騎士の帰還と意外な事実
「――これは何の騒ぎ?」
ジュードの鋭い視線が、エリオットとミランダを射抜いた。遠征帰りの疲労など微塵も感じさせない、研ぎ澄まされた威圧感が辺りの空気を一変させる。低く響く声に、行列の人々がほっと安堵の息を漏らした。一方で、エリオットは眉をひそめる。
「君は何者だ?ここは僕とリーナの話だ。関係ない者は下がってくれ」
「関係ない?」
ジュードが一歩前に出た。
「リーナに迷惑をかけてる奴がいるなら、俺には大いに関係がある」
その時、ジュードの後ろから馬蹄の音が響いた。振り返ると、同じく遠征帰りの騎士たちが馬から降りるところだった。
「あら、ジュード。もう着いてたのね」
金髪を風になびかせたアデライン・ローレンスが、優雅に馬から降り立つ。続いて大柄なガレス、知的な雰囲気のシリル、若いルークが次々と姿を現した。
「おお、リーナ!」
ガレスは大きく手を振る。
「ただいま!元気だったか?」
「お帰りなさい!」
リーナの笑顔で応える声に、安堵が滲んでいる。だが、その笑顔にわずかな緊張が残っているのを、騎士たちは見逃さなかった。
「リーナさん、何かあったの?」
ルークが心配そうに尋ねる。 エリオットは横から口を挟んだ。
「君たちは何者だ? まさか、この街の自警団か何かか?」
「自警団?」
ガレスは鼻で笑う。
「俺たちはブランネル王国騎士団だ」
「騎士団?」
ミランダの眉がひそめられた。
「こんな田舎に騎士団が?」
シリルは冷静に答える。
「ブランネル王国第二都市アードベルの駐屯騎士団です。失礼ですが、お二人はどちらの方でしょうか?」
「僕はクライド公爵家の三男、エリオット・クライドだ」
エリオットは胸を張る。
「そしてこちらはバローズ男爵家のミランダ嬢。つまり、我々はクラリス王国の貴族だ」
騎士たちの表情が微かに変わった。隣国の貴族となれば、扱いに注意が必要だ。
「それで?」
ジュードは淡々と聞いた。
「クラリス王国の貴族様が、なんでリーナに絡んでるんだ?」
「絡んでる?」
エリオットの憤慨した声が響く。
「失礼な! 僕はリーナに好意を示しているのだ。彼女を僕専属の料理人として雇ってやろうと言っているのに、なぜか拒否されて困っているところだ」
「当然でしょうね」
アデラインは美しく微笑む。
「リーナはここで幸せに働いてるのよ。なぜわざわざ他国に行く必要があるの?」
「なんだと……」
エリオットの声に苛立ちが募る。
「僕は公爵家の人間だぞ? この申し出を断るなど、普通ありえないことだ。それに、リーナは元々クラリス王国の貴族令嬢でもある」
「え? リーナが貴族?」
ガレスの驚きの声に、周囲がざわめいた。
「実は、そうなんです」
リーナは苦笑いを浮かべる。
「でも、もう過去のことですから」
エリオットの勢い込んだ声が続く。
「だからこそ! 同じクラリス王国の人間として、僕が彼女を救ってやるのは当然のことだろう!」
「救う?」
ジュードの声が危険なほど低くなった。
「そうだ。こんな田舎で、平民相手に料理を作るなど、元貴族令嬢がすることではない。僕が引き取って、相応しい待遇を与えてやろうと言っているのだ」
周囲の空気が一気に悪化した。アンナの食卓の常連客たちが、明らかに怒りを込めた視線をエリオットに向ける。
「なんだと?」
トムは拳を握った。
「リーナちゃんを馬鹿にしてるのか?」
「この街を馬鹿にしてるだろ、こいつら」
ベラも憤慨している。だが、エリオットは意に介さない。
「僕はクラリス王国の大貴族だ。この程度の田舎町の意見など、聞く価値もない。……リーナ、最後にもう一度聞こう。僕と一緒に来てくれないか?」
「お断りします」
リーナの答えは、きっぱりとしていた。
「そうか……」
エリオットの表情が急に変わった。
「なら仕方ない。君の意志など関係なく、連れて行くまでだ」
「はぁ?」
ジュードの呆れたような声が響く。
「クラリス王国の貴族である僕の命令だ。従ってもらう」
エリオットは高圧的に宣言する。
「これは外交問題にもなるぞ。この街の人間が隣国の貴族である僕の命令に逆らえば、両国の関係にも影響するかもしれないな?」
一瞬、周囲がざわついた。確かに、隣国の大貴族となると、簡単に無視するわけにはいかない。
だが、ジュードは相変わらず冷静だった。
「連れて帰るとか無理だろ」
「何?」
「だって、リーナにはこの国の公爵からの後ろ盾があるんだから」
エリオットもミランダも、そしてリーナ自身も目を見開いた。
「はい?」
リーナの問い返す声が震えている。
「公爵からの後ろ盾って何ですか?」
「え?」
今度はジュードが驚く番だった。
「知らなかったのか? 団長はこの街の領主で、ブランネル王国アッシュ公爵様だよ?」
「はいいいいいい?」
リーナの声が裏返った。騎士団のメンバーたちも、リーナの反応に驚いている。
「ちょっと待って」
アデラインが慌てて口を挟む。
「リーナ、本当に知らなかったの?」
「全然知りませんでした! 団長は……バルトロメオ・アッシュ団長としかお聞きしてませんし、公爵だなんて……」
「そりゃそうか」
ガレスは手を叩く。
「普段は全然偉ぶらないからな、団長は」
「あ、そうか」
ベラの表情に安堵が浮かんだ。
「そうよね、領主様の後ろ盾があったわね。なら安心だわ」
トムも納得顔だ。
「確かに、領主様がリーナちゃんを気に入ってたな」
街の人々が急に安心モードになったのを見て、エリオットの顔が赤くなった。
「そんな馬鹿なことがあるか! たかが田舎町の料理人の後ろ盾に、公爵がなるわけないだろう!君たち、嘘をついているな?」
「嘘?」
その瞬間、空気が変わった。通りの向こうから、重厚な馬の足音がゆっくりと近づいてくる。
「なんだ? 呼んだか?」
全員が振り返ると、銀髪の威厳ある男性が馬から降りたところだった。遠征帰りの鎧を身につけ、長い外套を風になびかせている。
バルトロメオ・アッシュ――ブランネル王国アードベル支部の騎士団長にして、アッシュ公爵その人だった。
「だ、団長!」
騎士たちが慌てて敬礼する。
「だ、団長! おかえりなさいませ」
リーナも慌てて頭を下げた。
バルトロメオは周囲を見回し、緊張した空気を察知した。
「何があった?」
「それが……」
アデラインは美しい笑みを浮かべて言った。
「こちらのクラリス王国の貴族様が、『たかが田舎町の料理人の後ろ盾に公爵がなるわけない』ですってよ? 団長」
バルトロメオの鋭い視線が、エリオットに向けられた。
「ほう」
その一言だけで、エリオットの顔から血の気が引いた。
「あ、あの……僕は……」
「君はクラリス王国のクライド公爵家のご子息……だったかな」
バルトロメオの静かな声が響く。
「は、はい……」
「なるほど。で、その君が、私が後ろ盾についている料理人を、無理やり連れ去ろうとしていたわけか」
バルトロメオの声は静かだったが、その威圧感は凄まじかった。四十年以上騎士として戦場を駆け抜けてきた男の迫力は、若い貴族には到底太刀打ちできるものではない。
「い、いえ、そんなつもりでは……」
「私は確かに、リーナの料理とその人柄を高く評価している」
バルトロメオは続けた。
「彼女は我が騎士団にとって、なくてはならない存在だ。それを隣国の貴族とはいえ、勝手に連れ去ろうとするとは」
「も、申し訳ございません!」
エリオットは慌てて頭を下げた。
「誤解でした! すぐに失礼いたします!」
「ちょっと、エリオット!」
ミランダも狼狽していた。
「いいから来い!」
エリオットは半ば逃げるように、ミランダの手を引いて立ち去っていく。
「待て、君たち」
バルトロメオの声が二人を呼び止めた。二人が振り返ると、公爵は威厳に満ちた表情で言った。
「今後リーナに迷惑をかけるようなことがあれば、次はどうなるか……分かっているな?」
「は、はい! 申し訳ございませんでした!」
二人は慌てて馬車に飛び乗り、そのまま街から去っていった。
静寂が戻った通りで、リーナは深く息を吐いた。
「ありがとうございました、団長……いえ、アッシュ公爵様」
「堅苦しいことを言うな」
バルトロメオは苦笑いを浮かべた。
「いつも通り団長で構わない。私にとって、騎士団での立場の方が大切だからな」
「でも、どうして私なんかの後ろ盾を……」
「君の料理は、我が騎士団の士気と健康を支えている」
バルトロメオの表情が真剣になった。
「それだけでなく、この街全体の活気も君のおかげだ。そんな君を守るのは、領主として当然のことだろう?」
リーナの目に涙が浮かんだ。
「ありがとうございます」
「それより」
ガレスの大きな声が割って入った。
「遠征から帰ったんだから、何か美味いもの食わせてくれよ!」
「久しぶりにリーナの料理が食べたいわ」
「皆さんに遠征お疲れ様の料理を振る舞わせてください。街の皆さんにも、助けていただいたお礼を」
「おお、それは楽しみだ」
バルトロメオの表情も和らいだ。
「甘いものも頼むぞ」
「もちろんです!」




