ひとりごはんと肉巻きオクラ
朝の光が、二階の窓から差し込んでいた。
リーナは静かに目を開け、ぼんやりと天井を見上げた。
「……おはよう」
呟いた声は、どこにも返ってこない。その静けさが、ほんの少しだけ胸の奥をきゅっと締めつけた。
(そっか。今日から本当に、ひとりなんだ)
布団から体を起こすと、かすかな不安がよぎった。けれど、朝の空気を胸いっぱいに吸い込むと、その感情はすうっと薄れていった。
「よし、今日も頑張ろう」
そう口に出すと、不思議と背筋が伸びた。
一階に降りると、静かな店内が広がっていた。マルクの帳簿をめくる音も、アンナの鼻歌もない。
(……前にも一人で回したことあるし。大丈夫、大丈夫)
自分に言い聞かせながら、リーナは厨房へと向かう。
リーナは慣れた手つきで厨房の火を起こし、まずは出汁を取り始める。ツチタケとウミクサの合わせ出汁の香りが厨房に漂うと、いつもの調子が戻ってきた。
市場での買い出しも、今朝は自分のペースで進められた。野菜を見て回る時間が、いつもよりちょっと贅沢に感じられる。
「リーナちゃん、1人で大丈夫かい?」
八百屋のベラが心配そうに声をかけてくれる。
「はい。お気遣いありがとうございます」
一瞬だけ返事に迷ったけれど、笑顔で応えられた自分に、少しだけ安堵する。
そんな時、オクラを手に取った瞬間、ふと前世の記憶がよみがえった。
(そういえば、オクラの肉巻き美味しかったなぁ)
アースボア肉の薄切りもある。夏の暑さにオクラのねばねばとさっぱりした味が良さそうだ。
(ひとりだからこそ、自分のペースで、新しい料理に挑戦できるかも)
戻ってきたリーナは、さっそく厨房に立った。オクラを水で洗い、先端のガクをくるりと剥いていく。表面の産毛が水に濡れ、細やかな緑が透けて美しい。
アースボア肉の薄切りを広げると、繊細な赤身に白い筋が走っていた。軽く塩をふり、おろしたてのショウガを指先でそっとのせる。
次に、小麦粉を振ると、肉の表面がうっすらと白くなる。
「……うん、いい感じ」
オクラを芯にして、肉をくるくると巻いていく。指先に伝わる弾力と、巻き終わりのぴたりとした手応えに、小さな達成感が生まれる。
フライパンに油を熱し、巻き終わりを下にして並べる。じゅわっ……と油がはねる音とともに、ショウガと肉の香りが広がった。転がすたびに、焼き色がじわじわと深まっていく。きつね色になったところで少量の水を加え、蓋をして蒸し焼きに。しゅうしゅうと水蒸気が踊り、フライパンの中で旨味が閉じ込められていく。
最後に、砂糖と醤を合わせたタレを絡めれば、甘辛くて香ばしい香りが店中に広がった。器に冷水でパリッとさせたレタスを敷き、その上に肉巻きを丁寧に並べる。刻みネギをぱらりと散らし、トマトを添えて――見た目も鮮やかな一皿が完成した。
「うん、美味しそう!」
自然と笑みがこぼれる。
昼営業が始まると、常連たちが次々と顔を出した。
「リーナちゃん、今日のお昼は何だい?」
大工のトムが、厨房を覗きこむようにカウンターに座る。
「アースボア肉で、オクラを巻いてみました」
「巻く?」
「こんな感じで……くるくるって」
リーナが手振りで示すと、トムは面白そうにうなった。
「へぇ、変わったことするなぁ……おっ、うまそうだ」
ひと口食べたトムの眉が、ぐっと上がった。
「うん、うん! これいいぞ! 肉のコクがしっかりあるのに、オクラのねばねばがさっぱりさせて……食べ過ぎちゃうな」
隣の靴屋のおじさんも、目を丸くしながら箸を動かす。
「このタレ……甘すぎなくて、夏でも重くないね」
みんなの箸が止まらず、気がつけば皿の上は、あっという間に空になった。常連客たちの反応を見ていると、一人で新しい料理に挑戦した充実感が湧いてきた。
(一人でも、案外うまくやれるじゃん私!)
昼の営業が終わると、店内に再び静けさが戻ってきた。リーナは客席を片づけながら、ふと手を止める。
(お疲れさまって、誰にも言えないんだな……)
そんな当たり前のことが、今は少しだけ胸に堪える。けれど、それでもリーナは顔を上げた。一人でやれることが増えたことは、ちゃんと嬉しい。そして、その寂しさを感じることは、きっと大切なのだと思えた。
「これは明日の仕込みにして……こっちは、今片付けちゃおう」
自分で決めて、自分のペースで動ける自由さ。調味料をひと瓶倒してしまった時も、「まあ、いっか」と笑って拭き取る。
(少しは、肩の力が抜けてきたかも)
夕方になり、リーナは自分のためだけに食事を用意した。フェングリフのそぼろと卵をふわりと重ねた親子丼。味噌汁には、薄く切ったシロネギと、うま味を含んだツチタケを入れて。
「いただきます」
両手を合わせてから、静かにひと口。温かいごはんと汁物が、体の奥にゆっくりと染みわたっていく。
(やっぱり、誰かと食べるって特別なんだな)
夜の営業も一段落したその時。
カラン、と扉が開いた音がして、顔を上げる。
「よお、調子はどうだ?」
ジュードだった。リーナの顔に、自然と笑みが広がる。
「ジュード! いらっしゃい。今日ね、新しい料理作ったの。食べてみてほしいな」
「新作? おお、いいね。何?」
「オクラの肉巻き。昼に出したらすごく好評でね」
「へぇ、肉巻きか。楽しみだな」
さっそくリーナはオクラとアースボア肉を取り出し、手際よく調理を始めた。焼ける音、立ちのぼる甘辛い香り。ジュードは香りだけで早くも目を細めている。
「うわ、もう絶対美味いやつだ」
焼き上がった肉巻きを運び、そっと差し出す。ジュードが一口食べて、いつものように目を輝かせる。
「うまっ! オクラのねばねばがいいなこれ。肉の脂と絡んで、タレも抜群。見た目も綺麗だし」
「ふふ、気に入ってもらえてよかった」
ジュードに食事を出しながら、リーナはぽつぽつと話し出した。
「今日ね、一人でも案外うまくいったの。買い出しも、仕込みも、営業も」
「そっか、さすがだな」
「でもやっぱり、ひとりで食べるのは少し、さみしいなって思った。誰かと一緒にいる時間の方が、あったかいなって」
その言葉に、ジュードは少し照れたように目をそらし、ごはんをかき込む。
「……じゃあ、明日も様子見に来ようか?」
「え? いいの? 騎士団の仕事は?」
「夜なら大丈夫だ。それに……」
ジュードは言いかけて、ちょっと言葉に詰まる。そして、目元を緩めて言った。
「リーナの料理、食べたいから」
「ふふ、ありがとう」
ジュードが帰った後、リーナは一人で片付けを済ませた。夜の静けさは確かに少し寂しいけれど、嫌いじゃない。
(ちゃんと一日を終えられた)
二階に上がる階段をゆっくり踏みしめながら、リーナは思う。
(明日は、どんな料理を作ろうかな)
窓の外では、夏の虫が静かに鳴き始めていた。小さな音の重なりが、夜をやさしく包みこんでいく。リーナはその音に耳を傾けながら微笑んだ。




