エルダーベリーのジャム
朝の仕込みがひと区切りついたとき、鈴が小さくカランと鳴った。
「おはよう、リーナ」
振り返ると、ジュードが立っている。いつもより少し早い時間だった。
「おはよう、ジュード。今日は早いのね」
「ああ、実は今日から魔物退治で遠征に出るんだ」
リーナの手が止まる。
「遠征?」
「隣町の近くに凶暴な魔物が出たって報告があってな。二~三日は戻れないと思う」
ジュードは少し心配そうにリーナを見つめた。
「一人で大丈夫か?何かあったら騎士団に連絡してくれよ」
「大丈夫よ。気をつけて行ってらっしゃい」
リーナは笑顔で手を振ったが、その頬の筋はわずかに強張っていた。
「じゃあ、行ってくる」
「うん。無事に帰ってきてね」
店の扉が閉まる音が、静かに響いた。リーナはしばらくその扉を眺めていたが、やがて小さく息をついて気持ちを切り替える。
(よし、今日もやることやろう)
昼の営業を終えて片付けをしていると、店の扉が開いた。
「こんにちは、リーナ」
美しい金髪を揺らして、アデラインが店に入ってくる。
「アデラインさん! いらっしゃいませ」
「ジュードったら、出発前に『リーナを頼む』って念押ししてくるのよ。可愛いじゃない、あの子」
リーナの頬が、ほんのり赤くなる。
「気にかけに来てくれたんですか?」
「そういうこと。街でお買い物でもいいし、山で食材探しでも。今日は私が付き合うわ」
リーナは目を輝かせた。
「食材探し! お願いします」
「やっぱりね。リーナらしいわ」
三十分後、二人は街外れの山道を歩いていた。
「一人で山は危険よ。私が一緒なら安心じゃない?」
アデラインは腰の剣に手を添えながら、軽やかに山道を進む。
普段の優雅な雰囲気とは違い、騎士としての頼もしさが表れている。
「いつもジュードと来てたの?」
「はい。でも最近は一人で来ることもあって」
「危険よ。今度から私も連れてってちょうだい」
木漏れ日が差し込む山道を歩きながら、リーナは久しぶりの山の空気を楽しんでいた。
「あ!」
リーナが立ち止まる。
「どうしたの?」
「この香り……」
リーナは茂みに近づいて、緑の葉を手に取った。爽やかで独特な香りが指先に広がる。
「この香り……大葉だ!」
目を凝らすと、文字が浮かび上がる。
『大葉』
『品質:上級』
『特性:爽やかな香りと風味、薬味や香り付けに最適』
『用途:刺身の添え物、薬味、料理の風味付け』
「これ、すごくいい香りがするんです」
「へぇ、それ料理に使えるの?」
「はい! 薬味として使えそうです」
リーナは丁寧に大葉を一枚一枚摘み取り、籠に入れていく。さらに奥へ進むと、今度は大きな葉っぱが群生している場所に出た。
「これ、苦い雑草よね」
アデラインが眉をひそめる。
「ヤマミドリって呼ばれてる草」
でもリーナは興味深そうに近づいた。
(この形、フキに似てる……)
『ヤマミドリ』
『品質:上級』
『特性:独特の風味と歯ごたえ、適切に処理すれば美味』
『用途:アク抜き後、煮物や和え物に』
「あ、これフキみたい!」
「フキ?」
「えっと……適切に処理すれば美味しく食べられるんですよ」
リーナは慎重にヤマミドリの茎を何本か切り取った。
「リーナってすごいのね。雑草を食べ物に変えちゃうなんて」
「鑑定で視えましたから」
「便利じゃない」
山道をさらに登っていくと、紫黒い小さな実が房状になっている木を見つけた。
「あら、これエルダーベリーよ」
アデラインが指差す。
「食べたら酸っぱすぎて舌が痺れるのよ、それ」
でもリーナは興味深そうに実を見つめた。
鑑定を使うと……
『エルダーベリー』
『品質:最上級』
『特性:生では強すぎる酸味だが、加熱により酸味が和らぎ美味しくなる。加熱により美容成分も活性化』
『用途:砂糖と煮詰めると絶品。美容と疲労回復に効果』
リーナの目が輝いた。
「これ、加熱すると酸味が和らいで美味しくなるって出てます!」
「加熱?」
「はい。ジャムにしましょう。それに……美容と疲労回復にも良いみたいです」
「え?」
アデラインの声が一オクターブ上がった。
「美容に良いの? 本当に?」
「はい、鑑定でそう出ました」
「それは……素晴らしいじゃない! 加熱するなんて発想、なかったわ」
アデラインは目をキラキラさせながら、エルダーベリーを見つめた。
「疲労回復にも良いのよね? 騎士としてはありがたいわ」
二人は協力して、エルダーベリーをたっぷりと収穫した。
店に戻ると、リーナは早速エルダーベリーをジャムにすることにした。
「どうやって作るの?」
アデラインが興味深そうに覗き込む。
「実を水で軽く洗って、砂糖と一緒に煮詰めるんです」
鍋に実と砂糖を入れて火にかける。しばらくすると、紫色の美しい色が鍋に広がり始めた。
「わあ、綺麗な色!」
木べらでかき混ぜながら、実がつぶれてとろりとした質感になるまで煮詰める。甘酸っぱい香りが厨房に漂った。鼻をくすぐるような、少し大人っぽい香りだった。
「いい香り」
「完成です!」
美しい紫色のジャムが完成した。
「ちょっと味見してみましょう」
リーナはスプーンでジャムをすくって、アデラインに差し出す。
「美味しい!酸味と甘みのバランスが絶妙ね」
「パンに塗って食べたらもっと美味しいと思います。ソフィアさんのところに行ってみませんか?」
「素敵なアイデアね!」
パン屋に着くと、ソフィアが温かく迎えてくれた。
「リーナちゃん、アデラインさん!いらっしゃい」
「ソフィアさん、エルダーベリーのジャムを作ったんです。パンと一緒に食べていただけませんか?」
「まあ、エルダーベリー?あの酸っぱすぎる実を?」
ソフィアは驚いたような顔をした。
「加熱すると酸味が和らぐんです」
「綺麗な色ね!」
焼きたてのパンにジャムを塗って、三人で試食する。
「美味しい!」
「この酸味がパンの甘さと合って、とても上品ね」
「それに美容にも良いらしいの」
「本当? それは素晴らしいわ。街の女性たちにも教えてあげたい」
ソフィアの目が輝いた。
「でも食べ過ぎは糖分が心配だから、適量でお願いしますね」
リーナが付け加えると、二人はうなずいた。
「リーナちゃんはしっかりしてるわね」
「そうね、バランスを考えるのも大切だわ」
店に戻ってきた二人は、今日の収穫を整理していた。
「楽しい一日だったわ」
アデラインは満足そうに微笑んでいる。
「私も楽しかったです。ありがとうございました」
「それに新しい食材も見つかったし」
「ヤマミドリの料理も今度お店で出すのかしら?」
「もちろんです!アク抜きをすれば美味しく食べられますので」
「大葉も楽しみね」
夜が更けてくると、アデラインは立ち上がった。
「それじゃあ、今日はこの辺で。ジュードが帰ってきたら、お土産話を聞かせてあげてね」
「はい。今日は本当にありがとうございました」
「いつでも頼ってちょうだいね」
アデラインが帰った後、リーナは今日の収穫を眺めた。大葉、ヤマミドリ、そしてエルダーベリーのジャム。
(明日は、これで何を作ろうかな)
一人の夜が、少しだけ楽しみになっていた。




