表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

109/110

前世の記憶

昼営業も終わりに近づいた頃、リーナは店内を見回し、胸の奥で小さく満足を覚えていた。今日の定食はボアカツ。



「リーナちゃん、このカツ美味しいねぇ」



常連のベラが、最後の一切れを大事そうに口へ運ぶ。その顔には心底幸せそうな色が浮かんでいた。



「ありがとうございます」



「脂っぽいかなって思ったけどね。キャベツが一緒だと食べやすいわ」



空いた皿を下げながら、リーナは微笑んだ。最後まできれいに食べてもらえる。それが一番の喜びだ。



厨房で洗い物をしながら、昨日のことを思い出す。旅の商人ハルト。料理を本当に美味しそうに食べてくれる人だ。今日も来てくれるだろうか。洗い桶の水面に、期待のような淡い光が揺らめいた。



ちょうどその時、入口のベルが軽やかな音を立てた。



「いらっしゃいませ」



振り返ると、思い描いたばかりの人物がそこにいた。



「こんにちは、リーナさん」



「あ、ハルトさん。いらっしゃいませ」



昼営業もほぼ終わり、店内に客はもういない。ベラも先ほど帰ったばかりだった。ハルトは店を見渡し、誰もいないことを確認したようだった。その目が、一瞬だけ鋭く光る。



「昨日は本当に美味しい料理をありがとうございました」



爽やかな笑みの奥に、どこか硬い緊張が張り詰めている。彼はそっと椅子の背もたれに触れた。その指先がわずかに震えている。



「いいえ、こちらこそ。材料を持ってきてくださって助かりました。それで、今日のお昼はどうされますか?」



「実は……」



ハルトはテーブルの木目をじっと見つめる。そして、リーナの目をまっすぐ見据えた。



「リーナさん、少しお時間いただけますか? 大事な話があるんです」



布巾を持つ手が止まる。急に改まった様子に戸惑う。



「はい、大丈夫ですけど……何かお困りのことでも?」



「困っているわけじゃないんです。ただ――」



息を吸い込む音が、静かな店内に響く。リーナの鼓動が早くなる。心臓がドクン、ドクンと耳元で鳴り出した。



「突然で驚かれるかもしれませんが……。リーナさんは、もしかして……別の世界の記憶がありますか?」



布巾が手から滑り落ち、乾いた音を立てた。



頭の中が真っ白になる。なぜ、この人がそんなことを――。



「え……? どうして、そんなこと……」



声が震える。喉の奥が固まって、息をするのも苦しい。



ハルトはその反応を見て、小さくうなずいた。優しく見守るような、安心させるような眼差しで。



「トンカツ、ポン酢、お好み焼き……」



ぽつりと口にする。



「この世界には存在しない言葉ですよね」



その瞬間、リーナの顔から血の気が引いた。全身から熱が奪われ、急に寒気を感じる。そんな言葉で気づかれてしまうなんて。



「俺と同じだから」



「……同じ?」



言葉の意味がすぐに飲み込めない。次の瞬間、ハルトの顔がぱっと明るくなる。張り詰めていた空気が、少しだけ緩んだ。



「俺も前の世界の記憶を持っています」



リーナは息を呑んだ。信じられない、という思いが胸に広がる。



「……本当に?」



「ええ。日本っていう国で生きた記憶があります」



その一言に、リーナの目が大きく見開かれた。周りの人たちはみんな優しくて恵まれているのに、「どうしてこんな料理を思いつくの?」と聞かれるたび、本当のことは言えずにいた。言っても信じてもらえないだろうし、気味悪がられるかもしれない。でも今、初めて同じ境遇の人に出会えた。



「まさか……」



「俺も驚いてます。同じ境遇の人がいるなんて思わなくて。でも今日、リーナさんに話せて、ようやく……」



ハルトは言葉を切り、そして微笑んだ。安堵したような、嬉しそうな表情だった。



リーナは安堵したように微笑む。



「……こんなこと、あるんですね」



「もう少し時間をいただけますか?もっとお話ししたいんです」



その静かな声に、リーナは嬉しそうに頷いた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
ただ今ジュードはハルトに怒り心頭なんですよねー 彼の怒りを溶かないと店に出禁どころか、近づくのも阻止してきそう
更新お疲れ様です。 此処で『日本人時代の記憶を共有する同士(?)』として良いお友達コースを取るか、はたまた「フフフ…その知識は我こそ活かせるのだ!」的なファンタジーもの定番バカ貴族コースを取るか…?…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ