夏野菜の焼きびたしと赤い冷製スープ
朝の市場は、初夏の光に包まれていた。
日差しは強くなり、風にも熱気を含んできたが、色とりどりの夏野菜たちは、生き生きと輝いている。真っ赤なトマト、艶やかなナス、鈍く光るズッキーニ、鮮やかな黄と赤のパプリカ、そして産毛の残る緑のオクラ。リーナは籠を片手に、品定めをしていた。
「リーナちゃん、今日はずいぶんと買い込むのね」
隣から声をかけてきたのは、ベラだ。
「はい、新しい料理に挑戦しようと思って。夏にぴったりの、冷たくて食べやすいものを作りたくて」
「冷たい料理……それは楽しみだわ」
リーナは軽く笑って頷くと、たっぷりの夏野菜を籠に詰めた。重みと色彩がずっしりと腕に伝わってくる。暑さに負けないような料理を、この野菜たちで作るのだ。
店に戻ると、すぐに厨房へと向かった。
まずは焼きびたしの準備から始める。鍋にツチタケとウミクサでとった出汁を注ぎ、弱火にかける。
立ち上る香りは、ほんのり海と土を思わせる優しい香り。そこへ、ほんの少しの醤と砂糖、そして最後におろしたての生姜を加えると、一気に涼やかな風が吹いたように、香りが引き締まった。
「ほう、ええ香りじゃの」
マルクが厨房を覗き込む。
「タレを作っています。これに野菜を漬け込んで、冷やして食べる料理です」
「冷たい料理か。暑い季節にはありがたいのう」
オクラは塩で板ずりし、産毛が落ちて鮮やかな緑が顔を出す。ナスは紫の皮を残しつつ、油が染みやすいように切り分け、ズッキーニは断面の種が美しく見えるよう輪切りに。パプリカを切ると甘い青臭さが弾けた。
熱したフライパンにたっぷりのオリーブオイルを垂らすと、じゅわっと軽やかな音が立つ。オクラを並べ、ほんのり焦げ目がつくまでじっくり焼く。焼きたての熱が残るうちに、準備しておいた出汁のタレに浸せば、じわじわと味が染み込んでいく。
続いてナス。ジュッと油を吸い込む音が心地いい。揚げ焼きのように仕上げて、こちらも熱いうちにタレの中へ。
「熱いうちが大事なのね」
今度はアンナが興味深そうに見ている。
「はい。冷めてからだと、表面で止まっちゃうんです。中までしっかり味を入れるには、このタイミングが一番で」
ズッキーニも、パプリカも、油の熱で甘さが引き立つ。すぐにタレにくぐらせて、色と香りを閉じ込めた。
粗熱が取れたところで、魔石冷蔵庫に入れる。透明な容器の中に並んだ色とりどりの野菜たちが、出汁の中で静かに佇んでいる様子は、見た目にも美しい。
次は冷製スープの準備だ。
完熟のトマトを手に取り、皮ごとすりおろしていく。
おろし金に当たるたび、赤い果肉がじゅくじゅくと潰れていき、甘くて青くてほのかに酸っぱい香りがふわりと漂う。包丁では出せない、とろりとした質感と、濃厚な風味が生まれていく。
「トマトをおろすなんて、思いつきもしなかったわ」
アンナは手を止めて感心した。料理への探究心は、いつ見ても素晴らしいものだと思う。
「おろすと、繊維も溶けて口当たりがまろやかになります。それに、トマトの水分と旨味が一体になるので」
塩をほんの少し。甘さを引き出すために、隠し味の砂糖をひとつまみ。そして香りづけにオリーブオイルを静かに回しかけ、木べらで丁寧に混ぜ合わせた。スープはつややかに赤く、光の加減で金色がかかったようにも見える。
「まるで果汁みたいじゃの」
マルクの声には驚きが混じっている。
「トマトって、すりおろすとこんなに水分が出るんですよ」
リーナはふふっと笑みを浮かべ、そっと冷蔵庫の中へスープを収めた。
昼時を迎え、しっかり冷やしておいた料理を取り出す。
タレに漬け込んだ煮浸しは、野菜の輪郭がくっきりと残っていながら、つややかな光沢をまとっている。ナスは淡く紫色がにじみ、ズッキーニやパプリカは色鮮やかなまましっとりと馴染んでいる。香りをかぐだけで、出汁の優しさと野菜の甘みが想像できた。
赤いスープは冷えた器の表面にほんのりと水滴を浮かべていて、見た目にも涼しさを感じさせる。トマトの香りに、オリーブオイルのまろやかなコクが溶け込み、ひと口味わう前から口の中が潤ってくるようだった。
「試食、お願いします」
リーナは小皿に盛りつけた料理をマルクとアンナに差し出した。 マルクがナスをひと口かじる。とろんとした食感のあと、目を見開いた。
「これは……冷たいのに、こんなに旨いとは。出汁が芯まで染みておる」
「うん。パプリカの甘さが引き立ってるわ」
アンナも驚いたように笑みを浮かべる。フォークを持つ手が止まらない様子だ。
「口に入れた瞬間、ジュワッと広がって……優しい味」
続いて、冷たいスープをひと口。
「まあ……フルーツみたい!」
アンナの驚きの声が厨房に響く。冷たいスープの香りが、まだほのかに空気中に漂っている。
「でも甘すぎなくて、後味がすっきりしてる」
「トマトの自然な甘さを活かしています」
リーナの説明に、アンナは感心したように何度も頷いた。こうして新しい味に感激している瞬間を見るのは、いつも嬉しいものだ。
「冷やすことで酸味が目立たなくなって、より爽やかになるんですよ」
「これは夏にぴったりじゃな」
マルクは深く頷きながら、もう一口スープを口に含んだ。その表情には満足そうな笑みが浮かんでいる。
「こうして少し置いておくと、さらに味が馴染んでくるのか。作り置きにも良さそうじゃのう」
夕方になると、焼き浸しもスープもさらに味が馴染み、完成された仕上がりに。夜の営業では、常連客たちにも自信を持って提供した。トムが煮浸しを一口食べて、驚いた表情を浮かべる。
「うまい!野菜だけなのに、こんなに満足感があるなんて」
「冷たくてさっぱりしてるのに、しっかり味が付いてるのがすごいな」
ハンスも感心している。普段は肉料理を好む彼が、野菜料理をこれほど褒めるのは珍しいことだ。
「トマトスープも美味しいわ。夏の仕事終わりに最高ね」
ソフィアが嬉しそうに言う。パン作りで火を使う仕事をしている彼女には、冷たい料理は特に嬉しいだろう。
「野菜がこんなに甘くなるなんて、知らなかったな」
「きっと夏野菜の売れ行きも伸びるわね。ベラさん、喜ぶわよ」
「リーナちゃんがいれば、本当に安心ね」
アンナの声には、深い信頼が込められている。
「私たちが少しずつ手を離していっても……この店は大丈夫だって思えるもの」
リーナは静かに息を吸い込んだ。この人たちが積み重ねてきたもの。その重みを、少しずつ受け取っていく。まだ完璧ではないけれど、一歩ずつ、確かに前に進んでいる。そう思えることが、嬉しかった。




