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夏至祭協議会、始動

 アンナの食卓の厨房で、リーナは今日の昼食の準備を進めていた。夏の暑さが本格的になったこの頃、冷たい料理の人気は日に日に高まっている。


「今日のメインはフェングリフのサラダチキンね」


 昨日仕込んでおいたサラダチキンに包丁を入れると、しっとりとした断面から肉汁がわずかににじむ。その上にかけるのは、野菜たっぷりのソース。キュウリ、玉ねぎ、パプリカを刻んでいくと、トントンという小気味よい音とともに、野菜の青く瑞々しい香りが弾けた。


 刻んだ野菜をボウルに移し、オリーブオイルと酢、砂糖、そして(ジャン)を加えて混ぜ合わせる。甘酸っぱい香りに(ジャン)の奥深い風味が重なって、食欲をそそる香りが生まれた。


「うん、さっぱりしてるけど、味はしっかり。冷たい鶏肉にぴったりね」


 リーナはスプーンの先でひとくち味を見て、うなずいた。


「お味噌汁は煮干し出汁にしよう」


 昨夜から水に浸しておいた煮干しを鍋に入れて火にかける。いい頃合いになると、香ばしい香りが立ち上がってきた。煮立ったら火を弱め、丁寧にアクを取りながら、煮干しを引き上げる。味噌を溶き入れると、まろやかで甘い香りが湯気に混じって漂った。


 仕上げに加えるのはワカメとシロネギ。味噌のまろやかさと磯の風味、シャキッとしたネギの香りが調和して、やさしい香りに包まれる。そして今日は、ヤマミドリ(フキ)の煮物もつけることにした。


「フキの下処理が一番大事よね」


 リーナは束ねたフキを流水で洗い、泥を落とす。たっぷりのお湯に塩をひとつかみ加えてフキを茹でると、青々とした香りが広がった。茹で上がったら冷水に取り、粗熱を取る。


 そのあとは、一本一本、指先で皮をつまんで引き剥がす。筋が剥けていく手応えは独特で、慣れていないと途中で切れてしまうこともある。けれどリーナの指先は迷いなく動き、すぐにすべての皮を剥き終えた。


「こうしておかないと、食べるときに筋が残って気になるんだよね」


 フキを四、五センチの長さに揃えて切る。出汁に(ジャン)と砂糖を加えて煮立たせた鍋に、フキを並べ、弱火で静かに煮含めていく。程よく時間が経つと、淡い緑だったフキが薄茶色に染まり、出汁の香りが鼻をくすぐった。一本を取り出して味見をすれば、シャクッとした歯触りとともに、出汁のうま味が舌に広がった。


「うん、いい色。味もちゃんと染みてる」


 リーナは満足そうに微笑んだ。



「いらっしゃいませ」


 昼の営業時間が始まると、いつもの常連客たちが続々と店に入ってきた。熱気のこもる夏の昼下がり、みな顔には汗を浮かべながらも、どこか浮き立った様子だ。


「今日も暑いですねぇ」

「でも、冷たい料理があるから助かりますよ」


 ひんやりとした鶏肉とさっぱりしたソースに、客たちの表情がゆるむ。味噌汁のやさしい香りと、出汁が染みたフキの風味に、フォークが進んだ。


「そろそろ、あれですね。夏至祭」


 汗を拭いながら、一人の商人風の男性が言った。


「夏至祭? 夏祭り的な感じですか?」

「ええ。屋台も出ますし、広場で演奏や舞なんかもあって。年に一度の楽しみですよ」

「リーナさんの料理が出たら、きっと大人気になりますよ」


「いやいや」とリーナは笑いながら手を振ったものの、何かやれたら面白いかもしれない。そんな気持ちが心の奥でひっそり芽吹いていた。


 昼の営業が終わり、後片付けをしていたリーナがふと顔を上げた。店の前にひときわ目立つ影が立っている。


「バルトロメオ団長?」


 声が漏れる。団長がこの時間に訪れるのは珍しい。しかも、いつもの穏やかな雰囲気とは違い、今日はどこか真剣な面持ちをしていた。


「リーナ、少し時間をもらえるか?」

「はい! もちろんです。こちらへどうぞ」


 リーナは手を拭きながら、団長を席に案内した。


「今日は甘いものは置いてあるか?」

「はい、エルダーベリージャムを乗せたスコーンがあります」

「それをひとつ。それと、今日は仕事の話だ」


 スコーンを受け取り、フォークで割りながら、団長は本題を切り出した。


「夏至祭のことだが、君も知っての通り、この街で一番の催しだ。今年は特に力を入れて、アードベルを美食の街として外にアピールしたいと思っている」


 リーナは黙って聞いていた。


「この数ヶ月で、君の料理は街の食文化を大きく変えた。魔物の肉を美味しく調理する技術、新しい調味料や調理法。街の人々の食生活が格段に豊かになった」


 団長の言葉に、リーナの胸の奥が熱くなった。


「この街全体の文化を、さらに発展させてアードベルの名物にしたい。そのための企画を考えているんだ」


「企画?」


「そう。夏至祭で、街全体を巻き込んだ料理企画だ。その中核を、君に担ってもらいたい」


 息をのんだ。


「私に……ですか?」


「もちろん、ひとりで背負うような話じゃない。商業ギルド、職人組合、冒険者ギルド。関係各所の協力を得て、ちゃんと体制を整えるつもりだ。『夏至祭協議会』なるものを立ち上げる予定でいる。明日、その話をする予定だ。もしよければ、君にも出席してほしい。話を聞くだけでも構わない」


「はい。分かりました」


 リーナはまだ戸惑っていたが、団長のまっすぐな目を見て、軽くうなずいた。



 翌日。リーナは騎士団本部の会議室にいた。長い楕円形のテーブルを囲むように、すでに何人かの人物が座っている。その中央に立つバルトロメオ団長が、場を見渡して口を開く。


「本日ここに、夏至祭協議会を発足する。この街の文化と誇りを、料理という形でも外に示すべく、各組織の力を集めたいと思っている。まずは、顔合わせだ」


 団長が手を差し向けた先で、一人の男性が椅子を引いて立ち上がった。


「商業ギルド長、マルセロ・ヴァレンティンです。よろしくお願いしますね、リーナ嬢」


 黒髪にグレーの混じるオールバックの男性が立ち上がった。派手な金刺繍入りの服を着ているが、その太めの体格と朗らかな笑顔は見覚えがある。


「あれ、マルセロさん?」


 団長が少し意外そうに眉を上げる。


「知り合いか?」

「はい、店によくいらっしゃる常連さんです! まさかギルド長だったなんて」


 マルセロは豪快に胸を震わせ、会議室に朗らかな笑い声を響かせた。


「君の店の料理が一番おいしいですから。商売人の顔は抜きにして、美味しいご飯を楽しんでいました」


 続いて立ったのは、腕組みをした女性だった。


「職人組合長、ガードルート・ハルトマンだ。よろしくな」


 がっしりとした体躯に、使い込まれた作業着。手には年季の入った革手袋。栗色の髪を後ろでざっくりとまとめたその姿も、見覚えがあった。


「ガードルートさんも!」

「君の料理の技術には、いつも感心させられてるんだよ。特に火加減と味付けのバランスが素晴らしい」


 ぶっきらぼうに言いながらも、確かな敬意がにじむ。


 最後に立ち上がったのは、鋭い光を宿す琥珀色の瞳の男だった。


「冒険者ギルド長、ギルバート・クレインだ」


 スキンヘッドに日焼けした肌、全身に古傷を刻んだその男もまた、リーナの店で黙々と料理を食べていた常連のひとりだった。


「ギルバートさん!」

「冒険者にとって飯は命綱だ。君の料理は、俺たちにとって生きる力だ」


 その言葉の重みに、リーナは背筋が伸びる思いがした


「いつものお客さんたちが、各組織の代表だったなんて」


 驚きと嬉しさに、リーナの緊張はすっかりほぐれていた。マルセロがにやりと笑って言う。


「この街で一番おいしいお店です。そりゃあ、通いますよね?」


 協議会の議題は、夏至祭に向けた大規模な料理企画についてだった。各組織から次々と、具体的な提案が出される。


「リーナ嬢の料理によって、街の食材流通量は三割以上増え、調理道具の売上も倍増しています。これは商業的にも大きな追い風です。祭での料理をきっかけに、さらに名を広げることができるはずです」


「大量調理には道具と人手が要る。器具の製作は、職人組合で引き受けよう。調理指導も可能だ」


「魔物肉の確保なら任せてくれ。ただし大量調理となると保存の問題が出てくるな」


「それなら、共用の冷蔵施設を活用すれば」


 リーナが口を挟んだ。


「つい最近完成した魔法陣式の冷蔵施設があります。あれを使えば、大量の食材を新鮮な状態で保存できます」


「さすがだな」


 団長が頷き、視線を皆に向ける。和やかな空気が会議室に流れたが、リーナの胸にはまだわずかな迷いが残っていた。


「でも、本当に私でいいんでしょうか。こんな大きなこと、私には」


 その不安を、マルセロが優しく打ち消した。


「だからこそ、私たちが集まっています。リーナ嬢は料理に集中してくれればいいんです。他の雑多なことは私たちが引き受けますから」


「道具と段取りは任せておけ。現場は、慣れてるからな」


「素材は俺たちが揃える。必要なものがあれば、遠慮なく言えよ」


 皆が次々に言葉を重ねる中で、リーナの中の迷いは、少しずつ薄れていった。


「リーナ。君がいなければ、この企画は始まらなかった。君の料理が、この街の食文化を変えた。君こそが、この企画の中心なんだ」


 しばらくの沈黙の後、リーナは口を開いた。


「やってみます」

「本当か?」


 団長の表情がぱっと明るくなる。


「はい。皆さんがいてくださるなら、私も頑張れそうです」

「それじゃあ決まりですね。『夏至祭協議会』ここに本格始動です!」


 ガードルートとギルバートも、力強く頷いた。心臓は高鳴っていたが、それは不安よりも、期待によるものだった。


 店の小さな厨房から始まった料理への情熱が、いま、街全体を巻き込む新たな挑戦へと広がろうとしていた。


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