きのこの炊き込みご飯
朝の市場は、人々の活気と心地よい熱気に満ちていた。
石畳に残る朝露がきらめき、籠に盛られた野菜は陽に照らされて瑞々しく輝く。焼きたてのパンの香り、干した魚の匂い、香草を刻む音――さまざまな気配が入り混じり、自然と胸が弾む。
「リーナちゃん、おはよう!」
野菜売りのベラが、人参を抱えて大きく手を振る。
リーナは笑顔で応じ、籠に人参を入れた。その視線が、ふと一角で止まる。見慣れたフサタケの隣に、平たく大ぶりの白いきのこが整然と並んでいた。
笠の厚み、軸の張り――どう見ても、前世でよく食べたエリンギにそっくりだ。
(あ、エリンギだ。この世界でもエリンギって呼ばれてるのね)
今日は、これを使った新しいご飯を作ろう。脳裏には、もう料理の完成形が鮮やかに浮かんでいた。
「フサタケとエリンギをください」
「おお、今日はいいのが入ったんだ!肉厚で、噛むたびに旨みがじゅわっと染み出すよ」
店主がご機嫌で袋に詰める。香りがふわりと鼻をくすぐり、期待がふくらんだ。
次にマリアの乾物屋へ。軒先には海草が風に揺れ、潮の香りがかすかに漂っている。
「リーナ、おはよう!」
「おはよう、マリア。干しツチタケはある?」
「もちろん。今日は何を作るの?」
「市場できのこを見つけたから、炊き込みご飯にしようと思って」
「へえ!新メニュー? それは楽しみね」
包みを受け取ると、リーナは自然と口元をほころばせた。
(醤と美醂酒を使えば、前世で食べた、あの懐かしいきのこの炊き込みご飯を再現できるはず!)
頭の中ではすでに、醤油の香ばしさとキノコの風味が混ざり合う香りが立ち上り、ふっくらとした米粒の食感が鮮やかに広がっていく。
***
アンナの食卓に戻ると、迷いなく調理に取りかかった。まずは米を洗い、ひたひたの水を張ったボウルに浸す。その間に、きのこの下ごしらえを。
フサタケは手で粗く裂き、その力強い食感を最大限に生かす。エリンギは包丁でざくざくと大ぶりにカットする。あまり細かくしすぎないのが、きのこの存在感を出すための秘訣だ。干しツチタケは水で戻し、かさと軸を分けて薄切りにする。この戻し汁こそ、深い滋味を米に吸わせるための宝物だ。
「いい香り……」
まな板の上で形を変えるたび、きのこたちは独特の香りを放つ。フサタケは森の奥を思わせる力強さ、エリンギはほのかに甘い清らかさ、ツチタケは深い土の恵み。三つの香りが混ざり合い、厨房を満たしていく。
熱したフライパンにすべてのきのこを入れ、塩をぱらり。弱めの中火でゆっくりと炒め始める。
じゅわっと水分が滲み出て、きのこから放たれる香りが一段と濃くなる。木べらでかき混ぜるたびに、食材がこすれ合う音が心地よいリズムを刻んだ。
土鍋に研いだ米を入れ、ウミクサ出汁とツチタケの戻し汁を注ぎ入れる。醤と美醂酒、塩を加えてひと混ぜしたら、炒めたきのこの半量を広げて蓋をする。中火にかけ、蓋の隙間から蒸気が勢いよく噴き上がったら、ごく弱火へ。
(ここからは焦らず、じっくりと……)
炊きあがりを待つ間に、もう一品。アースボアの薄切り肉は一口大に、キャベツはざく切り、ピーマンは細切りに。生姜はみじん切りで香りを立たせる。
合わせ調味料は味噌、出汁、砂糖、酒、唐辛子。なめらかになるまで混ぜると、食欲をそそる赤みを帯びた艶が生まれた。
熱したフライパンで野菜を先に炒め、軽く塩を振って皿に取り出す。油を足して生姜を香らせたら、アースボアの肉を投入。表面が白く変わったら調味料を絡め、先ほどの野菜を戻し入れる。仕上げにごま油を垂らすと、香ばしい匂いが立ちのぼった。
「うん、これは食欲をそそるわ」
頃合いを見て、炊き込みご飯を強火で三秒。おこげを作るようにして火を止め、あとは蒸らすだけ。残りの炒めきのこに醤を少し絡ませ、土鍋の中へ。しゃもじでさっくりと混ぜ合わせれば、ふわりと湯気とともに香りが部屋いっぱいに広がった。
ちょうど昼の営業が始まる時分。
「今日のメニューは、きのこの炊き込みご飯です!」
リーナの声に、客たちの視線が一斉に集まった。
「新メニューだ!」
「この香り……!たまらん!」
「米に味が染みてる!きのこってこんなに美味しいのか!」
店中が笑顔であふれ、にぎやかな声で満たされていく。リーナは額の汗を拭いながらも、その温かな空気が、自分の体に染み込んでくるようだった。
***
昼の営業も終盤に差しかかった頃、店の扉がきぃと開いた。
入ってきたのは旅装束の若い男。肩まで伸びた茶色の髪に、涼しげな碧眼が光っている。荒々しい冒険者とは違う、立ち居振る舞いに不思議な品の良さが漂っていた。
(旅人にしては……ものすごく整った人だな)
リーナは一瞬そう思いながらも、すぐに笑顔で声をかけた。
「いらっしゃいませ」
「こんにちは。噂を聞いて来ました。美味しい料理を出すお店だと」
柔らかな笑みを浮かべながら、男は空いている席に腰を下ろす。
「ありがとうございます。本日の定食は、きのこの炊き込みご飯定食になりますが、よろしいですか?」
「ええ、ぜひお願いします」
料理が運ばれてくると、男はふっと息を止めたように皿を見つめた。立ちのぼる湯気と香りに目を細め、一口運んだ瞬間、碧眼が大きく見開かれる。
「……美味しい。どこか懐かしい味がします」
「懐かしい?」
男は小さく息を吐いた。
「ええ、やはり……」
小さく呟き、すぐに微笑みに変える。
「とても気に入りました」
ご飯をゆっくりと味わいながら、男はさりげなく尋ねた。
「こちらの調味料は、何を使われているんですか?」
「醤と美醂酒です」
「……美醂酒」
碧眼がわずかに揺れた。
(やはり。側近からの情報通り、彼女がお好み焼きや焼きそばを作った人物か。この炊き込みご飯といい、疑う余地はないな)
さらにリーナが「今度はポン酢も作ってみようかな」と気軽に口にした瞬間、ハルトは一瞬、息をのんだ。その指先が、テーブルの上でわずかに強張る。
「……それは、本当に素晴らしい発想ですね」
思わず声が弾む。だが、リーナは気づくことなく、「柑橘と醤と美醂酒を合わせればできるはずなんですよね」とあっけらかんと答えるだけだった。
(この世界で、俺と同じ思考回路を持つ人間がいる)
心の中で苦笑しながら、ハルトは炊き込みご飯をもう一口運び、香りとうまみを噛みしめた。言葉にしなくても、彼女の思考の深さ、その発想の源泉は、自分と同じ場所にある。この料理人は、きっとこの世界で一番、自分を理解してくれる人間だ。
やがて皿をきれいに平らげると、彼は口元を拭い、落ち着いた声で切り出した。
「実は、私は旅の商人でして。名をハルトと申します。各地を回って、珍しいものを探すのが仕事なんですよ」
「旅商人さんなんですね」
「ええ、道中は楽じゃないんですけどね……こうして美味しい料理に出会えるのも旅の醍醐味です」
丁寧に言葉を選んでいるのに、不思議と壁を感じさせない。リーナは深く考えることもなく「そうなんですね、大変そうです」と笑顔で返し、ハルトはその無邪気さにもう一度小さく笑みを浮かべた。
勘定を済ませ、椅子から立ちながら言う。
「また来させてもらいます。その時はぜひ、新しい料理も楽しみにしています」
「はい、お待ちしています」
軽く会釈して店を出ていく背中を見送りながら、リーナは「面白いお客さんだったな」と独りごちる。
(ポン酢か……。あれはやっぱり、ただ混ぜるだけじゃなく、もう少し何か工夫が必要かな?柑橘の香りを最大限に生かすにはどうすればいいだろう)
彼女の思考は、すでに次の料理へと飛んでいた。
***
宿に戻る道すがら、ハルトは胸の奥の鼓動が収まらないのを感じていた。
(やっぱり……彼女も俺と同じだ)
見つけた喜びに胸が弾む。だが同時に、どこか不安も残っていた。
(あまりに無自覚すぎる。このままでは危ういかもしれない……)
そう思いかけながらも、今はただ、再び会える明日を楽しみにしていた。




