便利な道具と職人の技
翌朝、「アンナの食卓」の厨房では、リーナが仕込みの手を動かしながら、昨日決まった魔石冷蔵庫のことを思い返していた。
(金貨30枚か……大きな投資だけど、これで料理の幅が広がるなら、絶対に元は取れる!)
そう考えていた矢先、店の扉が控えめにノックされた。
「おはようございます。魔法技師のダンテ・ハイムと申します」
振り返ると、真面目そうな40代の男性が立っていた。短く刈り込まれた髪に、測定用具の入った革鞄。言葉少なながらも整った身なりと表情に、職人らしい信頼感が滲んでいる。
「あ、リーナです。よろしくお願いします」
「こちらこそ。では、早速設置場所を確認させていただいても?」
「はい、どうぞ」
ダンテは厨房を見渡すと、調理台の横の壁際を指さした。
「こちらの角が適しているかと。かまどの熱の影響を避けられますし、動線も悪くありません。高さは1.5メートル、幅は1メートル程度を予定しています」
リーナは頷きながら、脳内で配置をシミュレーションする。
「どのくらい保存できるんですか?」
「肉類で3日、野菜なら1週間は問題ありません。ただ、魔石への魔法付与に時間がかかるため、納品までは1週間いただきます」
几帳面にメモを取りながら、淡々と続けるダンテ。
「費用は金貨30枚で、前払いでお願いします」
「分かりました。問題ありません」
リーナは迷わず応じた。料理教室とレシピ販売で得た資金が、ようやく役に立つときが来たのだ。
「それから、街の共用冷蔵施設の件ですが」
「あっ、そちらも進んでるんですか?」
「はい。噴水広場近くの空き地に設置が決まりました。大型の魔法陣式で、10店舗の利用を想定しています。完成は3週間後を予定しています」
広げられた図面には、魔法陣と石造りの構造が丁寧に描かれていた。
「何かご質問はありますか?」
「いえ、特にありません。ありがとうございます」
「それでは、1週間後にまた伺います」
静かに礼をしてダンテが去ると、リーナは厨房に立ち尽くした。さっきまで彼がいた場所に目を向けながら、ふっと息をつく。
(魔石冷蔵庫が来るなら……前よりもっと、いろんな料理ができるかもしれない)
そんな思いが、ふと前世の記憶を呼び起こした。
(冷蔵庫かあ……前は当たり前のように毎日使ってたなあ)
庫内の明かり、開けるたびに冷気が漂う感覚、保存していた食材たち。便利な道具に囲まれていたあの頃。冷蔵庫だけじゃない。キッチンには、調理を支えてくれる小道具がいくつもあった。
(そういえば、料理で便利だった道具って他にもたくさんあったっけ)
記憶の奥底から浮かんでくる――
菜箸。しゃもじ。落とし蓋。味噌こし。玉子焼き器。
(でも、今世で見たことないな……東方の商人なら、知ってるかもしれないけど)
頭の中に浮かんだのは、かつて当たり前だったけれど、今の暮らしにはまだ存在しない「道具たち」。自分で作れないなら、作ってもらえればいいのでは?
そのとき、昼の営業準備のために外から届いた野菜の匂いが、再び現実へとリーナを引き戻した。
* * *
昼の営業がひと段落ついたころ、店の扉が軽やかに開いた。
「よお、リーナちゃん!」
「今日も美味しいの頼むぜ」
顔を見せたのは、大工のトムと鍛冶屋のハンス。どちらも「アンナの食卓」の常連で、リーナとも気軽に話せる仲だ。
「いらっしゃいませ。今日のお任せは……ストームホーンのそぼろ丼です! お味噌汁とピクルスもついて、がっつり食べられる定食にしてみました」
「そぼろ丼! そいつは嬉しいねぇ!」
トムが嬉しそうに両手をこすり合わせ、ハンスもにんまりと笑って席に着いた。
リーナは手際よく盛り付けを終え、湯気の立つ器を2人の前に並べる。
「お待たせしました。どうぞ召し上がれ」
「いただきます!」
2人は木のスプーンを手に取り、勢いよく食べ始めた。
「うめぇな、このそぼろ……甘辛のバランスが絶妙だ」
「味噌汁もうまい。沁みるねぇ……」
満足そうな表情を浮かべながら食べ進める2人を見て、リーナは少し緊張した面持ちで声をかけた。
「あの……ちょっとご相談があるんですけど」
「ん? 何だい、リーナちゃん」
「えっと……新しい調理器具を作っていただけないかと思って」
トムとハンスは顔を見合わせ、興味深そうに身を乗り出した。
「調理器具?」
「はい。揚げ物の時とかに使うんですが、もっと長くて、先が細いつかむための棒が欲しくて……」
「棒でつかむ? トングみたいなやつか?」
「そ、そういうのじゃなくて……細い棒を2本、指で挟むように使って……えっと、東方の商人さんが話してたような……気がして……」
言いながら、リーナはちょっと視線を逸らして笑った。
「なるほど。木で作るなら簡単そうだな。どのくらいの長さがいいんだ?」
「このくらい……30センチほどでしょうか」
リーナは両手で空中に目安の長さを示す。
「なるほど。他にもあるかい?」
「はい、ご飯専用の、こう……平たいへらも。ご飯を潰さずに盛り付けできるようなものです」
「ふむふむ、木で薄く削れば作れそうだな」
「それと、お味噌を溶かすための道具も……」
「味噌を溶かす?」
今度はハンスが興味津々といった様子で身を乗り出した。
「網のようになっていて、中に味噌を入れて、お汁の中でゆっくり溶かせるような感じです」
「ほう、それは面白い。鉄で網を組むのは得意分野だ。任せとけ」
「本当ですか!?」
思わず声が弾んでしまうリーナ。
「他にも、四角い小さなフライパンとか、煮物で使う小さな蓋とか……」
「四角いフライパン? 丸じゃなくて?」
「はい、卵焼きを巻くのに便利なんです。四角だと形がきれいに仕上がるんですよ」
ハンスは腕を組んで頷いた。
「なるほどな……けど、リーナちゃん、よくそんな細かいこと知ってるね?」
「え、ええと……東方の商人さんから聞いたことがあって……」
リーナはまた、ほんの少し目をそらしてごまかした。
「なるほどな。東方って、道具も料理も奥が深そうだ」
「よし、作ってやろう。材料費はリーナちゃんが出してくれるんだろ?」
「もちろんです!」
「技術料は……そうだな。できあがった道具を使った新作料理で返してくれたらいい」
ハンスがにやりと笑い、トムも楽しそうに頷いた。
「ぜひ!楽しみにしててください!」
「魔石冷蔵庫の設置に合わせて使いたいので、それまでに作っていただけたら嬉しいのですが……」
「冷蔵庫!?すげぇな、リーナちゃん」
「それなら間に合わせるよ。まずは試作品を仕上げて、使い心地を見てから本格的に作る、でいいかい?」
「はい、ありがとうございます!」
* * *
2人が帰ったあと、リーナは静かになった厨房で、片付けをしていた。手は動かしながらも、心の中は今日の会話でいっぱいだ。
(本当に、作ってもらえることになった……)
菜箸があれば、揚げ物がもっと安全にできる。しゃもじがあれば、ご飯もふんわりよそえる。味噌こしがあれば、お味噌汁作りもぐっと楽になる。
(あんな簡単な説明で分かってもらえるなんて...職人さんってすごい)
新しい道具たち。冷蔵庫と一緒に届く、未来への小さな鍵たち。
(1週間後...新しい道具と冷蔵庫で、どんな料理が作れるかな)
窓から差し込む夕日が、厨房の棚や器を黄金色に染めていた。
その光の中で、リーナの心は未来の料理の風景へと静かに弾んでいた。