて鍋の中が赤く染まっていく。スパイスを加えると、匂いが少し鋭くなった。


 鍋の中がふつふつと煮立ち始める。ときおりかき混ぜながら、アクを丁寧に取り除く。熱気が頬に触れ、甘酸っぱい香りが厨房に満ちていく。素材同士が溶け合っていく音が心地いい。


 やがて、鍋の中の野菜はすっかり柔らかくなり、煮汁には深みのある赤茶色がついていた。


 ここで、いよいよ仕上げに入る。エルダーベリージャムを加えると、華やかな香りが広がった。醤、砂糖、塩で味を整え、最後に酢を加えて、ひと煮立ちさせる。酸味が全体を引き締め、香りがより一層複雑になった。


「ここで一度火を止めて、一晩寝かせよう」


 リーナは鍋に蓋をすると、息をついた。一晩置くことで、材料同士がなじんで深い味わいになるはず。でも、本当にうまくいくのかな。エルダーベリージャムの代用、成功してくれるといいけど。




 翌朝、リーナは早起きして厨房に向かった。昨夜から気になって仕方がなかった鍋のことが頭から離れない。


「一晩経って、香りはどう変わったかな」


 期待と緊張を抱えながら、恐る恐る鍋の蓋を開けた。その途端、濃厚で芳醇な香りが広がった。昨日よりもまろやかで、野菜とスパイス、果実の香りが見事に調和している。


「これは、すごいかも」


 リーナは鍋の中身を漉し始めた。ローリエを取り除き、さらに細かい布で丁寧に濾す。


 すべてを濾し終えたとき、鍋に残ったのは、澄んだ褐色のとろりとした液体だった。それを火にかけ、ゆっくりと煮詰めていく。すくい上げたソースが、木べらの背を伝って、ゆっくりとした糸のように落ちていく。


「この濃度、ちょうどいいかも」


 リーナは火を止め、小皿にひとさじ取り、軽く冷ましてから口に運んだ。味が、舌の上に広がった。


 まず感じたのは、優しい甘み。次に、野菜由来の旨味と果実の酸味が重なり、最後に黒胡椒と唐辛子の刺激が尾を引く。深く、複雑で、それでいてどこか懐かしい味だった。


 近い。すごく、近い。


 リーナは目を伏せた。焼きそばを作る祖母の姿が、一瞬だけ脳裏をよぎる。


「これをパスタに絡めて、炒めれば、焼きそば風パスタ、いけるかも」


 にんじんやキャベツを加えたら、彩りも出る。濃いめの味つけにすれば、夏祭りの雰囲気にも合うはずだ。


「お好み焼き風の生地にも、使えるかもしれない」


 小麦粉と卵、水で生地を作り、キャベツを混ぜて鉄板で焼く。仕上げにこのソースと、特製のマヨネーズをかければ。


 (夏至祭で、たくさんの人に喜んでもらえそう)


 リーナはソースの入った鍋を見つめながら、小さくガッツポーズをした。技術開発・品質監修という新しい役割。その第一歩として、このソース作りは大きな成果だ。


「あとで実際に焼きそば風パスタを作ってみよう。それから他のメニューも」

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 最近の縁日グルメの記憶は広島お好み焼きと牛ステーキ串…
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