表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
33/126

便利な道具と職人の技

 翌朝、「アンナの食卓」の厨房では、リーナが仕込みの手を動かしながら、昨日決まった魔石冷蔵庫のことを思い返していた。


(金貨三十枚か……大きな投資だけど、これで料理の幅が広がるなら、絶対に元は取れる!)


 そう考えていた矢先、店の扉が控えめにノックされた。


「おはようございます。魔法技師のダンテ・ハイムと申します」


 振り返ると、真面目そうな中年の男性が立っていた。短く刈り込まれた髪に、測定用具の入った革鞄。言葉少なながらも整った身なりと表情に、職人らしい信頼感が滲んでいる。


「リーナです。よろしくお願いします」


「では、早速設置場所を確認させていただいても?」


 ダンテは厨房を見渡すと、調理台の横の壁際を指さした。


「こちらの角が適しているかと。かまどの熱の影響を避けられますし、動線も悪くありません」


 几帳面にメモを取りながら、淡々と続ける。高さは一・五メートル、幅は一メートル程度。肉類で三日、野菜なら一週間は保存できるという。

 リーナは頷きながら、脳内で配置をシミュレーションする。魔石への魔法付与に時間がかかるため、納品までは一週間かかるとのことだった。


「費用は金貨三十枚で、前払いでお願いします」


「分かりました。問題ありません」


 リーナは迷わず応じた。料理教室とレシピ販売で得た資金が、ようやく役に立つときが来たのだ。

 ダンテは続けて、街の共用冷蔵施設の件にも触れた。噴水広場近くの空き地に、大型の魔法陣式のものを設置するという。十店舗の利用を想定していて、完成は三週間後を予定しているそうだ。広げられた図面には、魔法陣と石造りの構造が丁寧に描かれていた。


 静かに礼をしてダンテが去ると、リーナは厨房に立ち尽くした。さっきまで彼がいた場所に目を向けながら、ふっと息をつく。


(魔石冷蔵庫が来るなら……前よりもっと、いろんな料理ができるかもしれない)


 そんな思いが、ふと前世の記憶を呼び起こした。


(冷蔵庫かぁ……前は当たり前のように毎日使ってたな)


 庫内の明かり、開けるたびに冷気が漂う感覚、保存していた食材たち。便利な道具に囲まれていたあの頃。冷蔵庫だけじゃない。キッチンには、調理を支えてくれる小道具がいくつもあった。


(そういえば、料理で便利だった道具って他にもたくさんあったっけ)


 記憶の奥底から浮かんでくる――


 菜箸。しゃもじ。落とし蓋。味噌こし。玉子焼き器。


(でも、今世で見たことないな……東方の商人なら、知っているかもしれないけど)


 頭の中に浮かんだのは、かつて当たり前だったけれど、今の暮らしにはまだ存在しない「道具たち」。自分で作れないなら、作ってもらえればいいのでは?


 そのとき、昼の営業準備のために外から届いた野菜の匂いが、再び現実へとリーナを引き戻した。


 昼の営業がひと段落ついたころ、店の扉が開いた。顔を見せたのは、大工のトムと鍛冶屋のハンス。どちらも「アンナの食卓」の常連で、リーナとも気軽に話せる仲だ。


 今日のお任せは、ストームホーンのそぼろ丼。お味噌汁とピクルスもついた、がっつり食べられる定食だ。二人は嬉しそうに席に着き、リーナが手際よく盛り付けた湯気の立つ器を前に、勢いよく食べ始めた。


「うめぇな、このそぼろ……甘辛のバランスが絶妙だ」


「味噌汁もうまい。沁みるねぇ……」


 満足そうな表情を浮かべながら食べ進める二人を見て、リーナは少し緊張した面持ちで声をかけた。


「あの……ちょっとご相談が」


 トムとハンスは顔を見合わせ、興味深そうに身を乗り出した。


「調理器具?」


「はい。揚げ物の時とかに使うんですが、もっと長くて、先が細いつかむための棒が欲しくて……」


「棒でつかむ? トングみたいなやつか?」


「そ、そういうのじゃなくて……細い棒を二本、指で挟むように使って……えっと、東方の商人さんが話してたような……気がして……」


 言いながら、リーナはちょっと視線を逸らして笑った。


「なるほど。木で作るなら簡単そうだな」


 トムが頷く。リーナは少し安心したように続けた。ご飯専用の平たいへら。お味噌を溶かすための網状の道具。四角い小さなフライパン。煮物で使う小さな蓋。一つ一つ、手振りを交えながら説明していく。


「味噌を溶かす?」


 今度はハンスが興味津々といった様子で身を乗り出した。


「網のようになっていて、中に味噌を入れて、お汁の中でゆっくり溶かせるような感じです」


「ほう、それは面白い。鉄で網を組むのは得意分野だ。任せとけ」


「本当ですか!?」


 思わず声が弾んでしまうリーナ。


「四角いフライパンってのは? 丸じゃなくて?」


「はい、卵焼きを巻くのに便利なんです。四角だと形がきれいに仕上がります」


 ハンスは腕を組んで頷いた。


「なるほどな……けど、リーナちゃん、よくそんな細かいこと知ってるね?」


「え、ええと……東方の商人さんから聞いたことがあって……」


 リーナはまた、ほんの少し目をそらしてごまかした。


「なるほどな。東方って、道具も料理も奥が深そうだ」


「よし、作ってやろう。材料費はリーナちゃんが出してくれるんだろ?」


「もちろんです!」


「技術料は……そうだな。できあがった道具を使った新作料理で返してくれたらいい」


 ハンスがにやりと笑い、トムも楽しそうに頷いた。魔石冷蔵庫の設置に合わせて使いたいというリーナの希望にも、二人は快く応じてくれた。まずは試作品を仕上げて、使い心地を見てから本格的に作る、という流れで話はまとまった。


 二人が帰ったあと、リーナは静かになった厨房で、片付けをしていた。手は動かしながらも、心の中は今日の会話でいっぱいだ。


(本当に、作ってもらえることになった……)


 菜箸があれば、揚げ物がもっと安全にできる。しゃもじがあれば、ご飯もふんわりよそえる。味噌こしがあれば、お味噌汁作りもぐっと楽になる。


(あんな簡単な説明で分かってもらえるなんて、職人さんってすごい)


 新しい道具たち。冷蔵庫と一緒に届く、未来への小さな鍵たち。


(一週間後。新しい道具と冷蔵庫で、どんな料理が作れるかな)


 窓から差し込む夕日が、厨房の棚や器を黄金色に染めていた。

 その光の中で、リーナの心は未来の料理の風景へと静かに弾んでいた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ