学園の日常
あれから十年が経った。
俺は今、十六歳。王立学園の貴族科に通っている。
この学園は貴族の子女が通う場所で、貴族科の他に騎士科や魔法科もある。将来国を支える人材を育てるための教育機関だ。
王立学園の廊下を歩く。隣には、いつも通りジュードがいた。
「レオンハルト殿下、また彼女たちが……」
ジュードが小声で囁いた。視線の先には、廊下の向こうで何人かの女子生徒たちがこちらを見ながらきゃーきゃー騒いでいる。
「ジュード様、今日も素敵!」
「レオンハルト殿下もかっこいい!」
「二人とも仲良しで素敵……」
最後の声には、なんだか妙な熱がこもっていた気がする。
「慣れろよ、もう」
俺は苦笑しながら歩き続けた。こうなったのは入学してすぐのことだ。王子である俺と、その側近で宮廷伯次男のジュード。二人揃って学園に通い始めたら、あっという間に注目の的になってしまった。
特にジュードへの人気はすごい。騎士科にも魔法科にも通っていないのに、学園で一番強いと評判だ。成績も優秀で、容姿も整っていて、真面目で礼儀正しい。そりゃあ人気も出るだろう。
中庭のベンチに腰を下ろすと、ようやく静寂が戻ってきた。ジュードも隣に座り、風で揺れる木々の葉を眺めている。
「お前さ、そんなに女子からのアプローチが嫌なら、チャラくなればいいんじゃないか?」
そう言うと、ジュードが目を丸くした。
「だって考えてみろよ。俺の側近で宮廷伯次男。成績優秀、イケメン、真面目。そりゃあ群がるだろ。アイドルみたいなもんだしな」
「アイドル?」
ジュードが首を傾げる。しまった、また前世の言葉が出てしまった。
「あ、いや、そんだけ女子の理想が詰まってるんだろ。お前にはさ」
「そうでしょうか……」
ジュードは困ったように眉を寄せる。
「……ハルトの方が理想的だと思いますが。だからと言ってこうも来られてしまうと、護衛が……」
「ああ、なるほど」
なるほど、確かに邪魔か。女子たちに囲まれていては、いざという時の動きが制限される。
「だから理想から外れればいいんだよ。チャラくなれば解決だ」
「チャラく……ですか?」
「そうそう。ほら、こんな感じで」
俺はわざとらしく髪をかき上げて、ニヤリと笑った。
「やぁ、お嬢さん。今日も可愛いね」
「……ハルト、何を」
ジュードが露骨に引いている。俺は気にせず続けた。
「お前もやってみろよ。俺みたいに。肩組んでさ」
俺はジュードの肩に手を回す。柔らかな布地の向こうに、鍛えられた身体の固い筋肉を感じる。
「な? こうやって距離を近くすると、チャラい感じになるだろ?」
「ハルト、近い」
肩に回した手の下で、ジュードの身体が僅かに強張る。
「きゃああああ!」
突然、後ろから黄色い悲鳴が上がった。振り返ると、さっきの女子生徒たちが顔を真っ赤にして、こちらを見ていた。
「距離が近い……距離が近いわ……!」
「尊い……尊みが過ぎる……!」
「やっぱりお二人は特別な関係なのでは……!」
何を言っているんだ。彼女たちの言葉は、まったく理解できない。俺は慌ててジュードから手を離す。
「ハルト……やめましょう、こういうの」
「……ああ、すまん」
ジュードも顔を赤くして、俺からそっと離れた。女子生徒たちは興奮した様子で去っていく。何やら「次の集会で共有しなきゃ」とか言っていた気がする。
静寂が戻った中庭で、俺たちはしばらく黙っていた。
「……で、話は変わるんですが」
やがてジュードが、いつも通りの落ち着いた声で口を開く。
「ハルトは次、何をなさるのですか?」
俺は、言葉に詰まった。
水道設備は完成した。王宮から始まって、今では主要な都市にも配管が通っている。衛生環境は大幅に改善された。
農業改革も成功した。農具を改良し、灌漑設備を整え、肥料の使い方を工夫した。収穫量は以前より大幅に増え、国民の暮らしは確実に豊かになった。
「それが、分からないんだよなぁ」
空を見上げる。青い空に、白い雲が流れている。
「アイデアはあるにはあるんだけど、手応えのあるアイデアが少なくなってきた気がする」
ジュードは、黙って俺の言葉を待っていた。
「みんなが喜んでくれるのは、本当に嬉しい。でも、次に何をすればいいのか。何をすれば、みんなの期待に応えられるのか」
俺の言葉にジュードは何も言わない。ただ、静かに俺の隣に座っている。やがて、その手がゆっくりと俺の肩に置かれた。
「……殿下。ひとつ、よろしいでしょうか」
ジュードは静かに、しかし真っ直ぐな瞳で俺を見つめた。
「水道の建設も、農地の改革も、最初から完璧な『アイデア』じゃなかったですよね?現場で問題が起きるたび、ヒューゴ殿と膝を突き合わせ、農夫の声に耳を傾け、その都度、やり方を変えてこられた。殿下の功績は、行動し、修正し続けた結果です」
その声は、驚くほど穏やかで、確かな力を持っていた。
「ありがとう」
俺は素直に礼を言い、ジュードの肩を軽く叩いた。
「次に何をするかは、焦る必要はありません。きっとまた見つかります」
そう言って、ジュードは少しだけ笑った。
「俺も一緒に考えます。二人で考えればいいんですから」
「お前って、本当に……」
言葉が続かなかった。ただ、ジュードがいてくれることが、心から嬉しかった。
十年前、木に登って一緒に叱られたあの日から、ジュードはいつも隣にいてくれた。
「さて、そろそろ次の授業が始まりますよ」
「ああ、そうだな」
二人で立ち上がる。その瞬間、ジュードの肩が俺の肩に軽く触れた。
ほんの一瞬の接触だったけれど、その温もりが妙に心地良かった。十年前から変わらない、確かな存在感。
ジュードと並んで歩きながら、俺は少しだけ前向きな気持ちになっていた。一人じゃない。それだけで、どれだけ心強いことか。