街ぐるみの慰労会準備
翌朝、アンナの食卓にはいつも以上に多くの人が集まっていた。昨日の騒動を見ていた常連客たちが、次々と顔を出している。
「リーナちゃん、大変だったねぇ」
ベラが心配そうに声をかけると、他の客たちも口々に言葉をかけてくる。
「あんな嫌な奴らに絡まれて」
「でも団長がいて良かった」
「騎士団のみんなも帰ってきたし」
リーナは恐縮しながら応える。
「ご心配をおかけして、すみませんでした。皆さんが守ってくださったおかげで助かりました」
「当然だ」
トムが力強く言った。
「リーナちゃんは俺たちの大切な仲間だからな」
その時、パン屋のソフィアが手を叩いた。
「そうだ!せっかく騎士団のみんなが帰ってきたんだから、昨日リーナちゃんが言ってた慰労会をやりましょうよ」
ソフィアの提案に、空気がぱっと華やいだ。
「おお、それはいいな」
「賛成!」
あっという間に話がまとまっていく。リーナは慌てた。
「で、でも、店だけじゃとても入りきりません」
「大丈夫よ」
ベラがにっこりと笑った。
「店の前の通りを使いましょう。みんなでテーブルや椅子を持ち寄って」
「調理器具が足りなければ、うちのかまども貸すぞ」
トムも協力を申し出た。
「材料も、みんなで分担すれば何とかなるだろう」
* * *
こうして、街ぐるみの慰労会の準備が始まった。
午前中のうちに、アンナの食卓の前の石畳の通りには、大きなテーブルがいくつも並べられた。近所の人々が家から椅子やテーブル、食器を持ち寄り、まるでお祭りのような賑やかさだ。
「リーナちゃん、何を作るか決まった?」
マリアが尋ねると、リーナは考えをまとめて答えた。
「騎士団の皆さんには、魔物料理をメインに作りたいと思います。ストームホーンの赤ワイン煮込み、アースボア鍋、それにフェングリフの焼き鳥」
「おお、豪華だな」
「甘いものも作ろうと思います。スフレチーズケーキを」
「スフレチーズケーキ?」
ソフィアが首をかしげた。
「蒸すと、ふわふわに仕上がるチーズケーキです。団長が甘いもの好きだって聞いたので」
「ああ、団長の隠れ甘党ね」
ベラが笑った。
「本人は隠してるつもりだけど、みんな知ってるのよ」
* * *
昼過ぎから、本格的な調理が始まった。
まずはストームホーンの赤ワイン煮込みから取りかかる。リーナは丁寧にお肉を一口サイズに切り分けた。
「この肉、硬そうだな」
「はい。ストームホーンは赤身が多いから、しっかり下処理しないと固くなっちゃうんです」
見守る人々に説明しながら、塩とブラックペッパーを肉にすり込んでいく。
「へぇ、そうなのか」
トムが感心して見ている。
次に、油をひいたフライパンで肉の表面に焼き色をつけていく。ジュウジュウと音を立てて焼ける肉から、香ばしい匂いが立ち上った。
「いい匂い……」
「まだ焼いてるだけなのに、もう美味しそう」
肉に焼き色がついたら、今度は野菜の準備だ。玉ねぎとセロリは薄切りに、人参は半月切りにする。
大きな鍋にオリーブオイルをひき、にんにくを炒める。香りが立ったところで野菜を加え、じっくりと時間をかけて炒めていく。
「気長な作業だなぁ」
ガレスが覗き込んで言った。いつの間にか騎士団のメンバーたちも集まってきていた。
「ガレス、邪魔しちゃだめよ」
アデラインが注意する。
「見てるだけだって」
野菜がしんなりとしてきたところで、赤ワインを注ぎ込む。アルコールが蒸発する音と共に、豊かな香りが広がった。
「おお……」
「すごい匂いだ」
5分ほど煮込んでアルコールを飛ばしたら、野菜とフェングリフの骨で取ったブイヨンを加える。最後に焼いた肉とローリエ、砂糖、バターを入れて、弱火でコトコト煮込み始めた。
「これで1時間以上煮込むんです」
「1時間以上?」
ルークが驚いた。
「ストームホーンの肉を柔らかくするためには、じっくりと時間をかける必要があるんです」
* * *
赤ワイン煮込みが煮えている間に、鍋の準備に取りかかった。
アースボアの肉を薄切りにしていく。猪肉に似たアースボアは、薄く切ることで短時間でも柔らかく食べられる。
野菜の準備も進める。大根を薄くスライスし、人参は輪切り、シロネギは斜め切りにする。キャベツは食べやすい大きさに、フサタケも石づきを取って準備した。
大きな鍋に、ツチタケとウミクサで取った合わせ出汁を張る。そこに味噌を溶かし、砂糖で味を調えた。
「味噌鍋なのね」
「はい。アースボアの肉には味噌がよく合うんです」
出汁が沸騰したら、まずアースボア肉と人参、キャベツの芯の部分、生姜を加える。アクが出てきたら、丁寧にすくって取り除いていく。
「アク取りが大事なのね」
「しっかりとアクを取らないと臭みが残ってしまうんです」
残りの野菜も加えて、野菜が煮えるまで待つ。鍋からは食欲をそそる香りが立ち上っていた。
* * *
スフレチーズケーキの準備に取りかかる。まず卵を卵黄と卵白に分けて、クリームチーズと卵黄をヘラで均一になるまでよく混ぜる。
「チーズケーキも蒸して作るのか」
ジュードが興味深そうに見ている。
「はい。蒸すと、ふわふわに仕上がるんです」
小麦粉を加えて全体がよく馴染むまでゴムベラで混ぜ、牛乳を加えて均一にする。
別のボウルで卵白と砂糖を泡立てて、メレンゲを作る。
リーナは深呼吸をひとつして、泡立て器を構えた。
「ここからが腕の見せどころなんです……!」
ボウルの中で卵白が白く変わり始めると、リーナの腕が止まることなく動き続けた。しゃかしゃか、しゃかしゃか――しばらくすれば楽になると思っていたのに、だんだん腕が重くなってくる。
「うぅ、これ、けっこうキツいんですよ……!」
それでも手を止めず、ツノがピンと立つ瞬間を信じて混ぜ続ける。やがて、泡立て器を引き抜いた先に、柔らかくお辞儀をするツノができていた。
「よし、ここまで来たら大丈夫……!」
ほっと息をつくと、周囲から拍手が起こった。
メレンゲとチーズ生地を混ぜ合わせ、型の9割程度まで流し入れる。フライパンに水を入れて沸騰させ、型を入れて弱火で15分蒸す。
「これで完成か?」
「冷ましてからの方が美味しいので、少し置いておきましょう」
* * *
最後に、みんなでフェングリフの焼き鳥を作る番だった。
「串刺しは俺たちも手伝うぞ」
ガレスが意気込んだ。
「私もやりたいわ」
アデラインも参加する。
フェングリフの肉を一口大に切り、竹串に刺していく作業は、まるでお祭りの準備のように楽しい雰囲気だった。
「ガレス、大きすぎるって」
「このくらいがいいんだよ」
「アデラインのは上品すぎます」
「これでも十分よ」
みんなでワイワイと串に刺していく間に、トムが炭火を起こしてくれた。
「よし、火の準備もできたぞ」
串に刺さったフェングリフを炭火で焼いていく。パチパチと音を立てながら焼ける肉から、香ばしい匂いが辺り一面に広がった。
「うまそうだなぁ」
「早く食べたい」
そうこうしているうちに、赤ワイン煮込みもとろみが出てきた。塩とブラックペッパーで味を調えて完成だ。
* * *
夕暮れ時、アンナの食卓の前の通りには、美味しそうな料理が並んでいた。
ストームホーンの赤ワイン煮込みは深い色合いで、野菜と肉がとろとろに煮えている。アースボアの鍋は湯気を立てて、野菜の色が鮮やかだ。焼き鳥は炭火で香ばしく焼け、スフレチーズケーキは型から外されて、ふわふわに仕上がっていた。
「すごいな、これ」
団長が感心して言った。
「リーナ、ありがとう」
街の人々も集まってきて、テーブルの周りは賑やかになった。
「それでは」
リーナが微笑んで言った。
「皆さん、遠征お疲れ様でした。そして、いつも支えてくださる街の皆さんにも感謝を込めて……いただきます!」
「いただきます!」
大きな声が、夕暮れの街に響いた。