夏を乗り切る冷しゃぶサラダ
かすかな風がカーテンを揺らす中、リーナとロドリックは厨房で向き合っていた。ロドリックから騎士団の夏の食欲不振について相談を受け、冷たい料理を提案したリーナ。今、その挑戦が始まろうとしている。
「それでは、早速始めましょうか」
リーナは前世の記憶を頼りに、頭の中で手順を整理する。
(冷しゃぶサラダ……茹でた肉を冷やして、野菜と一緒にタレで食べる料理。アースボアの肉でも応用できるはず)
「どんな料理を作るのか、改めて教えていただけますか?」
ロドリックが静かに尋ねる。その瞳には、料理人としての好奇心と敬意が宿っていた。
「アースボア肉を薄く切って茹で、冷やしてから野菜と合わせて食べる、夏向きの冷たい料理です」
「茹でるのですか……焼くのではなく?」
「はい。薄切りにしてさっと茹でることで、硬い肉も柔らかくなりますし、余分な脂も落ちて、暑い季節にぴったりなんです」
リーナは包丁を取り出し、アースボアのもも肉を丁寧に薄切りにしていく。二ミリほどの厚さに揃えると、ロドリックが感心したように唸った。
「なるほど……薄切りにすることで火の通りを良くするのですね」
「そういうことです」
鍋にたっぷりのお湯を沸かし、塩を少し加える。湯がぐらぐらと沸いたところで、リーナは肉を一枚ずつ、丁寧に湯にくぐらせていく。
「わっ、すぐに色が変わる」
「薄いので、あっという間です。火を通しすぎると固くなるので、色が変わったらすぐに引き上げてください」
リーナは肉を素早く引き上げ、ざるに上げていった。茹で時間はほんの数十秒。湯気が上がる中で、白くなった肉が湯から現れる様は、見ていて飽きない光景だった。
「では、冷ましている間に野菜とタレの準備をしましょう」
キャベツときゅうりを千切りにし、水にさらしてしゃきっとさせる。ロドリックも黙々と包丁を動かしながら、その手際の良さを見せる。
「次はタレを作りましょう。二種類作ってみたいと思います」
リーナは二つの器を用意した。
「まずはゴマダレから。マヨネーズ、砂糖、味噌……よく混ぜて。ここに醤と酢、すりゴマを加えて、さらに混ぜます」
白くまろやかな液体が、しだいに香ばしい香りを放ち始める。甘味と塩味、そしてゴマの香りが調和し、鼻先をくすぐった。
「……これは、食欲をそそる香りですね」
ロドリックが目を細めて言った。
「ですよね。もう一つは醤ベースの特製ダレです。少し手間はかかりますが、そのぶん美味しいですよ」
リーナは玉ねぎ、にんにく、生姜を粗みじんに刻み、赤唐辛子の種を取り除いて小口切りにする。
小鍋に醤と砂糖を入れて火にかけ、砂糖が溶けたところで刻んだ香味野菜と炒りゴマを加える。
ジュッという音と共に立ち上る湯気。厨房全体に甘辛く、香ばしく、少し刺激のある香りがふわりと広がった。
「十分ほど経ったら火から下ろして、粗熱を取ります」
リーナが鍋を火から下ろすと、香味野菜の甘みや辛みが凝縮された香りが、最後のひと押しのように厨房を満たした。
「では、盛りつけましょうか」
冷ましたアースボア肉は、程よく引き締まり、うっすらと脂の艶をまとっていた。リーナはよく水を切ったキャベツときゅうりの千切りを皿にふんわりと盛り、その上に茹でた肉を丁寧に並べていく。
「このままでも十分に美しいですが、タレが引き立て役になるのですね」
「はい。タレが絡むことで、肉の旨味と野菜の食感が引き立ちます」
リーナは、香り高いゴマダレと、艶のある醤油ダレをそれぞれ小皿に注いで脇に添える。見た目にも涼やかな「冷しゃぶサラダ」が完成した。
「まるで夏の庭園のようだ……」
ロドリックが静かに呟く。
夕方、「アンナの食卓」の扉が開く。
「おお、リーナと……ロドリック? 今日はどうしたんだ?」
ガレスが軽快に声をかけてきた。後ろからジュードたちも続く。
「今日は夏向けの新しい料理を試してみました。よければご意見を聞かせてください」
ロドリックが少し誇らしげに言った。
「冷たい肉料理って、ちょっと不思議な感じがするな」
ジュードが首をかしげる。
「まあまあ、まずは食べてみて?」
リーナが笑顔で皿を差し出した。一口食べたガレスが、目を見開く。
「うめぇ!」
冷たいのに、ちゃんと旨味がある。しかも後味が軽やかだ。アデラインが頷き、ルークも笑顔で続けた。野菜と一緒に食べると、さっぱりとした清涼感が口いっぱいに広がる。唐辛子のピリッとした刺激が、ただのサラダではない印象を与えていた。
「これなら夏でもバクバク食えるぞ」
ジュードが笑いながら、親指を立てる。
「唐辛子には食欲を刺激したり、発汗を促す作用があるので、暑い日にはぴったりですよ」
リーナの説明に、皆が感心したように頷いた。やがて、ロドリックが皿の前で目を閉じた。ふっと空気が変わる。誰もが自然と、彼の口元に注目していた。
「……この味は、陽射しの強い庭に吹き抜ける一陣の風だ」
誰も言葉を挟まず、ただその言葉に耳を傾ける。
「白いゴマが大地の恵みを奏で、唐辛子の赤が燃えるような生命力を宿す。だがそれは決して暴れず、冷たき野菜の静謐と交わって……一皿の中に、夏の輪舞が舞っている」
「で、出た……」
ジュードが苦笑しながらも、どこか嬉しそうだ。ロドリックの詩的な表現に慣れている騎士たちは、それぞれ苦笑いを浮かべながらも、彼の言葉が的を射ていることを認めていた。確かに、この料理なら暑い夏も楽しくなりそうだ。
「ぜひ、騎士団厨房でも取り入れてみてください。レシピはまとめておきますね」
リーナが差し出した紙を、ロドリックは真剣な面持ちで受け取った。
「ありがとうございます」
騎士団が帰った後、厨房に静けさが戻る。リーナは使った道具を片付けながら、今日の成果を振り返っていた。
(冷しゃぶサラダ、大成功だったな)
自然と頬が緩む。だが、ふと思い出す。
(冷たい料理って、もっと工夫できるかも。冷製スープや、冷たいお菓子……)
だが、この世界には冷蔵庫がない。……そう思った瞬間、ある言葉がよみがえる。
(前にロドリックさんが、騎士団の厨房には魔石で冷やす仕組みがあるって言ってたっけ)
(そうか、この世界にも冷蔵システムはあるのね。前世の記憶と現実が混ざって、この世界の常識を見落としてた)
リーナの目が輝く。
「ジュードに団長と会えるか聞いてみよう。団長も甘いお菓子の話なら聞いてくれるはず」
彼女の視線の先には、まだ見ぬ夏のご馳走が、すでに浮かんでいた。




