おつまみ
朝の仕込みを終えたリーナは、厨房の奥にある二つの樽をじっと見つめた。
一つからは香ばしい麦の香り、もう一つからは爽やかな果実の香りがふんわりと漂ってくる。エールと白ワイン。どちらも今夜、常連さんたちの夜を彩ってくれるはずだ。
「お酒に合う料理って、どんなものがいいのかな」
頭に浮かんだのは、熱々の油がじゅわっと弾ける音と香ばしい匂いがする唐揚げ、塩をまぶしたつやつやの枝豆、餡がたっぷりの餃子……。知識として知っていても、実際の相性はよく分からない。けれど、挑戦しなければ何も始まらない。リーナは小さく息を吐き、三種類の料理を作ることに決めた。定番のフェングリフのから揚げ。さっぱりと食べられるアースボアの冷しゃぶサラダ。それに、この前好評だった「やみつききゅうり」だ。
仕入れの帰り道、リーナは陶器工房に立ち寄った。
「この前お願いしていた小鉢、できていますか?」
「ええ、出来上がってますよ」
職人が手渡してくれたのは、手のひらにしっとりと馴染む器。釉薬のかかった部分はつるりと滑らかで、縁をなぞれば素朴な温もりが伝わってくる。並べた料理を優しく引き立ててくれそうな色合いに、思わず頬が緩んだ。
「それと、お酒を出そうと思っていて。ジョッキと、ワイン用のゴブレットをお願いしたいのですが」
「なるほど。お酒の味を引き立てるような、しっかりとした厚みと重さにしますよ」
その心強い言葉に、リーナは安心して工房を後にした。
昼営業を終えて一息つくと、夕暮れが近づいていた。夜営業に向けて、厨房では油の弾ける音が軽快に響く。
唐揚げは、肉を衣に包んで油に落とせば、じゅわっと泡が広がり香ばしい匂いが一気に満ちる。きつね色に揚がった肉を網の上に引き上げれば、熱い湯気が立ち上り、衣は指先でそっと触れただけでザクッと音を立てそうだ。
冷しゃぶは、湯にくぐらせた肉が白く色づき、花びらのように開く。冷水でキュッと締められ、持ち上げるとひんやりとした感触が指に伝わった。ざるの上で冷めていく間に、角切りにしたトマトから果汁が滴り、赤い断面が夕暮れの光を反射してきらめいた。醤、酢、ごま油、すりごまを混ぜた特製のソースに加えれば、香りの層が重なって食欲をそそる。
最後にやみつききゅうりを添え、三皿の料理がようやく完成した。叩き割られたきゅうりは、断面がざらりとしていて、齧り付くとパリッとした小気味良い音と共に、瑞々しい水分が口の中に広がるだろう。
「リーナ、店開いてる?」
扉を叩いたのはジュードだった。背後から差し込む夕陽がその輪郭を縁取り、いつもより少し大人びて見える。
「どうぞ」
「よっしゃ。団長から聞いて楽しみにしてたんだ」
すぐにトムもやって来て、朗らかに笑う。
「今日から酒出すんだってな!」
アデラインとガレスも加わり、お店は一気に活気づいた。
「エールと白ワインがあります。どちらにしますか?」
「エール!」ジュードが勢いよく手を挙げ、「訓練の後には、喉をぐっと鳴らすようなパンチのあるやつがいい!」
と続けた。
「俺もだ!」
ガレスとトムが負けじと声を重ねる。
アデラインは陶器のコップをちらりと見やり、唇に柔らかな笑みを浮かべた。
「私は白ワインを。今日みたいな夜には、ゆっくり香りを楽しみたいわ」
陶器のコップに注がれたエールは琥珀色に泡をまとい、香ばしい麦の香りを立ちのぼらせる。白ワインは注ぐと、陶器の内側に香りがこもり、爽やかな果実の匂いがふわりと広がった。
「じゃあ――乾杯!」
ガレスの声とともに、コップがカチンと響き、軽やかな音を奏でる。
ジュードはコップを口に運び、ぐいとあおると「くぅー、うまい!」と大げさに喉を鳴らした。
その表情に場の空気が和み、トムも「疲れが吹き飛ぶなー」と頬を緩める。
唐揚げの皿に手が伸び、衣がザクッと砕ける音が続いた。
ガレスは豪快にかぶりつき、大声をあげる
「これはエールに合うな!」
噛み締めればジュワッと肉汁が広がる肉を頬張り、さらにコップを傾けてごくごくと流し込んでいた。
「私はワインでも合うと思うわ」
アデラインは陶器のコップを胸の高さで支え、縁に唇を寄せて静かに一口含む。果実の香りを楽しむようなその仕草に、食堂の空気が和らいだ。
「正解なんてないだろうよ」
トムが肩を揺らして笑うと、みんなの笑顔が自然に広がった。
やみつききゅうりは、エール組に大好評。
「この塩気がたまらない」とジュードが頷けば、アデラインは「ワインには少し強いかしら」と小首をかしげる。
冷しゃぶサラダを出すと、アデラインの顔がぱっと明るくなった。
「これはぴったり」
ガレスも箸を止めず、唸った。
「さっぱりしてて旨いな」
口に入れたアースボアの肉はつるりと滑らかで、トマトのぷりっとした弾力と、シャキシャキの野菜とのコントラストも心地よい。
ジュードはトマトソースを指先で示しながら、「肉の甘味と酸味がちょうどいいな」と楽しげに語る。
昼の食堂とはまるで違う。窓の外の空は紫色に変わり、ランタンの明かりが陶器の器を柔らかく照らしている。笑い声と杯の音が重なり合い、夜だけの特別なひとときがゆっくりと流れていった。
ここまでお読みいただき、本当にありがとうございます。
気づけば物語も100話に到達しました。
追放から始まったリーナの新しい人生は、騎士団や街の人たちとの出会いを重ねながら、少しずつ広がってきました。
その時間を皆さまと一緒に歩んでこられたことが、何より嬉しいです。
感想やブクマ、評価や応援の言葉に、何度も励まされてきました。
ここまで続けてこられたのは、間違いなく読んでくださる皆さまのおかげです。
これからも美味しい料理と、ほんのり温かい時間をお届けできるよう頑張ります。
どうぞ引き続き、リーナたちの物語を見守っていただけたら嬉しいです。