シュネーボネット
「リーナ」
不意に至近距離から呼ばれ、リーナはビクッと肩を揺らした。
「え? あ、ごめんなさい!」
顔を上げると、カウンターから身を乗り出したジュードが、すぐ目の前で困ったようにこちらを覗き込んでいた。あまりの距離の近さに、リーナは顔を熱くする。
(くっ! かっこいいわ。‥‥‥かっこよすぎて、本当に私なんかでいいのかなって、贅沢な悩みが尽きない‥‥‥)
「そのグラス、めちゃくちゃピッカピカなんだけど。まだいく?」
「あ……」
慌てて手元の布巾を置く。いつの間にか、同じグラスをずっと磨いていたらしい。
(ちょっと、さっきの市場のことを引きずっちゃったな‥‥‥)
美味しいものを食べてもらいたい一心だったけれど、言われてみれば納得しかない。この土地の恵みを祝うお祭りで、異国の調味料に頼りきりなのは、お祭りの一番大切な意味を見落としていた気がして、自分の不甲斐なさがすごく悔しかった。
痛いところを突かれたという思いがまだ胸の奥で燻っていて、リーナは置いたばかりの布巾をぎゅっと握り直した。
「えーっと、すみません。何の話でしたっけ?」
「もう、聞いてないじゃないのよ」
ジュードの隣でワイングラスを傾けていたアデラインが、わざとらしく大きくため息をついた。長い指先が優雅に前髪を払う。大げさなため息すら絵になっている。自分よりずっと大きくて骨ばった手から生み出されるしなやかな所作には、いつみても憧れる。
「アードフェストの剣技大会の話よ」
「あっ、そうでした! 団長から豪華な賞品が出るとかなんとかって言ってましたね!」
(豪華賞品って、一体何なんだろうな‥‥‥お肉とかお酒とか? いいな‥‥‥)
リーナが呑気にそんなことを考えていると、視界の隅でキラキラしている気配がした。思わず目を向けると、ルークが期待に満ちた顔でぐっと身を乗り出していた。
「僕、今年こそジュードさんに勝ちますから! ジュードさんの連勝記録、僕が止めますよ!」
「えっ、ジュード、そんなに優勝してるの?」
リーナが驚いて見つめると、ジュードは少しだけ得意げに笑った。
「まあな。今年はきっとリーナが応援に来てくれるだろうから‥‥‥って応援来てくれるよね?」
「行くよ! もちろんだよ!」
「良かった‥‥‥じゃあいいとこ見せないとなぁ」
表情を緩めたジュードに、アデラインが呆れ交じりの声を上げる。
「ちょっと、余裕ぶって足元すくわれないようにしなさいよねぇ。でも若手にも見せ場を作ってあげてほしいっていうか‥‥‥やっぱり負けなさい、あんた」
「なんでそうなるんだよ!」
即座にツッコミを入れるジュードと、どこ吹く風のアデライン。そんな二人のわちゃわちゃとしたやり取りに、ルークが「手加減なんていりませんよ!」と両拳を握って熱く息巻く。
「そういえば」と、アデラインが思い出したようにリーナを見た。
「アードフェストといえば、大本命は最終日の宴会よ。各家が広場に自慢の料理を持ち寄るの」
「ああ、うちの宿もフリッツさんが毎年張り切ってますよ」
ルークがぱっと顔を輝かせた。
「あ、そうだ! ローラが今年はリーナさんと一緒に屋台を回りたいって言ってましたよ!」
「本当? 私もローラと行きたい!」
「良かった。あ、そうそう、ローラと言えば‥‥‥」
「はいはい、シスコンはそこまで」
アデラインがルークの頭を軽く小突く。「シスコンじゃないですよ! ただローラが可愛いから」と抗議するルークを無視して、アデラインは懐かしそうに目を細めた。
「私の家はエルンベルを毎年出してたわ」
「エルンベル‥‥‥?」
「シュネーボネット――白い豆なんだけどね。それと燻製肉を、一晩水に浸して煮込むのよ。鍋の蓋を開けると、白い豆がほろほろになっててね‥‥‥アードベルの冬の定番なのよ」
シュネーボネット。白い豆。
白い豆を水に浸して、ことこと煮る。ほろほろになるまで。
(それを潰したら? ‥‥‥お砂糖はこの国の特産品だし)
「家によって味が違うのよ。香草の使い方が――」
柔らかくなるまで煮て、するりと皮を剥く。それを丁寧に裏ごしして、お砂糖と一緒に練り上げたら――白あんに、近いものが出来るんじゃないか。
(でも、白い豆って言っても、品種によって全然違うし‥‥‥本当にあんこに向くかどうかは、実物を見てみないと分からない)
「リーナさん? おーい、リーナさーん! ダメですね。これは」
でも、もしも本当に向く品種だったら――出来上がった餡で栗の甘露煮をくるんで、さらに生地で覆って栗饅頭にしてもいいし。カボチャのペーストと混ぜてあんパン風にしてもいいのではないか。
「‥‥‥また入ったわね、これ」
「あーあ、完全に俺たちのこと見えなくなってる」
ジュードの小さな苦笑い。
「リーナ」
額をピンッと指先で弾かれた。
「ひゃっ」
微かな痛みに、一気に周囲の音が戻ってくる。
弾かれた額を押さえながら、視線の焦点を合わせると、ジュードとばっちり目が合った。「しょうがないな」とでも言いたげな呆れつつも柔らかい視線。急に恥ずかしくなって、リーナは慌てて視線を逸らした。
「戻ってきた?」
「あ……っ、ごめんなさい! 私、また――!」
わたわたと取り乱すリーナを見て、三人が顔を見合わせて同時に吹き出した。
「もう、リーナのこの顔を見ると、この街の食がまた変わるんじゃないかって思うわね」
アデラインが肩を揺らして笑う。
「‥‥‥何か、思いついたのか?」
問いかけるジュードの声でふわふわしていた思考が落ち着き、ぼんやりしていたアイデアが、少しずつ鮮明になっていく。
「まだ、うまく言えないんですけど‥‥‥アデラインさん、そのシュネーボネットって市場に出るのはいつ頃ですか?」
さっきまでのモヤモヤはすっかり消え去り、込み上げてくるワクワク感に、どうしたって口の端が緩んでしまうのだった。
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