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チャーハンと夏への準備

「アンナの食卓」の2階には、午後のやわらかな光が差し込んでいた。木の床に陽だまりができ、窓から入る風がカーテンを揺らしている。


木製のテーブルを囲んで、今日もいつもの顔ぶれが集まっていた。


週2回の料理教室。通い続けるうちに、参加者たちの手つきもすっかり慣れたものになってきている。


街の主婦たちに、パン屋のソフィア、大工のトム。そして、騎士団厨房の料理人ロドリック。


「今日は、新しい料理に挑戦してみましょう」


リーナが笑顔で声をかけると、場の空気がふっと明るくなった。


「どんな料理?」


ソフィアが目を輝かせて尋ねる。


「チャーハンという料理です。ご飯を炒めて作るんですよ」


「ご飯を炒める!?」


「そんなの初めて聞いたわ」


一同が驚きの声を上げる中、トムが腕を組んだ。


「パンを焼くのはあるけど、ご飯を炒めるって……焦げないのか?」


「ちょっと不思議に思えますよね。強火で手早く炒めるのがコツなんです。見た目は地味でも、香ばしくて食欲をそそる一品なんですよ」


リーナが自信を込めて言うと、ロドリックが興味深げに前のめりになった。


「強火で?興味深いですね」



まず、材料の準備から始めた。テーブルの上には、あらかじめ炊いておいたご飯が広げて冷ましてある。卵、シロネギ、塩、油、そして醤。どれも見慣れた素材だが、使い方は新鮮だ。


「まず、シロネギをみじん切りにします。できるだけ細かく刻むのが香りを引き立てるコツです」


トントン、とまな板に響く音と共に、リーナの手元でネギが均一に刻まれていく。


「これなら俺にもできそうだな」


トムが包丁を手に取り、自信ありげに構える。


「次は、卵を割って塩をひとつまみ加えてください。よく混ぜて、なめらかにしてください」


「これはいつも通りね」


ソフィアが手際よく卵をかき混ぜる。


「ここからが重要なんです。最初から最後まで、強火で一気に仕上げます」


「強火……?」


主婦の一人が眉をひそめる。


「はい。火が弱いと、ご飯がべたついてしまうんです。あと、冷めたご飯を使うこと。炊きたてのご飯は水分が多すぎて、うまくほぐれません」


「なるほど……冷ましておくのも大事なのね」


ロドリックが小さく頷いた。



リーナが実演に入る。フライパンに油を注ぎ、ぐっと強火にかける。油が熱を帯びて揺れ始めると、溶き卵を一気に流し入れた。


ジュワッ!


香ばしい音と共に、卵がふわっと膨らむ。リーナはすばやくかき混ぜ、卵が半熟のうちにさっと器に取り出した。


「えっ、取り出すの?」


「はい。一度取り出すことで、仕上がりがふんわりするんです」


再びフライパンに油を少し足し、刻んだネギを加える。


「香りが立つまで、手早く炒めてください。焦がさないように注意です」


ネギが熱に弾かれ、ふんわりと甘い香りが立ちのぼる。


「そして、ご飯を投入します。ヘラで切るようにほぐしていってください」


パラパラ、と音を立てながらご飯がほぐれていく。リーナが手早くフライパンをあおると、一粒一粒がまるで踊るように舞った。


「ご飯が……ほんとにバラバラになってる」


トムが目を丸くする。


「ここで、さっきの卵を戻します。そして全体を混ぜて、最後に塩と醤で味を整えます」


手早く調味料を加え、リーナがフライパンを振ると、香ばしい香りが部屋中に広がった。


「できあがりです!」


木のお皿に盛りつけると、立ちのぼる湯気と共に、ご飯の表面が金色にきらめいた。



「今度は皆さんの番です」


リーナの声に、参加者たちが一斉に立ち上がる。


「強火でガンガン炒めるのか!」


トムが張り切って火加減を調整する。普段から料理をしている彼だけあって、手つきは堂々としていた。


ロドリックは、黙々と工程を追いながら、時折小さくうなずいていた。


「炎と米が踊っていますね」


詩的な表現で感想を述べながら、丁寧に手順を追う。


主婦たちも最初はおそるおそるだったが、火とご飯の扱いに慣れてくると、驚くほどスムーズに作業が進む。


「あら、本当にパラパラになるのね」


「香ばしい匂いがたまらないわ。これは、家族も喜びそう!」


やがて、それぞれのチャーハンが完成し、皆で味見を始めた。


トムの作った一皿は、火力を存分に活かし、驚くほど軽やかに仕上がっていた。


「ほらな、火加減なら任せとけって」


得意げに笑うトムに、リーナも感心して声をかける。


「本当に見事です、トムさん。初めてとは思えないくらいですね」


「へへっ、嬉しいなあ」


主婦たちの皿からも「これは新しい味ね」「さっと作れるのがいいわね」と満足そうな声が上がる。


その中で、ロドリックはただ一人、手を止めてじっと目を閉じたまま味わっていた。


「……これは」


ぽつりと呟き、静かに口を開いた。


「香りと熱、塩と油。一つひとつが持てる力を尽くし、鉄の上で巡り合う。これは……火の精たちが一夜限りの饗宴を開いたかのようだ」


一同が静まり返る中、彼の言葉は熱と香ばしさの余韻に溶け込んでいく。


「ご飯が歌い、卵が踊る。ネギが香りを掲げ、醤がその場を締めくくる……短いが、鮮烈な舞台だった」


ソフィアがくすっと笑って囁く。


「また始まったわね」


リーナも微笑みながら、静かに頷いた。




* * *




料理教室が終わり、参加者たちが帰っていく中で、ロドリックだけが残っていた。


「リーナさん、少しお時間をいただけますか」


「もちろんです。片付けながらでよければ」


リーナが布巾を手に振り返ると、ロドリックの表情が真剣になる。


「実は……騎士団の夏の食事について、相談がありまして」


「夏の食事、ですか?」


「ええ。この時期になると、訓練の疲れに加えて暑さで、皆が食事を残しがちになるのです。食べられないまま倒れる者もいて……毎年、悩みの種でして」


「それは、昨日ガレスさんたちからも聞きました」


「今年こそは、何か手を打ちたいのです」


リーナは少し考え込み、それから顔を上げた。


「暑い時期には、冷たい料理もいいかもしれませんね。たとえば、アースボア肉を使って、さっぱり食べられるように工夫すれば……」


「冷たい料理……!」


ロドリックの目が輝く。


「それは、確かに今までにない発想です。ぜひ、試させてください」


「せっかくですし、今から一緒に試してみませんか?」


リーナの提案に、ロドリックが力強く頷いた。


「はい。新しい技術を学べることほど、料理人にとって幸せなことはありません」


かすかな風がカーテンを揺らし、厨房の奥では次の挑戦が始まろうとしていた。

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