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唐揚げと転生の記憶

森道を走る馬車が、急にがくんと止まった。


「どうした?」


マルクが顔を出すと、御者が険しい顔で答えた。


「……道に木が倒れております。少し時間をいただければ、どかしますが……」


リーナは馬車の窓から外を見やった。午後の陽射しが木々の隙間から差し込んでいるはずなのに、なぜかひどく薄暗い。まるで雲が太陽を覆い隠しているかのように。


森の中は静まり返っていた。鳥のさえずりも、リスが木の枝を駆け回る音も聞こえない。


「……変ね。まるで森全体が息を潜めているみたい」


リーナの言葉に、マルクも不安げに頷いた。


「そうじゃ、みんなで木をどかせば早く通り抜けられるぞ」


マルクが威勢よく言って、馬車から降りる。リーナも続いて外に出た。


倒れていたのは、かなり太い樫の木だった。一人や二人では到底動かせそうにない。根元を見ると、まるで何かに引き裂かれたような痕跡があった。


「これ……普通の倒木じゃないわね」


リーナが木の根元を指差す。樹皮が何本もの爪痕で削られていた。深く、鋭く。人間の手では絶対につけられない傷だ。


「魔物の仕業か……」


御者の顔が青ざめる。


「でも、もう去ったかもしれんし」


マルクが倒木をどかそうと一歩を踏み出した、その時――


ばさり。


重く、低い羽音が響いた。それは鳥の羽ばたきなどではない。もっと大きく、もっと不気味な音だった。


木々の枝がざわめく。何かが上空を通り過ぎていく。


「マルクさん!下がって!」


叫ぶリーナの声と同時に、黒い影が空を切る。


巨大な鳥型の魔物――フェングリフが馬車に向かって急降下してきた。


翼を広げた全長は優に三メートルを超える。漆黒の羽根、鋭い爪、そして獲物を見据える金色の瞳。森に住む魔物の中でも特に獰猛で知られる存在だった。


御者が腰を抜かして尻餅をつく。馬たちも恐怖で嘶き、暴れ始めた。


その爪が振り下ろされる瞬間、リーナは思わずマルクの前に飛び出していた。


(だめ、間に合わない――!)


フェングリフの爪が陽光を反射してきらめく。あの爪にかかれば、人間の身体など紙のように裂かれてしまうだろう。


視界が影で覆われる。


だが、次の瞬間――


「よっ、と!」


軽快な声とともに、赤い閃光が横から飛び込み、魔物の爪を弾き飛ばす。


ゴッ、と鈍い音。炎の軌跡が宙に残り、鋭い爪は空を裂くだけで、誰にも届かなかった。


「お嬢さん、危ないところだったな!立てるか? って、無理そうだなあ。もしかして……俺の登場がかっこよすぎた?」


青年の声とともに、手が差し出される。


剣を握ったその姿。赤みがかった茶髪。琥珀の瞳。年は二十代前半といったところか。騎士の装束に身を包んでいるが、どこか軽さのある笑顔と雰囲気を纏っている。


「……どなた?」


「ジュード・ベネット。王国騎士団所属。まあ、通りすがりのナイトってところかな」


そう言って、にやりと笑い、軽くウィンクしてみせる。


呆れつつも、リーナはその背中に妙な安心感を覚える。


フェングリフが再び襲いかかってくる。さっきの攻撃で体勢を崩されたことに激怒しているのか、金色の瞳が怒りに燃えていた。


「おーおー、怒ってる怒ってる。俺に惚れちゃった?」


ジュードは軽口を叩きながらも、剣を構えた。


その刃に、赤く鈍い光が宿る。炎の魔力を纏った剣が、空気を熱で揺らす。


「じゃ、ちょいと炙らせてもらおうか」


フェングリフが突進してくる。だがジュードは一歩も引かず、そのまま真っ向から斬り込んだ。


「そいっと!」


一閃。炎の軌跡が宙に残り、剣が羽根の根元を焼き切る。火花が散り、魔物が甲高い悲鳴を上げ、焦げた羽根の匂いが辺りに立ち込めた。


まだ倒れないフェングリフが、今度は嘴を突き出してくる。


だがジュードは怯むことなく、笑いながら迎え撃った。


「はいはい、突進か。ワンパターンだなあ、キミ」


炎を帯びた剣が宙を舞う。一太刀、二太刀、三太刀。正確な剣筋が急所を捉えていく。


刃が空気を切り裂くたび、炎の残像が踊る。


そして、最後の一撃が魔物の首筋を深々と裂いた。


フェングリフがどうと倒れ込む。


もう動かない。


「ふぅ、完了っと」


剣を鞘に収めたジュードが、にやっと笑う。額に汗がにじんでいるが、まるで軽い運動を終えたばかりのような余裕ぶりだった。


「無事か? 泣いてない?」


「……助けてもらったのはありがたいけど、泣いてないわ」


「泣いてないのか。慰められないじゃん」


ジュードは肩をすくめつつ、剣を軽く振って血を払い、鞘に収めた。


リーナは呆れたまま返す言葉を探していたが、ふと鼻をかすめた匂いに眉をひそめた。


魔物の焼けた匂い。その奥に、もっと馴染みのある――焦げた脂、醤油、にんにく?


(……これ、唐揚げの匂い?)


一気に景色が広がった。


古びた厨房。油の跳ねる音。白いエプロン。湯気。カウンターの笑顔。


「いらっしゃい!今日の唐揚げ、カリッと揚がってるよ!」


笑っていたのは、自分。

でも今の自分じゃない。


**前世の記憶。**


日本。28歳。気づけば彼氏いない歴=年齢を更新中だった。両親を早くに亡くし、小料理屋の祖母に育てられた。祖母亡き後は高校中退。その後、惣菜屋で唐揚げを揚げ続けた日々。


「美味しかったよ」「また来るね」――その一言が何より嬉しかった。


いつか自分の店を持ちたいと夢見て。叶うことなく、交通事故で命を落とした。信号待ち中、居眠りトラックに突っ込まれ――


そして、目覚めると「リーナ・リヴィエ」としてこの世界に生まれ変わっていた。


(思い出した……全部)


惣菜屋の記憶。味。香り。下味の手順。揚げ油の温度管理。


それと同時に、胸の奥から不思議な感覚が湧き上がる。


フェングリフの死骸を見ると、目の前に薄っすらと文字が浮かび上がった。


『フェングリフ(軍鶏)』

『部位:胸肉、もも肉、手羽先、手羽元、せせり、ささみ……』

『品質:上級』

『調理法:唐揚げ、照り焼き、水炊きに最適』


「……何これ?」


リーナは思わず目をこする。けれど文字は消えない。


(これ……なに?)


素材の質、脂の入り方、筋肉の締まり。まるで長年培った感覚が形を持って視界に映っているようだった。


(これ、唐揚げにしたら絶対美味しい!!)


むしろ、軍鶏より上質かもしれない。野生の締まり、魔力の影響か、滋養に富んだ味わいすら感じられそうだった。


下味は醤油、酒、生姜、にんにく。


あ、でもこの世界に醤油ってあるのかな……?


(確か、東方から輸入される「ジャン」って調味料があったはず)


貴族としての知識も蘇る。


衣は片栗粉と小麦粉を半々で。油の温度は170度。


考えれば考えるほど、頭の中が活気づいていく。


リーナの目が異様に輝く。


「これ……」


息を詰めて、魔物の死骸を見つめる。


「唐揚げにしたら絶対おいしい。ああ、想像しただけで手が震える」


「……は?」


隣で剣を収めていたジュードが、きょとんとした顔で振り向く。


「魔物の肉だぞ?食べるつもりか?」


「え、ダメなの?」


リーナが純粋に首をかしげると、ジュードは思わず口を押さえた。


「いや……ダメってわけじゃないけどさ。普通は食べねぇよ?魔物なんて、毒があるとか穢れてるとか……」


御者も頷いた。


「そうそう!魔物なんて、化け物の肉なんて、口にするもんじゃありません!」


だが、リーナの目は狂気じみて輝いていた。


「でも、これ毒ないよ?」


フェングリフに視線を戻すと、再び文字が浮かぶ。


『推定重量:45kg』

『食用部分:約30kg』

『特殊効果:魔力回復効果あり』

『毒性:なし』

『保存期間:適切に処理すれば一週間』


「毒もないし、魔力回復効果まであるって。最高の食材なんじゃない?これ」


料理への執着が完全に暴走していた。周りが嫌悪感を示す中、一人だけ目を輝かせ続けるリーナ。


「は?魔物を最高の食材って言うやつ、初めて見たぞ……」


ジュードが呆れながらも、どこか面白そうに目を細める。


「それにからあげって何だ?料理名なのか?」


「え?からあげ知らないの?」


「なにそれ」


「最高に美味しい料理よ!この子を一口大に切って、下味をつけて、衣をまぶして、高温の油でカリッと揚げるの」


リーナが身振り手振りで説明すると、ジュードの表情が変わった。


「……なんか、すげぇ美味そうに聞こえるんだが」


「でしょう?絶対美味しいから!」


マルクとアンナも恐る恐る近づいてきた。


「リーナちゃん、大丈夫だったかい?」


「ええ、このジュードさんが助けてくれたんです」


「騎士団の方ですか?ありがとうございました」


マルクが深々と頭を下げる。


「いえいえ、たまたま通りかかっただけです」


ジュードがフェングリフの死骸を見る。


「それにしても、本当に食べるつもりなのか?」


「ええ、絶対に美味しく料理してあげる」


リーナの瞳は、もう伯爵令嬢のものではなかった。そこにあるのは、料理に情熱を注ぐ一人の料理人のまなざし。


「じゃあ、街に着く前に、ちょっと試してみる?」


リーナが期待に満ちた目でフェングリフを見つめる。


「ここで?」


「簡単なやつ、ちょっとだけやってみてもいい?……ほら、気になっちゃって」


ジュードが興味深そうに頷く。


「面白そうだな」


「本当に?じゃあ......」


リーナの瞳が期待で輝く。


新しい人生の第一歩は、森の中での小さな料理から始まろうとしていた。

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