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慰労会の翌朝と思いやりの味噌汁

 リーナは、ずきん、と頭の奥が重たく響く感覚で目を覚ました。カーテンの隙間から差し込む朝の光が、いつもよりまぶしい。


(……あー、やっぱり飲みすぎたかも)


 昨夜の慰労会の楽しげな雰囲気はよく覚えている。騎士団の皆の笑顔、常連たちの笑い声、美味しそうに料理をほおばる姿――どれも温かくて、幸せな記憶だ。


 でも、ワインを何杯飲んだかとなると曖昧で、ジュードが心配そうにしていた気もするし、最後の方はふわふわと夢見心地だったことだけははっきりしている。


 ゆっくりと体を起こし、リーナは苦笑を漏らした。そういえば、こっちの身体で飲むのはこれが初めてだった。どうやら前よりお酒に弱くなっているらしい。


 階下からは、いつもより静かな足音と、くぐもったため息が聞こえてくる。どうやらマルクとアンナも似たような状態のようだった。


「リーナちゃん、大丈夫?」


 階段を下りると、アンナが振り返った。いつもより顔色が悪く、声もやや控えめ。


「はい、ちょっと頭が重いだけです。アンナさんこそ……」


「私たちも久々に飲みすぎちゃって」


 アンナは苦笑いを浮かべる。


「マルクなんて、さっきから『うーん』って呻いてばかりなのよ」


 視線をやると、マルクが椅子に座り、両手で頭を抱えていた。まさに絵に描いたような二日酔い。

 リーナはくすりと笑う。


「ちょっと、外の様子を見てきますね」


「気をつけてね。まだ片付いてないはずだから」


 店の外に出ると、昨夜の名残があちこちに残っていた。石畳の上には、大きな木製テーブルが二つ、椅子が十数脚。その脇には山のように積まれた使い終わった皿やコップが並んでいる。


「うわぁ……」


 思わず声が漏れたところへ、向かいの工房からトムが顔を出した。


「おはよう、リーナちゃん。昨夜はごちそうさん。うまかったよ」


 声は元気そうだが、どこかかすれている。


「トムさんも飲みすぎました?」


「いやいや、俺はまだまだ若いからな!」


 と笑うが、その動きは妙にのんびりしている。そこへ、ソフィアやベラ、他の常連たちも続々と集まってきた。皆、目元に少し疲れが残っているものの、手には手袋や雑巾、桶などを抱えている。


「おはようリーナちゃん。皿洗いからやっちゃうね」


「椅子は私が片付けるわ」


 リーナが慌てて止めようとすると、ベラがにっこり笑った。


「なに遠慮してるのよ。あんなに美味しいごはんをごちそうになったんだもの、これくらいお安い御用よ」


 リーナも「ありがとうございます」と頭を下げ、一緒に動き出す。木のテーブルを二人がかりで運び、椅子をきれいに拭いて倉庫に戻す人、洗い場に山積みの食器を運ぶ人……みんなが自然に役割を見つけ、言葉少なに働いていた。


 そのとき、足音が一つ、石畳に軽やかに響く。


「おはよう、リーナ。みんな」


 声の主はジュードだった。昨夜とは違い、騎士団の制服ではなく、柔らかな麻のシャツと黒いズボン姿。その顔には、リーナを気遣うような、やや心配そうな色が浮かんでいる。


「ジュード、おはよう。もう起きてたの?」


「ああ。あの後宿舎で飲み明かしてさ、みんなを部屋に運ぶので一仕事だったよ」


 彼は肩をすくめて笑う。


「全員、見事なまでに二日酔い。団長なんて『甘いもの……甘いものを……』って呟いてたくらいさ」


 その言葉に、場にいた全員が吹き出す。厳格なバルトロメオ団長の意外すぎる姿に、リーナも思わず微笑んでしまった。


「俺も手伝うよ」


 ジュードはそう言うと袖をまくり、手際よくテーブルを持ち上げた。


「昨夜は、マジで美味かった。ありがとう、リーナ」


 その言葉がとても嬉しい。昨夜のふわふわとした記憶のなかでも、ジュードの声とやさしい視線だけは不思議とはっきり残っていた。



 手分けして片付けを進めると、ほんの三十分ほどで広場はすっかり元通りになった。リーナは額の汗をぬぐいながら、ぱん、と手を打つ。


「みなさん、お疲れさまでした。……よろしければ、今から二日酔いに効くお味噌汁を作りますけど、どうでしょう?」


「お味噌汁?」


 ソフィアが目を丸くする。


「どんなの?」


「トマトとキャベツを使ったお味噌汁です。どちらも胃に優しくて、さっぱりしてるから、二日酔いにはぴったりですよ」


「トマトと味噌? それ、合うのかしら?」


 とベラが不思議そうに眉をひそめる。


「ふふ、ちょっと意外かもしれませんけど、美味しいですよ。卵も入れて、ふんわり仕上げます」


「見ていてもいいかしら?」


 アンナも興味津々といった表情で、みんなの視線がリーナに集まった。


 店の厨房に戻ったリーナは、まず出汁を温める。すでに水に浸けておいたツチタケとウミクサの鍋に、ゆっくりと火をつけた。コト、コト……小さな泡が鍋の底で踊り出す。やがて芳ばしい香りが立ち上ってくる。土の香りと海の香りが混ざり合った、深みのある出汁の匂いだ。蒸気が厨房を満たしていくと、外から覗き込んでいたマリアが思わず鼻を鳴らした。。


「……この時点でもう、美味しそう」


 次にリーナはトマトを手に取る。包丁を入れると、しゃくっと軽い音が響いた。

 切り口から広がるのは、甘さの中に爽やかな酸味を含んだ香り。思わず深呼吸したくなるような、清々しい香りだ。


「トマトの酸味は、胃のもたれをすっきりさせてくれます」


 そう言いながら、トマトを食べやすい大きさに切り分けていく。


 続いてキャベツ。手で葉を一枚一枚はがしてからざく切りにすると、ザクッ、ザクッとまな板の上に軽快な音が響く。外葉はビタミンが多く加熱すると甘くなるので、リーナのおすすめだ。


 卵はボウルに割り入れて、やさしく溶く。カシャカシャと泡立てず、あくまでふんわりと。


 出汁の入った鍋を中火で温めながら、まずはキャベツを投入する。葉がしんなりして柔らかくなってから、トマトを加える。赤と緑の彩りが、湯気の中でふわっと広がっていく。


「ここであまり強くかき混ぜないのがコツです。トマトの形を崩さないように、そっと」


「……なんだか、見てるだけでお腹がすいてきたわ」


 アンナがつぶやくと、他のみんなも小さく笑った。出汁が再び沸いてきたところで、溶き卵を細く流し入れる。卵が湯の表面にふわふわと浮かび上がり、鍋の中を舞った。最後に火を止めてから、味噌を溶き入れる。


 少しずつ、丁寧に。


 味噌が溶け込むと、ほっとする香りに包まれる――トマトの酸味と味噌のコク、出汁の旨味が見事に重なった瞬間だ。


「……これは、癒される匂いだな」


 覗き込んでいたジュードが、ぽつりとつぶやいた。


 鍋いっぱいに作った味噌汁を、お椀に丁寧によそっていく。

 湯気の向こう、湯の表面には、キャベツの柔らかな緑、トマトの紅、卵の黄が淡く揺れている。


「はい、お待たせしました。召し上がれ」


「いただきます!」


 店内に笑顔と声が広がり、みんな一斉に食べ始める。最初に口にしたのは、マルクだった。豪快に一口すすると、目を見開いて叫ぶ。


「おお! うまいのぉ! 胃がすぅっと楽になる!」


 アンナは、器を手に持ってそっとすする。


「まあ……体に染み渡るわ。トマトの酸味が、こんなにも味噌と合うなんて。なんて優しい味……」


「昨夜のこってり料理のあとに、この味はありがたいねぇ」


 とベラも満足げに頷く。ジュードは最初、少しだけ慎重な顔つきで口をつけたが、すぐに柔らかな表情に変わる。


「……リーナっぽい」


「えっ?」


「思いやりのある味ってこと。みんなの体調を気づかって、こんなに優しい料理を作るなんてさ」


 その言葉に、リーナの頬が熱くなる。昨夜のあいまいな記憶と、ジュードの今の真剣な眼差しが重なって、胸がきゅっとなる。


「そんな……大げさなことじゃ……」


「いや、マジで大げさじゃないよ」


 ジュードははっきり言った。


「俺たちがこうして元気でいられるのは、リーナの料理があるからだ。昨夜のみんなの顔、見てただろ?みんな幸せそうだったじゃん」


「そうそう!」


 マリアが頷く。


「リーナの料理って、食べると心が温まるのよ。昨日はみんなで作って、みんなで食べたから、余計にね」


「リーナちゃんは、この街の宝物よ」


 ベラが優しく言う。


「本当に来てくれて、ありがたいわ」


「私こそ……みなさんに、感謝しています」


 小さく頭を下げる。


「はいはい、感謝はあと! お味噌汁が冷めちゃうわ!」


 アンナが手を叩くと、みんながまた笑い出す。店の中には、香り立つ湯気と笑顔があふれていた。

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