夏至祭への道筋・新たな課題
「それでは、夏至祭の詳細について説明しよう」
バルトロメオ団長が立ち上がり、会議室の壁に掛けられた街の地図を指差した。
「今年の夏至祭は3日間にわたって開催される。前夜祭、本祭、後夜祭だ」
「会場は噴水広場を中心として、街全体に広がる。今年は郊外にも特設スペースを設ける予定だ」
リーナは地図を見つめながら、その規模に思わず息をのんだ。
「街の住民5万人に加えて、他都市からも大勢の訪問客が見込まれます。総計で約6万人規模の動員を想定しています」
「ろ、6万人...」
思わずこぼれたリーナの声が震える。頭の中で、自分の店で対応できる人数との差が一気に押し寄せてきた。
「出店予定は100を超える店舗です。屋台、出張店、各種催し物...アードベル史上最大の祭りになります」
その一言が、ますます現実味を帯びてリーナの胸にのしかかる。
「君たちの料理企画は、この中でも『美食エリア』の担当となる」
「美食エリア......」
「そうだ。アードベルの名物料理を発信する拠点として、1日数千人の対応を想定している」
リーナはごくりと息を飲んだ。それは普段の営業とは桁が違う人数だった。
* * *
「では、各組織の役割分担を具体的に決めていこう」
団長の言葉で、場の空気が切り替わる。
最初に口を開いたのは、商業ギルドのギルド長・マルセロだ。
「商業ギルドとしては、まず資金調達に動きます。これだけの規模です、特別予算を組ませましょう」
「宣伝活動も重要です。商隊のネットワークを活用して、広域に告知いたします。他都市への正式通知も必要ですね」
「そして、食材供給ルートの確保も。安定した流通に加えて、緊急時の補給体制も整えます」
マルセロは一呼吸置いてから、リーナに目を向けた。
「それと、リーナ嬢。レシピ事業の件ですが......」
「レシピ事業......ですか?」
「あなたには、料理の技術開発に専念していただきたい。我々がそのレシピをもとに事業として展開します。今後の運営もお任せください」
思いがけない申し出に、リーナは思わず目を見開いた。今まで一人で抱えていた仕事の一部を、プロに任せられるということだった。
「本当に、いいんですか?」
「もちろん。あなたの才能を最大限に活かすためにも、それが最良の形です」
続いて声を上げたのは、職人組合のガードルートだった。
「うちの組合では、まず調理設備の整備を進める。美食エリア用の特設厨房だな。移動式のかまどは20基以上、大鍋、特製の調理台、食器も数千人分必要だ」
「それと......」
彼女の鋭い視線がリーナに向けられた。
「現場運営はこちらで引き受ける。助手や補助要員は30名ほど、組合内で手配可能だ」
「動線や工程の割り振りなども全部こちらで設計する。君は作ることに集中してくれ」
最後に、冒険者ギルドのギルド長・ギルバートが口を開いた。
「うちは、食材調達と輸送を担当する」
「高品質な魔物肉を必要数、確保してみせる。3日分の在庫も考慮しないとな」
淡々と語るその口調には、確かな信頼がにじんでいた。
団長がゆっくりと頷いた。
「それでは、リーナの担当を明確にしよう」
「君には、メニューの開発とレシピの作成」
「調理担当者30名への技術指導」
「味の基準の設定と品質管理」
「そして、全体の技術監修と最終チェック」
「料理の技術面、そのすべてを君に託す」
リーナの心が軽くなった。一人で全てを背負うのではなく、それぞれの専門家が支えてくれる。
* * *
「次に、準備スケジュールだ」
団長が手帳を開く。
「1週間後までに、メニュー案の提出と予算試算」
「2週間後には、試作とレシピの完成。そして調理作業員候補の選定開始」
「3週間後から、技術指導と現場のリハーサルを本格化」
「本番の3日間へと備える。各担当は、日々の進捗報告と週2回の全体会議を行う。緊急時は、いつでも連絡が取れるように」
場の空気が引き締まった。
「リーナ、君への具体的な課題は3つある」
団長が指を立てて数えた。
「まず、屋台向けのメニューを5品考案すること」
「条件は3つ──手軽に食べられること、大量調理が可能なこと、そしてアードベルの名物として胸を張れること」
「各メニュー1日500食ずつを目安に、5品合わせて総計7500食分の提供を想定している」
数字の重みが、リーナの背にずしりとのしかかる。
「次に、大量調理レシピの作成」
「君の個人店用レシピを拡大版にして、失敗しにくい工程に設計し直してほしい」
「調理スタッフが理解しやすい手順書も必要だ」
「最後に、メイン調理スタッフ30人への指導計画」
「各メニューの要点・コツ・失敗回避法を効率よく教える方法を考えてほしい」
「味の基準と品質チェックポイントも明確にする必要がある」
リーナは深呼吸した。確かに大変な課題だが、一人で全てをやるわけではない。
* * *
「では、改めて役割の確認を」
マルセロが手帳を広げた。
「リーナ嬢:技術開発と品質監修」
「私:事業運営と資金管理」
「ガードルートさん:現場マネジメントと人員統括」
「ギルバートさん:素材確保と輸送」
団長がそれを受けて続けた。
「情報共有の仕組みも重要だ。全体会議は週2回、各担当は毎日の報告を」
「なにかあれば即連絡。連携を密に、ミスを減らすことが成功の鍵だ」
* * *
会議が終わりに近づくにつれ、リーナは心の奥で渦巻く感情を感じていた。
7500食という数字。6万人の祭りの一角を担う重圧。
けれど、それ以上に──「1人でやらなくていい」という事実が、心のどこかで確かな安堵になっていた。
「みなさんが分担してくださるなら......」
小さく息を吐いてから、リーナは口を開いた。
「私は、料理に集中すればいいんですね」
「ええ。事業面はすべて私たちが引き受けます」
マルセロがやわらかく頷く。
「現場のことは任せとけ。手間かけさせやしないさ」
ガードルートが太い腕を組む。
「素材はこっちで揃えよう」
ギルバートが短く力強く言った。
団長が最後に語りかける。
「リーナ。君の技術があってこその企画だ。皆で支えるから大丈夫だ」
その言葉に背中を押され、リーナはすっと立ち上がった。
胸の奥が、ふわりと熱くなる。
「ありがとうございます。私、精一杯頑張ります」
「この街の味を、たくさんの人に知ってもらえるように」
「技術のことは、どうぞ私に任せてください」
マルセロが手を叩いた。
「では、次回は1週間後。リーナのメニュー案をもとに始めましょう」
「レシピ事業の引継ぎもそのときに詰めていきましょう」
「この祭り、成功させるぞ!」
全員が立ち上がり、順に握手を交わした。
* * *
会議室を出て、夏の夕暮れの中を歩きながら、リーナは改めて事の重大さを噛み締めていた。
7500食分。6万人が来る祭りの中核を担う。
「大変なことになったなぁ...」
でも、みんなが支えてくれる。一人じゃない。
「よし、頑張るぞ!」
店に向かう足取りに、自然と力が入った。
「最高のメニューを考えよう!!」
夏至祭まで、あと3週間。
新しい挑戦が、いよいよ本格的に始まろうとしていた。