味噌クリームパスタと街の変化
ジュードたちが東の森へ遠征に出てから、2週間が過ぎた。
アンナの食卓の朝は、いつものように賑やかだった。
リーナは2階のベランダで、干し網に並べたツチタケとウミクサを1個ずつ確認していた。朝の風が香りを運び、下の階からは楽しげな声が響いてくる。
「乾物屋の話、順調に進んでるわね」
階段を下りると、ベラとマルクが店の奥で打ち合わせをしていた。
「おはようございます。おふたりとも、朝から熱心ですね」
「おはよう、リーナちゃん。今ね、乾物屋の件で最終調整してたのよ」
ベラはにっこりと微笑みながら、木箱に貼るラベルの紙を広げて見せた。
「場所も決まったし、来週には開店できそうなの」
「えっ、そんなに早く?」
「マルクさんが全部手配してくれたのよ。さすがだわ」
マルクは照れくさそうに笑いながら手を振った。
「リーナちゃんは料理に集中してくれればいいんじゃ。準備は任せておきなさい」
「ありがとうございます。本当に助かります」
リーナは心からほっとした。味噌等の活用に手応えを感じていたこの頃、頭の中は新しい料理のことでいっぱいだった。
「それで、今日の献立はもう決まってるの?」
アンナが優しく声をかける。
「うーん、実はまだなんです。でも、エドワードさんからいただいた味噌がたくさんあって……あれを活かしたくて」
「味噌ねぇ……それじゃ、やっぱり味噌汁?」
「いえ、もう少し変化球でいきたいなって。何か食べたいものありませんか?」
「そうねぇ……たまにはパスタが食べたいかしら」
「……パスタ」
リーナの目がふっと細まった。
パスタはこの国でも親しまれている。トマトソースやオイルベースなどはよく見かける。でも、そこに味噌を加える発想は、まだ試したことがなかった。
「……やってみます。クリームソースに、味噌を合わせてみるのはどうでしょう?」
「ええっ、味噌とクリーム!?」
ベラが目を丸くする。
「あの調味料を、そんなふうに使うなんて……考えたこともなかったわ」
「意外と合うかもしれませんよ」
リーナはにっこりと笑い、厨房に向かって歩き出した。
* * *
「まずは出汁から作りましょう」
フェングリフの骨を鍋に入れ、水を張る。火をつけると、ゆっくりと湯気が立ち上り、やがて部屋に澄んだ香りが広がりはじめた。
「いい香り……」
アンナがそっと目を細める。
1時間ほど煮出した出汁を丁寧に漉し、黄金色に輝く液体をボウルに移す。
「これがベースになります」
続けて、鶏もも肉を一口大に、玉ねぎは薄切り、フサタケは根元を少し切りほぐす。パスタは市場で手に入る標準的な乾麺。茹で時間も頭に入っている。
フライパンにバターを溶かし、鶏肉を焼き始めると、ジューッと心地よい音が響いた。
「鶏肉の香りが食欲をそそるわね」
ベラの言葉に頷きながら、リーナは玉ねぎとフサタケを加え、さらに炒めてから出汁を注ぐ。
「ここからが、新しい挑戦です」
牛乳をたっぷりと加えると、鍋の中の色が淡いアイボリーに変わり、表面にとろみが見え始める。
「わあ……」
アンナが感嘆の声を漏らす。
「そして、これが今日の主役」
味噌を小皿にとり、少量の牛乳で丁寧に溶かす。
「そのまま入れると、ダマになっちゃいますから」
慎重に溶いた味噌を加えると、ソースはほんのりとした褐色に染まり、空気が一変した。クリームと出汁の香りに、味噌の奥深さが加わり、包み込むような芳しさが立ちのぼる。
「これは……なんて香りなんじゃ」
マルクが鼻をひくつかせて、鍋の中をのぞき込んだ。
「味を見て……ゆで汁を加えて調整して……よし」
パスタが茹で上がる。湯を切ってソースに絡めると、麺がつややかに光りながら滑らかにまとまり、仕上げに刻みネギを散らして完成した。
皿を囲んで、全員がフォークを手に取る。
一口、口に運んだ瞬間――
「……!」
まず鶏出汁の深い旨味が広がり、牛乳のまろやかさと味噌の芳醇さが舌を包み込む。
「これは……信じられないわ。味噌がこんなにまろやかになるなんて」
ベラの目が輝く。
「東方の調味料が、こんなにやさしい味になるなんて……」
アンナも感動している。
「鶏の出汁がええ仕事しとるのう」
マルクが頷きながら、皿を見つめた。
リーナも静かに微笑む。
「ロドリックさんにも食べてもらいたいな……どんな風に表現するんだろう」
「ふふ、きっと詩人になるわよ」
ベラが笑った。
* * *
午後になると、今日は料理教室の日だった。
「今日は肉味噌を、皆さんに教えますね」
2階のリビングには、ベラ、ソフィア、ロドリックをはじめ、街の主婦たちがエプロン姿で集まっていた。
リーナは笑顔で材料を手に取る。
「まず、フェングリフの胸肉を細かく刻んでいきます」
包丁がまな板を叩く音。トントントン。
「こうして叩くと、粘りが出るんですよ」
皆が一斉にメモを取りはじめる。
「次に、にんにくとショウガを準備してください。この2つはみじん切りにしてくださいね」
フライパンを火にかけ、油を温める。
「ここに、みじん切りのにんにくとショウガを入れて、香りが立ってきたらお肉を加えます」
ぷつぷつと泡立ち、じんわりと肉の香りが漂いはじめる。
「焦らず、少しだけ塊を残して焼きましょう。こうすると食感が楽しくなります」
ロドリックは無言で、真剣な目つきでその様子を見つめていた。
「焼き色がついたら、味噌・砂糖・塩を加えます。味噌は大さじ2杯が基本ですけど、お好みで調整してくださいね」
やがて部屋いっぱいに、香ばしくて甘い匂いが立ちこめた。
「じゃあ、今度は皆さんの番です」
参加者たちが一斉に調理台に向かい、それぞれの鍋から違った香りが立ち上る。
「本当にいい匂いね」
「これなら家でも作れそう!」
「子どもが喜んで野菜を巻いてくれそうだわ」
リーナは、蒸しキャベツやレタスを並べて、それに肉味噌を添えて試食をすすめた。
ロドリックが静かに一口。
しばらく沈黙。
そして――
「……これは……」
リーナが目を上げたときには、彼の表情が変わっていた。
「味噌の旨味が、野に降る霧のように柔らかく、キャベツの淡さを包み込む……」
ベラたちがまた来たとばかりにフォークを止める。
「肉の甘みが、根の下に眠る大地の力を伝えてくる。……これは、料理ではない。――歌だ」
「出たわね、相変わらず何言ってるか分からないわ」
ソフィアがくすくす笑う。
ロドリックは、それにも気づかぬ様子で言葉を続けた。
「ただの料理ではない……これは、風土の記憶だ。命を束ね、味に昇華させた……技巧と直感の結晶……!」
ふぅ、と深く息をつき、ようやく口を閉じる。
リーナは、微笑みながら深くお辞儀をした。
「ありがとうございます。ロドリックさんにそう言っていただけるなんて、光栄です」
ロドリックは黙って頷いたが、どこか照れくさそうだった。
料理教室は、最後まで和やかな雰囲気に包まれて終わった。参加者たちは手書きのレシピを大切そうに折りたたみ、笑顔で帰っていった。
ベラたちを見送った後、リーナは大きく伸びをした。
「ふう、今日も充実した一日でした」
片付けを終えると、もう夕方だった。
「そういえば」
アンナが思い出したように言う。
「明日は定休日よね」
「あ、そうでした!」
リーナの表情が明るくなった。働きだしてから、休みらしい休みを取っていなかった。
「明日はお休みの日だ!」
久しぶりの自由な時間。何をしようか、リーナの心は既に軽やかに踊っていた。