慰労会の夜と初めてのお酒
「いただきます!」の声と共に、慰労会が始まった。
夕暮れの石畳に並んだテーブルには、色とりどりの料理が湯気を立てている。街の人々と騎士団が一緒に囲む光景は、まさにお祭りのような賑やかさだった。
「うおおお!」
ガレスが真っ先にストームホーンの赤ワイン煮込みに手を伸ばした。一口食べると、目を見開いて唸り声を上げる。
「これは……!肉がとろっとろじゃないか! あの硬いストームホーンが、こんなに柔らかくなるなんて!」
「本当ね」
アデラインも一口味わって、感嘆の声を漏らした。
「赤ワインの深い味わいと、野菜の甘みが見事に調和してるわ。この複雑な味は、一体どうやって?」
「長時間煮込むことで、肉の繊維が柔らかくなるし、野菜の旨味もスープに溶け出すんです」
リーナが説明すると、シリルが感心して頷いた。
「なるほど。ちゃんとした根拠があるのですね。魔物の肉質を理解した上での調理法とは、実に興味深い」
「うまい、うまい!」
ルークは素直に美味しさを表現しながら、次々と料理に手を伸ばしていく。
「この鍋も最高! ミソっていうの? この調味料……」
アースボアの鍋も大好評だった。出汁の効いた味噌ベースのスープに、薄切りのアースボア肉と野菜が絶妙に絡み合っている。
「これは……液体の芸術だ」
ロドリックが、湯気立つ鍋を前に厳かに口を開いた。
「否――これは、大地の叙事詩だ」
スプーンをそっと置き、目を閉じる。
「味噌の深みは、大地の記憶。出汁の余韻は、海の囁き。具材ひとつひとつが、季節と対話しながらこの鍋に辿り着いた……! これは単なる料理ではない。火と水と塩と命が織りなす、世界の調和!」
その場に、妙な緊張感が走った。まるで一つの演説を終えたかのような沈黙――
「……ロドリックさん、もしかして今、呼吸止めてた?」
アデラインが真顔で突っ込むと、堰を切ったように笑い声が弾ける。
「でもまあ、言ってることはわかるかも……ちょっとだけな!」
ガレスが爆笑しながら、鍋のふちを覗き込んだ。
「確かに、これほどの料理は滅多に味わえない」
団長も満足そうに頷いた。
焼き鳥も大人気だった。炭火で焼かれたフェングリフの肉は香ばしく、みんなで串刺しした思い出も手伝って、和やかな雰囲気を演出している。
「自分で刺した串が一番美味い気がするな」
トムが笑いながら言った。
「わかる!」
マリアも同意する。
「みんなで作ると、何でも美味しく感じるよね」
その時、金の麦穂亭の方向から、フリッツとローラが歩いてくるのが見えた。フリッツは上質そうなワインボトルを数本抱えている。
「すみません、お楽しみ中に失礼します」
フリッツが申し訳なさそうに言った。
「宿の夕食準備で参加できませんが、慰労会にふさわしいものをと思いまして」
「ワインを持ってきました」
ローラも笑顔で続けた。
「騎士団の皆さんの、遠征お疲れ様の気持ちを込めて」
「おお、ありがたい」
団長が立ち上がって感謝を述べた。
「気を遣わせてしまって申し訳ない」
「いえいえ、先日はリーナさんに助けていただきましたから」
フリッツが頭を下げる。
「では、宿に戻らせていただきます。ごゆっくり」
二人が去った後、ワインボトルがテーブルに並べられた。
「せっかくだから、開けようか」
ガレスが提案すると、みんなが賛成した。
「リーナも飲む?」
ジュードが尋ねると、リーナは少し戸惑った。
「あの……お酒は初めてで」
(今世では初めて飲むお酒か)
内心でそう呟きながら、リーナは好奇心と緊張を感じていた。前世では普通に飲んでいたアルコールだが、この体では本当に初めてだ。
「なら、少しずつ飲んだ方が良い」
団長が優しく言った。
「ほどほどが一番だ」
「俺が見てるから大丈夫だよ」
ジュードも心配そうに付け加えた。ワインがグラスに注がれると、豊かな香りが立ち上った。リーナは恐る恐る一口含んでみる。
「あ……」
前世の記憶と重なるような、でもこの体には新鮮な味わいが口の中に広がった。ほんのりとした甘みと、深いコクがある。
「美味しいです」
リーナの素直な感想に、みんなが微笑んだ。
「良かった」
「リーナの初お酒だもんな!」
少しずつワインを飲みながら、話は自然と遠征の話題に移った。
「ところで、遠征はどうでした?」
リーナが尋ねると、騎士団のメンバーたちが顔を見合わせた。
「大変でした!!」
ルークが口火を切る。疲労の滲んだ声だったが、無事に帰還できた安堵感の方が勝っているようだった。リーナは彼の表情を見ながら、遠征がどれほど過酷だったのかを想像した。
「新種の魔物が予想以上に強くて」
「ストームホーンもその一種でしたね。通常の魔物より知能が高く、群れで行動していまして」
「討伐に時間がかかってしまったが、まぁなんとか片付いた」
団長の言葉に、周囲の人たちが安堵の表情を浮かべた。
「街の安全は確保できたと思う」
「でも一番大変だったのは……」
アデラインの意味深な笑みに、リーナは首を傾げる。魔物との戦闘以上に大変なことがあったのだろうか。
「食事よ」
「ああ、それは確かに」
騎士たちが一斉に頷いた。どうやら全員が同じ苦労を味わっていたらしい。
「遠征食は保存が利くけど、やっぱりリーナの料理が恋しくてさ」
「特に最後の一週間は辛かった」
「燻製や乾燥野菜もいいけど、やっぱり美味しい料理が食べたくなる」
「俺なんて、リーナの出汁の香りを思い出しては、ため息ばっかりついていたよ」
「そんなに……」
嬉しさと申し訳なさで、胸がいっぱいになる。ワインの影響もあって、いつもより感情が表に出やすくなっているのを感じた。
「みなさん疲れていたのに、私を助けてくださって」
「何を言っている」
団長が穏やかに遮った。
「そうそう」
「リーナちゃんは、この街の宝物なのよ」
「みんなでリーナちゃんを守るのは当然よ」
次々とかけられる温かい言葉に包まれて、リーナの目に涙が浮かんだ。
「ありがとうございます……」
「泣くなよ」
ジュードが優しく声をかけた。
「今日は楽しい日なんだから」
「そうだ!」
ガレスが声を上げた。
「甘いものはまだか? って団長がそわそわしてるぞ」
「そわそわなどしていない!!」
団長が慌てて否定したが、確かにスフレチーズケーキの方をちらちらと見ていた。
「はい、お待たせしました」
リーナが笑いながらスフレチーズケーキを切り分けて配る。ふわふわの食感と、濃厚なチーズの味わいが口の中に広がった。
「これは……!」
団長が一口食べて、明らかに表情を緩ませた。
「実に、美味だ」
「団長、顔に出てますよ」
アデラインがからかうように言うと、団長は慌てて表情を引き締めようとした。
「別に、甘いものが特別好きというわけでは……」
「もう一切れいかがですか?」
リーナが尋ねると、団長は一瞬迷ってから頷いた。
「では、もう少しだけ」
その様子に、みんなが温かい笑い声を上げた。
ワインと美味しい料理、そして大切な人たちとの会話。リーナにとって、これ以上ない幸せな時間だった。
月が昇り始めた夜空の下、慰労会はまだまだ続いていく。




