街ぐるみの遠征支援作戦
ジュードたちの遠征出発まで、あと1週間。
リーナは店の奥で、騎士団がいつも持参している携帯食を眺めていた。硬いパン、ショートパスタ、塩漬けの干し肉、それに干しぶどう。
「これじゃあ、1ヶ月も食べ続けるのは辛いだろうな...」
栄養面でも心配だし、何より美味しくない。遠征で疲れた体に、もっと滋養のある食事を届けたい。
(でも1週間で何ができるかな...)
一人で考え込んでいると、店の入り口が開く音が聞こえた。
「リーナちゃん、浮かない顔してるじゃない」
市場のベラが心配そうに覗き込む。後ろから、大工のトムとパン屋のソフィアも顔を出した。
「騎士団の遠征食のことで悩んでるんです。もっと栄養があって美味しいものが出来たら良いんですけど...」
リーナがため息をつくと、トムが手をポンと叩いた。
「それなら、みんなで考えようぜ!」
「そうよ。騎士団の皆さんには、いつもお世話になってるもの」
ベラも頷く。
「私もパン作りなら任せて。保存の効く焼き方、いくつか知ってるから」
ソフィアの提案に、リーナの表情がパッと明るくなった。
「本当ですか?でも、皆さんにそんな...」
「遠慮しないで。『美食の街アードベル』実現のためよ」
ベラがにっこりと笑う。
「それじゃあ、作戦会議といこうか」
* * *
翌朝から、アンナの食卓は遠征食作りの拠点と化した。
「まずは保存の効くパンとビスケットね」
ソフィアがエプロンを締めながら言う。
「普通のパンより水分を少なくして、しっかり焼き込むの。硬くなるけど、噛むほど味が出るのよ」
リーナも一緒に生地をこねる。ソフィアの手つきは職人そのもので、粉の状態を見極める目も確かだった。
「生地がちょっと固めね。でもこれくらいじゃないと、日持ちしないの」
「なるほど...普通のパン作りとは違うんですね」
「そうなの。遠征用は特別よ。香草を練り込むのはどうかしら?」
「いいアイデアですね。ローズマリーなら、爽やかな香りで食欲増すかも」
2人で試行錯誤を重ねる。最初の試作品は少し硬すぎて、歯が立たないほどだった。
「うーん、これじゃあ石みたい」
ソフィアが苦笑いする。
「水分をもう少し残してみましょうか」
2回目の挑戦。今度は焼き時間を調整し、表面だけしっかりと焼き上げる。
「今度はどうかしら?」
リーナが一口齧ってみる。確かに硬いが、噛むほどに小麦の甘みと香草の香りが口に広がった。
「これなら大丈夫そうですね!」
「よし、ビスケットも同じ要領で作りましょう」
ソフィアの経験と、リーナのアイデアが合わさって、香草入りの保存パンとシンプルなビスケットが完成した。
* * *
同じ頃、店の裏手ではトムが燻製の準備をしていた。
「魔物肉を燻製にするなんて、初めてだな」
フェングリフの肉を醤で下味をつけ、一晩寝かせたものを取り出す。
「燻製の仕組みは分かるけど、魔物肉でうまくいくかねえ」
「やってみましょう!」
リーナも袖をまくる。トムが大工の技術を活かして、燻製用の簡易な棚を組み立てていく。
「高さはこれくらいで、煙が均等に回るように...」
「さすがですね、トムさん」
「大工の勘ってやつかな。でも火加減の方は慎重にいかないと」
トムが薪を調整しながら言う。家で料理をしているだけあって、火の扱いは手慣れたものだった。
「最初は強めに燃やして、煙が出始めたら火を弱くするんだ」
「なるほど...」
煙がゆらゆらと立ち上り始めた。最初は白い煙だったが、徐々に薄い青みがかった煙に変わっていく。
「この色の煙になったら、ちょうどいい温度だ」
トムが説明する間に、醤の香ばしい香りが辺りに漂い始めた。
「いい匂いがしてきましたね」
「おお、近所の人たちも気づいたみたいだ」
「何してるの?」「すごくいい匂い」と、次々と人が覗きに来る。
「魔物肉を燻製にしてるんだよ」
トムが誇らしげに説明すると、皆が驚いた顔をした。
「魔物肉を?」
「そんなことできるの?」
1時間ほど経った頃、トムが肉の状態を確認する。
「まだかな...もう少し時間をかけた方がいいか」
表面が美しいあめ色に変わり、触ると適度な弾力がある。
「色艶がいいですね」
さらに1時間後、ようやく燻製が完成した。
「おお、これはいい出来だ」
トムが満足そうに頷く。試しに薄く切って味見をしてみると...
「うまい!これは保存も効きそうだし、そのまま食べても十分だな」
「魔物肉って、こんなに美味しくなるのね」
見に来ていた近所の人たちも驚いている。
「スープに入れても、いい出汁が出そうですね」
リーナが提案すると、トムが小さく切った燻製をお湯に入れてみた。確かに、琥珀色の美味しそうなスープができあがった。
「こりゃあ、騎士団の皆さんも喜ぶだろうな」
* * *
一方、ベラは野菜の選別に余念がなかった。
「遠征先で不足しがちなのは、やっぱり野菜の栄養よね」
根菜類を中心に、乾燥に適したものを次々と選んでいく。手に取った野菜を一つ一つ吟味する様子は、さすが野菜売りだった。
「大根は薄切りにして干せば、お湯で戻せるし」
「この葉物も、乾燥させれば長持ちするわ」
実際に薄切りにして干してみる。日光でゆっくりと水分を抜いていくと、野菜の甘みが凝縮されていくのが分かった。
「ピクルスも作りましょう。酢に漬けておけば、日持ちするし、さっぱりして食欲も出ますよ」
リーナの提案で、大根と人参のピクルスも仕込んだ。
「酢の分量はどれくらい?」
「野菜がしっかり浸かるくらいで。塩も少し加えて...」
2日ほど漬け込んでから味見をしてみると、程よい酸味と塩気で、確かに食欲をそそる味に仕上がっていた。
「これは口直しにもちょうどいいですね」
ベラが感心する。
「リーナちゃんのアイデアは、いつも的確ね」
* * *
マルク夫婦も、出汁スープの素作りに大忙しだった。
「ツチタケとウミクサを粉末にして、小袋に分けるのね」
アンナが手際よく作業を進める。乾燥させたツチタケとウミクサを、すり鉢で丁寧に擦っていく。
「粉にするのって、こんなに大変なのね」
「でも、これがあれば遠征先でも本格的な出汁が取れるんじゃから、頑張ろうかの」
マルクも手伝いながら、小袋に小分けしていく。一回分ずつ分けておけば、現地で使いやすいはずだ。
「試しに作ってみましょうか」
小袋一つ分をお湯に溶かしてみると、確かに透明で美味しい出汁ができあがった。
「これなら、どんな食材と合わせても美味しくなりそうね」
アンナが味見をして頷く。
「リーナちゃんの出汁は、本当に魔法みたいじゃな」
マルクも感動している。
リーナは最後に、手のひらサイズの紙に遠征用のレシピメモを書いていた。
『出汁の取り方』『簡単スープのレシピ』『ハーブの使い分け』
どれも現地で役立ちそうな、実用的な内容だ。文字を書きながら、騎士団の皆が困らないよう、できるだけ分かりやすい言葉を選んだ。
「字が下手で恥ずかしいですけど...」
「リーナちゃんの字は綺麗よ。それに心がこもってるじゃない」
アンナが優しく微笑む。
「きっと皆さん、喜んでくれるわよ」
* * *
そして、遠征出発の日。
「うわあ、こんなにたくさん...」
騎士団の面々が、目を丸くしている。大きな包みの中には、1週間かけて街総出で作った遠征食がぎっしりと詰まっていた。
「保存パンに、魔物肉の燻製、乾燥野菜、ピクルス、出汁スープの素...」
アデラインが一つ一つ確認していく。
「それにレシピメモまで。これは至れり尽くせりね」
「すげえ、魔物肉の燻製なんて初めて食べるぞ」
ガレスが嬉しそうに声を上げる。実際に燻製を一切れ口に入れると、目を見開いた。
「うまい!こんな味、初めてだ」
「栄養バランスも考えられてるし、保存性も抜群ですね」
シリルが感心したように言う。
「うん、これ食べるのが楽しみになるね!」
ルークもにこにこしていた。
そんな中、ジュードがリーナの前に立った。
「リーナ、マジでありがとう。街のみんなにも、俺たちから礼を言っておいてくれ」
「はい。気をつけて行ってきてね」
リーナが微笑むと、ジュードは少し照れくさそうに後ろ頭をかいた。
「でさ、戻ってきたら……その、新作料理とか、考えてくれてたりする?」
「うん。もちろん、いっぱい考えて待ってるね」
リーナが頷くと、街の人々から見送りの声が上がった。
「無事に帰ってこいよ!」
「遠征食、大事に食べろよ」
「魔物退治、頼んだぞ」
騎士団の一行は、大きな荷物を背負って街を出て行く。その後ろ姿が見えなくなるまで、皆で手を振り続けた。
* * *
静けさを取り戻した店で、リーナは一人片付けをしていた。
1週間の協力作業は、本当に充実していた。街の人たちの温かさを改めて感じ、美食の街アードベルへの道筋も見えてきた気がする。
でも...
(やっぱり寂しいな)
ジュードのいない1ヶ月が始まる。でも、だからこそやることがある。
新しい料理を考えよう。遠征から帰ってきた彼らを、最高の料理で迎えよう。
リーナは窓の外を見上げた。東の森の方角に向かって、小さく手を合わせる。
「無事に帰ってきてください」
そして、明日からの新しい日々に向けて、静かに微笑んだ。