ハルトの正体
ポットから立ち上る白い湯気が、リーナの視界をわずかに揺らす。琥珀色の液体が純白のカップへと注がれていく。
カウンターの向こう側のハルトとジュード。
ハルトは所在なげに指先でカウンターを撫で、どこを見つめるともなく宙を彷徨っている。隣で腕を組むジュードの横顔は、まるで石膏像のように動かない。きつく結ばれた唇が、その内心を雄弁に物語っている。
――ただの知り合い、というにはあまりに緊張感がありすぎる。ジュードの怒り方も、ハルトの困り方も、どこか長い付き合いを思わせる。
「お待たせしました」
リーナがカップを置くと、二人は揃って小さく頭を下げた。
「ジュード、お父様はもう大丈夫なの?」
リーナの言葉に、ジュードの表情がぴたりと固まる。
「ええっと……嘘だった」
「え?」
「帰ったら普通に仕事してた」
淡々とした声。抑揚のない、温度を感じさせない声色だ。
リーナは思わず目を瞬かせる。
「どういうこと?」
「俺を呼び戻したくて、嘘をついたらしい」
ジュードの視線が、氷の矢のように隣の男へ突き刺さる。そこに含まれるのは、疑いようのない非難の色。
「たちが悪い」
ハルトは視線から逃れるように顔を背け、カップの紅茶を一口飲んでから、わざとらしい咳払いをした。その肩が、ほんのわずかに縮こまっている。
リーナは二人を見比べた。
「ハルトさんとはどういうご関係なんですか? 昔からのお知り合い?」
二人は弾かれたように顔を見合わせる。視線が空中で絡み合い、「お前が言え」「そっちが言え」と無言で押しつけ合うような沈黙が流れる。
数秒後、先に折れたのはハルトだった。観念したように、深い溜息が漏れる。
「ジュード、お前から説明してくれ」
――逃げた。
ジュードは諦めたように一度天を仰ぎ、短く息を吐いてからリーナへと向き直った。
「……乳兄弟なんだ」
「乳兄弟?」
聞き慣れない言葉に、リーナは首を傾げる。ジュードは静かに頷いた。
「そう。幼い頃からずっと一緒の、ね」
「へえ……じゃあ、幼馴染みってこと?」
「そうだね。物心ついた頃からずっと」
リーナは二人の顔を交互に見つめる。乳兄弟、幼馴染み。ならば、仲が良いのも納得できる。
けれど――ジュードは宮廷伯ベネット家の次男。その乳兄弟となれば、相手は同等か、それ以上の家柄であるはず。思考の点と点が、急速に繋がり始める。心臓のあたりが、冷たい水で満たされるような感覚。
乳兄弟とは、高貴な家の乳母の子が、その主筋の子と共に育つ関係。多くの場合、立場には明確な差がある。ジュードの、ハルトに対するあの奇妙な距離感。それは、ハルトがジュードよりも「上」の立場であることを示唆していた。
――貴族、しかも相当な高位。
リーナの視線が、再びハルトを捉える。色褪せた茶色の髪、旅人風のくたびれた服装。どう見てもしがない商人だ。しかし、彼の纏う空気の奥底に、隠しきれない気品がある。
(もしかして……)
脳裏をよぎった一つの可能性。リーナはそれを悟られぬよう、ゆっくりと息を吐き、思考の蓋を閉じた。
彼には彼の事情がある。自分と同じように。
リーナは顔の筋肉を意識して動かし、完璧な微笑みを作る。
「そっか。それで昔から仲が良いんですね」
その一言で、その場の空気が変わる。ハルトとジュードが、強張っていた肩の力を抜き、安堵したように目を合わせるのが分かった。
「何か作ろうか?お腹減ったでしょ?」
「え、いいのか?」
ジュードがぱっと顔を上げた。その瞳に、子供のような光が宿る。
「もちろんだよ、ジュード。何が食べたい?」
「そうだな……リーナの料理なら何でもって言いたいけど、今は甘いものがいいかな」
ジュードがはにかむように笑う。その笑顔に、ようやく年相応の素顔が覗いた。隣のハルトの表情にも、穏やかな色が戻っている。
「何が良いかな……」
リーナは棚に並んだ瓶詰の果実を眺めながら、小さく口ずさむように呟いた。