表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

119/119

ハルトの正体

 ポットから立ち上る白い湯気が、リーナの視界をわずかに揺らす。琥珀色の液体が純白のカップへと注がれていく。


 カウンターの向こう側のハルトとジュード。


 ハルトは所在なげに指先でカウンターを撫で、どこを見つめるともなく宙を彷徨っている。隣で腕を組むジュードの横顔は、まるで石膏像のように動かない。きつく結ばれた唇が、その内心を雄弁に物語っている。


 ――ただの知り合い、というにはあまりに緊張感がありすぎる。ジュードの怒り方も、ハルトの困り方も、どこか長い付き合いを思わせる。


「お待たせしました」


 リーナがカップを置くと、二人は揃って小さく頭を下げた。


「ジュード、お父様はもう大丈夫なの?」


 リーナの言葉に、ジュードの表情がぴたりと固まる。


「ええっと……嘘だった」


「え?」


「帰ったら普通に仕事してた」


 淡々とした声。抑揚のない、温度を感じさせない声色だ。

 リーナは思わず目を瞬かせる。


「どういうこと?」


「俺を呼び戻したくて、嘘をついたらしい」


 ジュードの視線が、氷の矢のように隣の男へ突き刺さる。そこに含まれるのは、疑いようのない非難の色。


「たちが悪い」


 ハルトは視線から逃れるように顔を背け、カップの紅茶を一口飲んでから、わざとらしい咳払いをした。その肩が、ほんのわずかに縮こまっている。


 リーナは二人を見比べた。


「ハルトさんとはどういうご関係なんですか? 昔からのお知り合い?」


 二人は弾かれたように顔を見合わせる。視線が空中で絡み合い、「お前が言え」「そっちが言え」と無言で押しつけ合うような沈黙が流れる。


 数秒後、先に折れたのはハルトだった。観念したように、深い溜息が漏れる。


「ジュード、お前から説明してくれ」


 ――逃げた。


 ジュードは諦めたように一度天を仰ぎ、短く息を吐いてからリーナへと向き直った。


「……乳兄弟なんだ」


「乳兄弟?」


 聞き慣れない言葉に、リーナは首を傾げる。ジュードは静かに頷いた。


「そう。幼い頃からずっと一緒の、ね」


「へえ……じゃあ、幼馴染みってこと?」


「そうだね。物心ついた頃からずっと」


 リーナは二人の顔を交互に見つめる。乳兄弟、幼馴染み。ならば、仲が良いのも納得できる。


 けれど――ジュードは宮廷伯ベネット家の次男。その乳兄弟となれば、相手は同等か、それ以上の家柄であるはず。思考の点と点が、急速に繋がり始める。心臓のあたりが、冷たい水で満たされるような感覚。


 乳兄弟とは、高貴な家の乳母の子が、その主筋の子と共に育つ関係。多くの場合、立場には明確な差がある。ジュードの、ハルトに対するあの奇妙な距離感。それは、ハルトがジュードよりも「上」の立場であることを示唆していた。


 ――貴族、しかも相当な高位。


 リーナの視線が、再びハルトを捉える。色褪せた茶色の髪、旅人風のくたびれた服装。どう見てもしがない商人だ。しかし、彼の纏う空気の奥底に、隠しきれない気品がある。


(もしかして……)


 脳裏をよぎった一つの可能性。リーナはそれを悟られぬよう、ゆっくりと息を吐き、思考の蓋を閉じた。

 彼には彼の事情がある。自分と同じように。

 リーナは顔の筋肉を意識して動かし、完璧な微笑みを作る。


「そっか。それで昔から仲が良いんですね」


 その一言で、その場の空気が変わる。ハルトとジュードが、強張っていた肩の力を抜き、安堵したように目を合わせるのが分かった。


「何か作ろうか?お腹減ったでしょ?」


「え、いいのか?」


 ジュードがぱっと顔を上げた。その瞳に、子供のような光が宿る。


「もちろんだよ、ジュード。何が食べたい?」


「そうだな……リーナの料理なら何でもって言いたいけど、今は甘いものがいいかな」


 ジュードがはにかむように笑う。その笑顔に、ようやく年相応の素顔が覗いた。隣のハルトの表情にも、穏やかな色が戻っている。


「何が良いかな……」


 リーナは棚に並んだ瓶詰の果実を眺めながら、小さく口ずさむように呟いた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
いや、ちゃんと謝れよ。 反省してないよ? しかもめっちゃお邪魔虫
うおおおおリーナちゃん!なんて気遣いのできるヒトなんだ、オバちゃんだけど惚れるぜっ!
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ