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味噌クリームパスタと街の変化

 ジュードたちが東の森へ遠征に出てから、二週間が過ぎた。


 リーナは二階のベランダで、干し網に並べたツチタケとウミクサを一個ずつ確認していた。朝の風が香りを運び、下の階からは楽しげな声が響いてくる。


「乾物屋の話、順調に進んでるわね」


 階段を下りると、ベラとマルクが店の奥で打ち合わせをしていた。


「おはようございます。おふたりとも、朝から熱心ですね」


「おはよう、リーナちゃん。今ね、乾物屋の件で最終調整してたのよ」


 ベラはにっこりと微笑みながら、木箱に貼るラベルの紙を広げて見せた。


「場所も決まったし、来週には開店できそうなの」


「えっ、そんなに早く?」


「マルクさんが全部手配してくれたのよ。さすがだわ」


 マルクは照れくさそうに笑いながら手を振った。


「リーナちゃんは料理に集中してくれればいいんじゃ。準備は任せておきなさい」


「ありがとうございます。本当に助かります」


 リーナは心からほっとした。味噌等の活用に手応えを感じていたこの頃、頭の中は新しい料理のことでいっぱいだった。


「それで、今日の献立はもう決まってるの?」


 アンナが優しく声をかける。


「うーん、実はまだなんです。でも、エドワードさんからいただいた味噌がたくさんあって……あれを活かしたくて」


「味噌ねぇ……それじゃ、やっぱり味噌汁?」


「いえ、もう少し変化球でいきたいなって。何か食べたいものありませんか?」


「そうねぇ……たまにはパスタが食べたいかしら」


「パスタ?」


 リーナの目がふっと細まった。

 パスタはこの国でも親しまれている。トマトソースやオイルベースなどはよく見かける。でも、そこに味噌を加える発想は、まだ試したことがなかった。


「やってみます。クリームソースに、味噌を合わせてみるのはどうでしょう?」


「ええっ! 味噌とクリーム!?」


 ベラが目を丸くする。


「あの調味料を、そんなふうに使うなんて……考えたこともなかったわ」


「意外と合うかもしれませんよ」


 リーナはにっこりと笑い、厨房に向かって歩き出した。



「まずは出汁から作りましょう」


 フェングリフの骨を鍋に入れ、水を張る。火をつけると、ゆっくりと湯気が立ち上り、やがて部屋に澄んだ香りが広がりはじめた。


「いい香り……」


 アンナがそっと目を細める。


 一時間ほど煮出した出汁を丁寧に漉し、黄金色に輝く液体をボウルに移す。


「これがベースになります」


 続けて、フェングリフのもも肉を一口大に、玉ねぎは薄切り、フサタケは根元を少し切りほぐす。パスタは市場で手に入る標準的な乾麺。茹で時間も頭に入っている。


 フライパンにバターを溶かし、鶏肉を焼き始めると、ジューッと心地よい音が響いた。


「肉の香りが食欲をそそるわね」


 ベラの言葉に頷きながら、リーナは玉ねぎとフサタケを加え、さらに炒めてから出汁を注ぐ。


「ここからが、新しい挑戦です」


 牛乳をたっぷりと加えると、鍋の中の色が淡いアイボリーに変わり、表面にとろみが見え始める。


「わあ……」


 アンナが感嘆の声を漏らす。


「そして、これが今日の主役」


 味噌を小皿にとり、少量の牛乳で丁寧に溶かす。


「そのまま入れると、ダマになっちゃいますから」


 慎重に溶いた味噌を加えると、ソースはほんのりとした褐色に染まり、空気が一変した。クリームと出汁の香りに、味噌の奥深さが加わり、包み込むような芳しさが立ちのぼる。


「これは……なんて香りなんじゃ」


 マルクが鼻をひくつかせて、鍋の中をのぞき込んだ。


「味を見て……ゆで汁を加えて調整して……よし」


 パスタが茹で上がる。湯を切ってソースに絡めると、麺がつややかに光りながら滑らかにまとまり、仕上げに刻みネギを散らして完成した。


 皿を囲んで、全員がフォークを手に取る。

 一口、口に運んだ瞬間――


「……!」


 まずフェングリフの出汁の深いうま味が広がり、牛乳のまろやかさと味噌の芳醇さが舌を包み込む。


「これは……信じられないわ。味噌がこんなにまろやかになるなんて」


 ベラの目が輝く。


「東方の調味料が、こんなにやさしい味になるなんて……」


 アンナも感動している。


「出汁がええ仕事しとるのう」


 マルクが頷きながら、皿を見つめた。リーナも静かに微笑む。


「ロドリックさんにも食べてもらいたいな……どんな風に表現するかな?」


「ふふ、きっと詩人になるわよ」


 ベラが笑った。



 午後になると、今日は料理教室の日だった。


「今日は肉味噌を、皆さんに教えますね」


 二階のリビングには、ベラ、ソフィア、ロドリックをはじめ、街の主婦たちがエプロン姿で集まっていた。

 リーナは笑顔で材料を手に取る。


「まず、フェングリフの胸肉を細かく刻んでいきます」


 トントントン。


「こうして叩くと、粘りが出てきます」


 皆が一斉にメモを取りはじめる。


「次に、にんにくとショウガを準備してください。この二つはみじん切りにしてくださいね」


 フライパンを火にかけ、油を温める。


「ここに、みじん切りのにんにくとショウガを入れて、香りが立ってきたらお肉を加えます」


 ぷつぷつと泡立ち、肉の香りが漂いはじめる。


「焦らず、少しだけ塊を残して焼きましょう。こうすると食感が楽しくなります」


 ロドリックは無言で、真剣な目つきでその様子を見つめていた。


「焼き色がついたら、味噌・砂糖・塩を加えます。味噌はお好みで調整してくださいね」


 やがて部屋いっぱいに、香ばしくて甘い匂いが立ちこめた。


「じゃあ、今度は皆さんの番です」


 参加者たちが一斉に調理台に向かい、それぞれの鍋から違った香りが立ち上る。


「本当にいい匂いね」


「これなら家でも作れそう!」


「子どもが喜んで野菜を巻いてくれそうだわ」


 リーナは、蒸しキャベツやレタスを並べて、それに肉味噌を添えて試食をすすめた。

 ロドリックが静かに一口。しばらく沈黙。そして――


「……これは!」


 リーナが目を上げたときには、彼の表情が変わっていた。


「味噌のうま味が、野に降る霧のように柔らかく、キャベツの淡さを包み込む……」


 ベラたちがまた来たとばかりにフォークを止める。


「肉の甘みが、根の下に眠る大地の力を伝えてくる。……これは、料理ではない。――歌だ」


「出たわね、相変わらず何言ってるか分からないわ」


 ソフィアがくすくす笑う。ロドリックは、それにも気づかぬ様子で言葉を続けた。


「ただの料理ではない。これは、風土の記憶だ。命を束ね、味に昇華させた……技巧と直感の結晶!」


 ふぅ、と深く息をつき、ようやく口を閉じる。リーナは、微笑みながら深くお辞儀をした。


「ありがとうございます。ロドリックさんにそう言っていただけるなんて、光栄です」


 ロドリックは黙って頷いたが、どこか照れくさそうだった。

 料理教室は、最後まで和やかな雰囲気に包まれて終わった。参加者たちは手書きのレシピを大切そうに折りたたみ、笑顔で帰っていった。


 ベラたちを見送った後、リーナは大きく伸びをした。


「ふう、今日も充実した一日でした」


 片付けを終えると、もう夕方だった。


「そういえば」


 アンナが思い出したように言う。


「明日は定休日よね」


「あ、そうでした!」


 リーナの表情が明るくなった。働きだしてから、休みらしい休みを取っていなかった。


「明日はお休みの日だ!」


 久しぶりの自由な時間。何をしようか、リーナの心は既に軽やかに踊っていた。

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