肉味噌と乾物屋構想
ジュードたちが東の森へ遠征に出発してから、ちょうど1週間が過ぎた。
朝の光が差し込むリビングで、リーナは干し台にツチタケとウミクサを並べていた。ざるの上で薄切りのツチタケが陽を浴び、ウミクサは束ねられて軒下で風に揺れている。
「ふぅ……これ、けっこう手間なんだよね」
額の汗をぬぐいながら、リーナは小さくつぶやく。
確かに、干すことで旨味も香りも引き立つ。でも、出汁の準備に加え、料理教室や仕込みもある今、効率よくできないかと考え込んでしまう。
「リーナちゃーん、おはよう!」
階下からアンナの明るい声。
「おはようございます!」
手を洗って1階に降りると、アンナは既に店の掃除を終えて、今日の仕込みの準備中。
「今日も良い天気じゃね。ツチタケとウミクサ、よく乾きそうじゃ」
「そうですね。でも毎日の作業だと、なかなか……」
「大変じゃろう?でも、リーナちゃんが作る乾物は本当に美味しいからのう。常連さんたちも『あの芳醇なスープをもう一度』って言ってくるし」
リーナの頬が微かに引きつる。確かに出汁の評判は上々だが、それだけに毎日の需要も増えている。
「そうそう。昨日のフェングリフ、まだ残っていたわよね?」
「はい、胸肉が2羽分ぐらい」
「何か新しい料理、考えてみる?保存の利くやつとか」
その一言に、リーナの瞳が輝いた。保存が利いて、野菜とも相性がいい――そう、肉味噌。祖母の味を思い出す万能おかず。
「アンナさん、ちょっと挑戦してみたい料理があるんですが……」
* * *
フェングリフの胸肉をまな板の上に置く。いつもなら大きめに切って焼くか、骨と一緒に煮込むところだが、今日は違う。
包丁を細かく動かして、肉を丁寧に刻んでいく。最初は1センチ角ほどに切り、それをさらに細かく、滑らかになるまで。包丁の背でリズムよく叩くと、粘りと艶が出てくる。
「あら、リーナちゃん、何してるの?」
アンナの視線が興味深そうに注がれる中、リーナはにっこり笑ってうなずく。
「ひき肉みたいにするんです。焼くと香ばしくて、野菜に合うんですよ」
フライパンに油を注ぎ、薄切りにしたにんにくとみじん切りのショウガを加える。火を入れると、すぐに油がぷつぷつと泡立ち、ふわりと甘く刺激的な香りが立ちのぼった。
「もういい匂いがしてきたわ」
にんにくがきつね色になったところで、刻んだ肉を一気に投入。ジュッという音とともに立ちのぼる蒸気と香りが、厨房を包み込む。
「肉はあまりほぐしすぎず、少し塊を残して焼くとおいしいんです」
フライパンを軽く振り、肉の表面をこんがりと焼いていく。時折、木べらでそっとほぐしながら、表面にまだらな焼き色がつくまでじっくり火を入れる。
香ばしい匂いが部屋に広がる。
「なんじゃ、この香りは……!新しい料理か?」
厨房の入り口にマルクの顔。
「ええ、肉味噌を作っているんです」
焼き色がついたところで火を止め、味噌、砂糖、塩を加える。再び弱火にかけて、調味料をじっくりとなじませていく。
すると、味噌が熱でとろけて肉に絡まり、甘くて香ばしい香りが一層濃くなる。
「仕上げにショウガを少し追加して……はい、完成です」
艶やかな茶色に照り輝く肉味噌が、フライパンの中でぷつぷつと音を立てていた。
「これは……確かにフェングリフの肉なんじゃろうが、まったく別物に見えるのう」
「味見してみましょうか」
小さなスプーンで肉味噌をすくい、3人で味見。
「……!」
口に入れた瞬間、肉の旨味と味噌のコクが広がった。砂糖の甘みが全体をまとめ、ショウガの辛みがアクセントになっている。そして何より、焼きつけたことで生まれた香ばしさが、今まで経験したことのない深い味わいを作り出していた。
「これは……これは美味しいわ!」
アンナの声が弾む。
「うむ……これなら保存も利きそうじゃし、色々な食べ方ができそうじゃな」
マルクの指先が顎をなぞる。
「はい。蒸した野菜につけて食べたり……」
昨日の料理教室で余ったキャベツを蒸し器へ。ほんの5分ほどで、しんなりと甘く蒸し上がる。
「こうやって、蒸し野菜につけて食べるんです」
キャベツに肉味噌をのせて、一口頬張る。
「もぐもぐ……あ、美味しい!」
キャベツの甘みと肉味噌の旨味が絶妙にマッチしている。野菜だけでは物足りなく感じるかもしれないが、この肉味噌があることで、十分満足感のある一皿になった。
「それから……こんな食べ方も」
生のレタスの葉を1枚取り、肉味噌を包んで見せる。
「えっ、レタスに包むの?」
「はい。これも美味しいんですよ」
ぱりぱりとした食感のレタスに、肉味噌の旨味が包まれて、また違った美味しさを楽しめる。
「手で包んで食べるなんて……面白い食べ方じゃな」
「野菜が苦手な子供たちも、こうやって食べれば喜ぶかもしれませんね」
* * *
昼の営業が始まると、厨房には肉味噌の香ばしい香りが漂っていた。
「今日は特別メニューがあるんですよ」
つややかな茶色の肉味噌。味噌の香りににんにくとショウガが重なり、なんとも食欲をそそる香りだ。
まずは、蒸したキャベツを添えて提供する。柔らかく甘みを増したキャベツに、濃厚な肉味噌を少しのせる。
「これを、こうやって食べてみてください」
一口。常連のトムの目が見開かれる。
「……これは、旨いな!肉の旨味と甘みがしっかりしてるのに、後味がすっきりしてる」
「レタスで包んでもおいしいんですよ」
今度は生のレタスに肉味噌を包んで差し出す。トムは楽しそうに笑って頬張った。
「こりゃあ、子どもも野菜を食べてくれそうだ!」
厨房のカウンター越しに他の常連たちも集まり、次々と肉味噌を試食していく。
「保存できるなんて助かるわね」
ベラやマルクも感心した様子で、レシピの話に花を咲かせていた。
「これからも美味しい料理教えてほしいわ!」
「そうですね。ただ……」
窓の外に目をやる。軒下に吊るしたウミクサと、ざるに広げたツチタケが風に揺れている。
「どうしたんじゃ?」
マルクの声に心配が滲む。
「あの……皆さんにお聞きしたいことがあるんです」
常連客たちの視線が一斉に向けられる中、リーナは少し迷いながら口を開いた。
「えっと……乾物屋って、ないんですか?」
「乾物屋?」
ベラの首が傾く。
「はい。ツチタケやウミクサを乾燥させて売っているお店です」
「うーん……干し肉を売ってる店はあるが、きのこや海藻を専門に扱ってる店は聞いたことがないな」
トムの表情に考え込む色が浮かぶ。
「そうなんです。毎日ツチタケとウミクサを乾燥させてるんですが、結構手間がかかって……。他にも使いたい人がいるはずなのに、乾燥させた状態で買える場所がないんです」
「なるほど」
ベラの瞳に光が宿る。
「それは確かに不便ね。私たちも、リーナちゃんのスープを作りたいけど、毎日乾燥させる時間はないもの」
「乾物……専門の店か。面白い発想じゃな」
マルクの指先が再び顎を撫でる。
「でも、そんな店を作るとして、誰がやるんだ?」
空気が少し重くなった。
「そうですね……乾燥させる技術は難しくないんです。天日干しするだけですから。問題は場所と、安定した供給ですね」
「場所なら、市場の一角を借りることもできるかも」
ベラの声が弾む。
「私の野菜売り場の隣、空いてるスペースがあるのよ」
「おお、それはいいかもしれん」
「でも、ツチタケやウミクサを安定して仕入れられるのか?」
「それは大丈夫よ」
ベラの声に自信が満ちる。
「ツチタケもウミクサも売ってるお店知ってるし、彼らに定期的に仕入れてもらえば!」
「商売になりそうですね」
アンナの声が嬉しそうに響く。
「そうね。リーナちゃんの料理が広まれば、きっと需要も増えるわ」
「それに、乾物なら日持ちするから、在庫も持ちやすいしな」
「じゃあ、本当に乾物屋を作るのか?」
「まあ、すぐにというわけにはいかないけど……でも、可能性はあると思うわ。この街も、リーナちゃんのおかげで食べ物に対する関心が高まってるし」
ベラの表情に思考の影が差す。
「美食の街アードベル、ですね」
リーナの微笑みが広がる。
「そうじゃ!騎士団の皆さんも言ってたじゃろう?この街を美食の街にするって」
マルクの手が弾むように叩かれる。
「乾物屋ができれば、もっと多くの人が美味しい出汁を楽しめるようになりますね」
「それは素晴らしいことじゃ」
常連客たちの間で、乾物屋設立への期待が高まっていった。
「じゃあ、今度皆で相談してみようか。場所のこと、仕入れのこと、誰が担当するか……色々決めることがあるし」
ベラの提案に温かさが込められる。
「はい!ぜひお手伝いさせてください」
リーナの胸も期待で高鳴った。乾物屋ができれば、自分も毎日の作業から解放される。そして何より、この街の人たちがもっと手軽に美味しい出汁を楽しめるようになる。
(これって、街全体の食文化を変えることになるかも……)
前世では小さな惣菜屋で働いていただけだったリーナが、今では街の食文化の中心にいる。不思議な感覚だったが、それも悪くない。
「それにしても」
もぐもぐ。
「この肉味噌、本当に美味しいな。野菜がこんなに美味しく感じるなんて」
「家の子供も喜びそうだ」
「レシピ、今度の料理教室で教えてもらえる?」
「もちろんです。簡単ですから、きっと皆さんにも作れますよ」
そうして、肉味噌の評判と乾物屋への期待を胸に、アンナの食卓の昼営業は今日も賑やかに続いていった。