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新たな仕入れルートと味噌の発見

ジュードたちが遠征に出てから、3日が過ぎた。


リーナは厨房の棚から、東方から取り寄せた調味料の瓶をそっと持ち上げる。ずっしりとしたはずのそれは、今では驚くほど軽かった。


「……あと少ししかない」


ジャン。料理教室と遠征用の携帯食づくりで、思った以上に使ってしまった。街の人々が家庭でも使い始めたのは嬉しい限りだが、それだけに供給が追いつかなくなってきている。


(このままだと、あと1週間もたないかも)


ため息をついたそのとき、階下からアンナの声が響いた。


「リーナちゃん、お客さんよー!」


「はーい、今行きます!」


慌てて手を拭き、エプロンを外して階段を駆け下りる。



* * *



店の入り口に立っていたのは、見慣れたロドリックと、見知らぬ中年の男性だった。40代ほどだろうか。仕立ての良い旅装束を身にまとい、品のある笑みをたたえている。


「ロドリックさん、いらっしゃいませ」


「リーナさん。今日は人を紹介したい」


ロドリックが隣の男を示す。


「こちらは東方交易商のエドワード・モリスさん」


「はじめまして。東方交易商会を通じて各地を巡っております、エドワード・モリスです。ロドリック様から、こちらの料理の評判を伺いまして」


丁寧な挨拶と共に、深く頭を下げるエドワード。


「リーナです。こちらこそ、よろしくお願いします」


3人は店の奥のテーブルに腰を下ろした。


「実は今後、正式に調味料の仕入れルートを確保したいと思っている」


ロドリックが切り出す。


「と、言いますと……?」


「君の料理教室をきっかけに、街の人たちもすっかり醤の味に慣れてきた。でも、今の在庫じゃ到底足りないだろう?」


リーナは苦笑いしながら頷く。


「はい……実は、家にある分ももうほとんど残っていなくて」


「それで、エドワードさんに相談してみた」


エドワードが穏やかな口調で続ける。


「醤につきましては、東方からの定期便で月に一度お届けできます。現在お使いの量を教えていただければ、それに合わせた供給体制を組めるかと」


リーナが使用量の目安を伝えると、彼はすぐに頷いた。


「はい、それなら十分対応可能です。大口での契約でしたら、現在の市場価格の8割でご提供できます」


「それは助かりますね」


ロドリックが目を細めたところで、エドワードが思い出したように手を打った。


「そうそう。実は最近、ちょっと珍しい品を入手したんですよ」


そう言って彼が鞄から取り出したのは、素焼きの壺だった。ふたを開けると、中には濃い茶色の、やや固めのペースト状の物体が詰まっている。


「これは……?」


味噌ミソと申します。東方で広く使われている発酵調味料で、肉や野菜の下味としても使われています」


その香りに、リーナの鼻がぴくりと動いた。深いコクと、かすかに甘みを感じさせるような香ばしさ――それは懐かしくもあり、確信にも近かった。


「すみません、少し見せていただけますか?」


彼女が目を凝らすと、文字が浮かび上がる。


味噌ミソ

『品質:中級』

『特性:大豆を発酵させた調味料。深い旨味と塩気を持つ』

『用途:煮込み、炒め物、汁物など』


(やっぱり……これは味噌!)


リーナの表情がぱっと明るくなるのを見て、ロドリックが身を乗り出した。


「なにか分かったのか?」


「はい。この味噌……スープにすると、きっと驚くほどおいしいと思います」


「スープに?」


エドワードが興味深そうに眉を上げる。


「東方ではもっぱら調味用として使われているとは聞いておりますが……」


「ええ、ですが使い方次第で、もっと広がるはずです。試してみませんか?」


彼女の提案に、2人は頷いた。



* * *



厨房に移ると、リーナはさっそく鍋に火を入れた。


「まずは、基本の出汁を取りますね」


水にツチタケとウミクサを加え、ゆっくりと火にかけていく。やがて鍋から立ち上る香りが、ふんわりと室内を満たした。


「これは……」


エドワードが思わず鼻をくすぐられる。


「木陰に咲いた花のような……いや、焼いた魚の香りにも似てる?」


「素材が持つ旨味が合わさって、こうなるんです」


リーナは笑いながら答え、鍋の中の出汁を丁寧にすくう。その色は、光を透かすような透明な琥珀色。すでに、味の核はできあがっていた。


「ここに、味噌を溶かします」


彼女は小さじを使って味噌をすくい、少しずつ出汁に溶かし込んでいく。お玉で静かに混ぜると、鍋の中はやわらかい褐色に染まり、ふくよかな香りが一気に広がった。


「これは……!」


エドワードが驚いたように声を上げる。


「最初の香りと違う……もっと深くて、濃くて……体が温まるような匂いだ」


「味噌が、出汁の中で目覚めたんですね」


最後にシロネギを薄く刻んで浮かべ、器に注ぐ。椀の中には、澄んだスープとほんのり浮かぶ緑の彩り――シンプルながら、美しい一杯が完成した。


「どうぞ、『味噌汁』です。熱いうちに召し上がってください」


3人がそろって椀を手に取り、口元に運んだ。


「…………!」


最初に息を呑んだのはエドワードだった。目を見開いたまま、言葉が出ない。


「まろやかで……優しいのに、奥からどんどん旨味が広がってくる……!」


「口の中でふわっと広がって、それでいて深みがある……」


ロドリックもすでに感動の域へと突入していた。


「これは……まるで、春の暖かな日差しのような母の笑顔に包まれていく……!」


(ああ、また始まった……)


リーナが苦笑しながら見守るなか、ロドリックはさらに勢いを増していく。


「味噌のコクが、清らかな出汁の味と重なり合い……まるで、2つの異なる命が寄り添って調和したような……! これはもう、芸術です! 液体の芸術!!」


エドワードはぽかんと口を開けていたが、ふと我に返る。


「……ええ、確かに。今まで口にしたどんなスープよりも、心に残ります。こんな使い方があったとは……!」


「ありがとうございます。味噌、定期的に仕入れていただけますか?」


「もちろんですとも! この味を知ってしまったら、取り扱わずにはいられません!」


エドワードの商人魂にも、火が灯ったようだった。


「実は、他にも気になる食材がありまして。『コメ』という、東方の白くて小さな粒状の穀物なんですが……」


「コメ……?」


リーナの心臓が跳ねた。


「ええ。東方では主食として広く食べられているそうで、見た目は白く、小さな粒です。蒸したり、煮たりして食べるとか」


(……まさか、米!?)


「もしご興味があれば、次の便でいくつか持ってきましょうか?」


「ぜ、ぜひお願いします!」


思わず椅子から身を乗り出してしまった。恥ずかしさを感じつつも、それを押しのけるほど、リーナの胸は高鳴っていた。



* * *



エドワードが商談を終えて店を後にした後、ロドリックが深々と頭を下げた。


「リーナさん、今日もありがとう。味噌の新しい使い方を教えてくれて、騎士団としても本当に助かる」


「こちらこそ、安定した仕入れ先ができて安心しました」


(それに、味噌とお米がそろえば……!)


リーナの脳裏に浮かぶのは、前世の思い出。炊きたてのご飯に、あつあつの味噌汁。そして――


(ジュードに、おにぎりを作ってあげたいな)


まだ見ぬ未来の食卓に思いを馳せながら、リーナはそっと窓の外を見上げた。


東の森の向こう。ジュードたちは、無事でいるだろうか。


「……早く帰ってきてね。今度は、もっともっとおいしいものを作って待ってるから」


静かに呟いたその声は、明日の仕込みに向けて動き出す小さな決意となって、厨房にそっと溶け込んでいった。

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