入れ違い
王都の街並みが見えてきた時、ジュードの心は父親の病状への心配でいっぱいだった。
アードベルからの長い道のりを駆け抜けてきたというのに、疲労を覚える暇さえない。ひたすらに、一刻も早く父親の元へ辿り着くことを考えていた。
同時に、胸の奥ではリーナをひとりにした申し訳なさが重くのしかかっていた。
(……リーナ、大丈夫だろうか)
彼女の笑顔を思い浮かべながら、ジュードは馬を急がせる。
ベネット邸の門が見えてくると、彼はほとんど飛び降りるように鞍から身を下ろし、玄関へ駆け込んだ。
「お帰りなさいませ、ジュード様」
深々と頭を下げた執事の姿に足を止める。
「ただいま。父上は?」
「旦那様は、王宮にて執務中でございます」
ジュードは思わず聞き返した。
「……病気じゃないのか?」
執事は言葉を濁し、視線を泳がせる。その時、奥から母の声がした。
「ジュード、お帰りなさい」
振り返れば、母が申し訳なさそうな表情を浮かべて立っていた。普段の上品な笑みは影を潜め、言いにくそうに唇を結んでいる。
「母上、父上の容体はいかがなのです? 急いで戻ってきたのですが」
母は目を伏せ、声を落とした。
「実は……病ではないの。レオンハルト殿下から、あなたを王都に呼ぶよう仰せつかって……」
思考が一瞬止まる。
「は?」
「殿下のお言葉だから、逆らえなくて。我が家としても、あなたに会いたかったし……」
母の言葉を聞くうちに、胸の内で冷たいものが広がっていく。
「つまり……俺を呼び寄せるための嘘だったのですね」
母親は顔を曇らせたまま、何も言えないでいる。その横顔に、かすかな寂しさが滲むのを見て、ジュードはふっと息を吐いた。
「父上は王宮にいるのですね」
背後から呼び止める声が追いかけてきたが、振り返ることはなかった。
王宮へ向かう道すがら、胸の内に浮かぶのは裏切りの二文字。
(……レオン様。俺を騙してまで何を企んでいるんだ)
幼い頃から一緒に育った乳兄弟。嫌いになったことはなかった。むしろ、離れてもどこかで気に掛けていた相手だ。
だが、その信頼を利用されたとあっては別だった。
王宮の門前で衛兵に声をかける。
「レオンハルト殿下にお会いしたい」
「申し訳ございません。殿下はアードベルへ向かわれましたが」
ジュードは思わず目を見開いた。
「……はぁぁぁ?」
全てが繋がった。自分を王都へ呼び寄せたのは、アードベルへひとりで行くため。
(リーナ……!)
胸に焦りが噴き上がる。
その足で父の執務室へと向かった。廊下を駆け抜け、扉をノックすると、中から聞き慣れた声が響く。
「入れ」
扉を開けば、父が山積みの書類に向かって筆を走らせていた。顔色は良く、病の影などどこにもない。
「お忙しいところ失礼いたします、父上」
礼を尽くして頭を下げる。
「父上が病で伏せっていると伺い、急ぎ戻りましたが」
筆が止まり、父の表情が揺らぐ。
「あ、ああ……ジュード。よく来たな」
「病だという話は、一体……?」
父は書類を片付ける手を止めず、言い訳を探すように目を泳がせた。
「実はな。レオンハルト殿下に頼まれて……お前を王都に呼び寄せるようにと」
ジュードの胸中に、再び冷たい波が押し寄せる。
「つまり、嘘だったわけですか」
「殿下のご命令には逆らえん。それに……私も久しぶりにお前に会いたかった」
その声音に悪意はなかった。だが、だからといって許せるものでもない。
「殿下は、アードベルで何をするおつもりなのです」
「……それは私にも分からない。ただ、『お前がいない街を見たい』と」
血の気が引いた。
「乳兄弟だからって、俺を利用するなんて」
幼き日々を共にした相手だからこそ、その仕打ちは痛烈だった。
「俺は戻ります。すぐに」
「待て、ジュード。せめて一晩でも……」
「失礼します」
父の制止を振り切り、部屋を出る。
王宮を後にした時には、頭の中はただひとつ――リーナのことだけだった。
(急がなければ……)
門を抜けた瞬間、鮮やかな布の裾が視界をかすめた。立ち止まると、そこに一人の女性がいた。
「ジュード様、少しお時間をいただけますか?」
「あ……あなたは」
目の前の女性は柔らかく微笑んでいたが、その瞳は深く澄んでいた。まるで、彼の胸中に渦巻く激情を、すべて見透かすかのように。




