照り焼きの黄金比
店に戻るなり、リーナは厨房へ駆け込んだ。 息を整える間もなく、手にした美醂酒を窓辺にかざす。昼前の光を受けて、琥珀色の液体が蜂蜜のようにとろりと輝いた。
「前世で使っていたみりんと、どのくらい違うのかしら」
栓を抜くと、上品な甘い香りが鼻先をくすぐる。前世の記憶にあるみりんよりも、明らかに濃厚で、深みのある香りだ。 指先に琥珀色の一滴を垂らして舐めれば、舌の上でとろけるような円やかな甘み。その奥から顔を出す深いコクと、鼻を抜けていくふくよかな米の旨味。
(……すごい。これは確実にイケる!)
思い出すのは、前世の惣菜屋で何度も作った照り焼きだ。醤油とみりんを合わせた甘辛いタレで肉を焼いたときの、あの香ばしくて食欲をそそる匂い。ジュワッと弾ける脂の音と、照りが浮かんだ美しい焼き色。
ぐう、とリーナの腹の虫が鳴った気がした。 けれど、厨房にある鍋を見て我に返る。昼営業の時間が迫っていた。
「……今すぐ試したいけど、まずはお客様を迎えないと」
美醂酒の瓶を、名残惜しむように大切に棚へしまう。昼営業後に訪れる「実験」の楽しみを糧に、リーナはうきうきと昼営業の準備を始めた。
「リーナちゃん、今日の野菜炒めも最高だよ!」
昼過ぎ、常連のトムが満足げに皿を空にした。隣ではソフィアが同じく炒め物を頬張り、幸せそうに目を細めている。
「ありがとうございます。……でも、もっと美味しくなりますよ」
「えっ?」
「次は、皆さんのほっぺたが落ちるくらいの新作を用意しておきますから」
いたずらっぽく笑うと、客席から「これ以上美味くしてどうすんだよ!」「俺たちの胃袋をこれ以上掴まないでくれぇ!」と嬉しい悲鳴が上がった。
その賑わいを背に、リーナは胸の奥で静かに気合を入れる。
(さぁ! やるぞ! 美醂酒の可能性の探求だ!)
最後のお客様を見送り、「準備中」の看板を掛けるや否や、リーナは急いで器を洗い、皿やカトラリー、フライパンを丁寧に片付けていった。
洗い終えた厨房に、緊張した空気が張り詰める。
まな板の上には、フェングリフの肉。淡いピンク色の断面は美しく、脂ものっている。
「まずは、基本の同割りで」
前世の記憶を頼りに、醤と美醂酒を1対1で合わせる。
フライパンに注ぎ入れた瞬間、ジュワァッ! と派手な音が立ち、甘い湯気が顔を直撃した。
「……ううん、違う」
味見をするまでもない。香りが甘ったるすぎるのだ。肉の野性味に対して、これではお菓子のような甘さが浮いてしまう。
続いて、醤2に対して美醂酒1。
今度は醤の塩辛さが先に立ち、あとから取ってつけたような甘みが来る。味がバラバラだ。美醂酒のまろやかさが、強い塩気に負けてしまっている。
「醤の塩気と、肉の脂。この二つを仲良く手を繋がせるには……」
リーナは美醂酒の瓶を睨み、そして、意を決して配合を変えた。
醤2に対して、美醂酒は1.5。そこに少量の酒と、隠し味の砂糖をひとつまみ。美醂酒の甘みを、砂糖の直接的な甘みでカバーするイメージだ。
フライパンの肉に焼き目がついた頃合いを見計らい、タレを一気に流し込む。
ジュウッ――!先ほどとは違う、重低音のような煮える音。
立ち上る香りは甘すぎず、しかし物足りなくもない。濃い醤の香ばしさに、ふくよかな甘みが重なった。
「これ……!」
とろりと煮詰まったタレに焼いたフェングリフの肉を絡ませる。一切れ一切れを宝石のようにコーティングされていく。これこそが『照り』だ。
小皿に取り、フーフーと息を吹きかけてから口に放り込む。
(んふ~~~~~!!!)
噛んだ瞬間、まずガツンと来る香ばしさ。次の瞬間、肉の繊維がほろりと解け、溢れ出す肉汁を濃厚なタレが優しく受け止めた。
塩気、甘み、旨味。どれ一つとして喧嘩していない。それどころか、美醂酒のコクが全体をまとめ上げ、いつまでも舌の上で転がしていたくなるような余韻を生んでいる。
「できた……これが、この世界の照り焼き!」
ガッツポーズをしたリーナの額には、いつの間にか汗が滲んでいた。
***
夜の帳が下りる頃、店にはいつもの騎士たちが顔を揃えていた。そして今夜はバルトロメオ団長も一緒だ。
だが今夜は、誰も席に着くなり何も言わない。全員が鼻をヒクつかせていた。
「リーナ、この匂いなに?」
ジュードが落ち着きなく周囲を見回す。
「焦げた醤の匂いに似てるんだけど……もっとこう……なんつーか、食欲を刺激しまくる、甘くて濃い匂いがする」
「ふふ、鼻がいいね、ジュード」
トレイを運んできたリーナを見て、団長のバルトロメオが目を丸くした。
「リーナ、その料理は……?」
「新メニュー、『フェングリフの照り焼き』です」
じゃじゃ~んとテーブルに置かれた皿。
飴色に輝く肉の塊が、湯気を立てて鎮座している。添えられたインゲンの緑が、その艶やかな茶色をいっそう引き立てていた。
ゴクリ、と誰かが喉を鳴らす音が響く。
「い、いただきます!」
我慢できないとばかりに、ガレスがフォークを突き立てた。肉を持ち上げると、とろりとしたタレが糸を引く。そのまま大口を開けて放り込んだ。
ガツガツと二回ほど噛み、ガレスの動きがピタリと止まる。
カッと目を見開き、次の瞬間、厨房に向かって叫んだ。
「パンだ! いや、米だ! リーナ、ご飯をくれ!!」
「えっ?」
「この濃厚な味、酒だけじゃもったいねぇ! 白米に乗せてかき込みてぇんだよ!」
ガレスが駄々っ子のように茶碗を求めている。その様子に呆れつつ、団長もナイフを入れた。
口に運び、ゆっくりと噛む。厳しい表情が、次第に緩んでいく。
「これは? 何を使ったんだ?」
「美醂酒です。ハーブに漬けこんでいないものになりますが」
「……なるほど。これがあの『薬酒』の正体か」
「お口に合いましたか?」
「ああ。これはズルいな。醤の尖った塩気が消え、代わりに奥深いコクが生まれている」
「それに、お肉が驚くほど柔らかいわ」
アデラインも、うっとりとした表情で頬に手を当てている。
「いくらでも入っちゃう。エールにも合うけれど、ガレスの言う通り、これは白いご飯が欲しくなる味ね」
「みなさん、ご安心ください。炊きたてのご飯、ご用意してありますよ! もちろんパンも!」
リーナの言葉に、騎士たちの間から「おおっ!」と歓声が上がった。
その後はもう、言わずもがな。皿に盛られた照り焼きは瞬く間に消え、お代わりの声が飛び交う。空になった皿に残ったタレさえも、パンで綺麗に拭い取られていく。
(……おぉ! あっという間になくなっちゃった)
厨房からその光景を眺めながら、リーナは「よし!」と小さく拳を握った。
美醂酒の瓶は大分減ってしまったけれど、この笑顔が見られるなら安いものだ。
「次は魚の煮付けか、それとも焼豚か……」
空っぽになった大鍋を洗いながら、リーナの頭の中はすでに次の「料理」で埋め尽くされていた。




