崇高な騎士を谷から突き落とした王妃の末路
宝暦1500年。
アランビア王宮の一室。
絢爛な調度品が並び美しい花々が飾られる空間。
来客がゆったりとくつろげる様に計算された場。
しかし今、その場の空気は穏やかとはかけ離れていた。
「お母様、正気ですか!?」
「アミーラ、二人きりとはいえ、王女が大きな声を出すものではないわ」
母親に掴みかからんばかりの勢いで興奮しているのはこの国の王女。
それを軽くあしらっているのは、王妃であるマレカ・アランビア。
マレカは〈鉄血妻女〉の異名を持つ女傑である。
由来は私情を排し国を導く姿勢と、ハニートラップに引っ掛かりそうになった夫を拷問器具に入れて血まみれにした逸話から。なお、夫は深淵よりも深く反省し、現在夫婦仲は良好……ホントだよ?
「ファーレスは崇高な理念を持つ騎士で、私の婚約者候補ですよ。それを辺境送りにするなんて……」
「仕方ないじゃない。高い理想に実力が釣り合っていなかったのだから」
マレカが更迭した騎士ファーレス。
彼は清廉潔白で騎士道精神に溢れていた。というか、溢れすぎていた。
そしてそれを体現できるほどの実力は、残念ながら持ち合わせていなかった。
例えば彼は、死刑制度は廃止されていることに目を付け、周囲の安全のためその場で切り捨てて良いとされている現行犯の賊と対峙した場合も「道を外した理由があるはずだ」「法の裁きの下やり直すチャンスを」と、殺すことなく制圧しようとする。
加えて言えば、命の危機に瀕していてもそのポリシーを絶対に曲げない。
その割に、能力はせいぜいが中の上程度。
それで、手柄を逃したり、傷をおったり、部下に負担をかけたりしている。
ファーレスは侯爵家の次男であり、本来なら早々に王家を守護する第一騎士団へ栄転させるところなのだが、そんな事情で長年、町の治安を守る第三騎士団に所属している変わり者だった。
「とにかく、すぐに連れ戻してください」
「それは無理よ。彼は先日、秘密裏に谷から突き落としたもの。仮に戻って来たとして、元の騎士団に復帰しようとはしないでしょうね」
「な、なんでそんなことを?!信じられない!」
アミーラの悲鳴にも似た非難の声を聞き、マレカは嘆息する。
「一人娘である貴女が夫に似てしまい、しかもファーレスと結婚したがっていたからよ」
加えて、近年の、のっぴきならない世情もある。
50年前、魔族との戦争中には人類は団結していた。しかし一騎当千万の二人、勇者と聖女のコンビ『2000万パワーズ』の活躍により魔王が打倒されて以来、国家内外の利権争いが激化し始め、現在は泥沼の様相を呈しているのだ。
ちなみに勇者と聖女は、せっかく一度、命がけで平和にした世界のそんな実情に対して嫌気がさしたらしく「そこまでは面倒見切れん、王族同士で何とかしろ」と早々に隠居を決め込んでしまっている。
現国王はお人好しであり、臣下・国民の大部分に好かれている。
しかし、王族とは基本的に、お人好しの綺麗ごとだけではやっていけない。王か王妃、少なくともどちらかは、国の内外から来る敵に対応する、何かしらの力を持つ必要があるのだ。今代はマレカが『鉄血妻女』としてその役を担うことで国を安定させている。しかし次世代、このままファーレスとアミーラが指導者となってしまった場合、国はさまざまな脅威に対して脆弱となるだろう。
それを話すと、アミーラは黙り込んだ。
「だから私は決断したの。後悔はないし、謝る気もないわ」
◇
宝暦1503年。
隣国との国境付近。
戦争を回避するために、秘密裏に隣国との会談を済ませたその帰り道で、王妃マレカと王女アミーラの乗った馬車は、刺客に囲まれていた。
「申し訳ありません、不味いことになりました」
精鋭の第一騎士団長が言う。
他にも数名の護衛がついているが、お忍びだったのでその数は最小限。
一方で刺客は数が多く、しかも最悪なことにその中の一人は高名な『死神』だった。
『死神』。
国籍不明で、超法規的に世界のどこにでも現れる、赤い髑髏の面を被った男。
悪人の前にふらりと現れ取引を持ちかけ、莫大な報酬と引き換えにターゲットは必ず消すと言われている殺し屋。一騎当千の手練れ。闘争の中でしか生きられない、力に呑まれた闇の剣士。
命の危機。
しかしマレカは、流石は鉄血妻女といった貫禄で、取り乱すことなく冷静に周囲の状況を観察している。
一方でアミーラは、おろおろと視線を泳がすばかりだ。
と、そこでアミーラは、刺客たちの中にファーレスの姿を見つけた。かつて自分の婚約者候補で、母親に谷へ突き落とされたという男。記憶の中の彼は清廉な騎士だったが、そんな仕打ちをされたら、流石に恨みから逆賊に身をやつしても、何ら不思議はない。
(お母さまのお馬鹿、完全に裏目で、逆に脅威を増やしているじゃない!)
アミーラは内心で毒づいた。
そんな事情はさておき、『死神』は剣を抜き放つ。
「賽の河原の様に退屈な、平穏を貴ぶ王族を、血の池地獄に沈めてあげよう」
対峙する騎士どころか、遠目に見るだけで剣は素人のアミーラにも分かった。
分かって、しまった。
『死神』は強い、強すぎる。おそらく生物としての「格」が違う。
戦っても勝てないし、逃げることもできない。近い未来にあるのは「死」のみ。
と、そこへ間の抜けた声が聞こえた。
「はーい、王族に対する明確な殺意、および殺人予告の現行犯を確認しました。私は潜入調査をしていたアランビア王国の第三騎士団員です」
賊の恰好をしていたファーレスだった。
彼はそのままトコトコ賊側から馬車側へ移動すると、腰の剣を抜き、死神に向かって言った。
「警告します。賊の皆さんは武器を捨て、速やかに投降してください。抵抗する場合は武力で制圧しなくてはなりません」
「無明地獄の様に気づきませんでした。貴方……相当の手練れでしたか。しかし、殺気がないのが頂けない。それでは、死と隣り合わせの修行の末に殺人剣を極めた私には勝てますまい」
「ご心配なく、私は活人剣を極めておりますので」
「ほっほう、鬼が笑うようなこの展開……舌を抜き、剣樹地獄に送ってあげよう!」
ポカンとするアミーラをよそに、戦いが始まった。
第三騎士団副団長と、死神の戦い。
それはあるいは、後世で伝説となるようなカードだったのかもしれない。
しかしその内容は、伝説と呼ぶにはあまりに一方的だった。
一切の躊躇なく、一撃必殺の剣技を繰り出す死神。それを、ファーレスは全て無力化しつつ反撃していた。しかも「道を外した理由があるはずだ」「法の裁きの下やり直すチャンスを」と、殺さないように、細心の注意を払いながら制圧しようとしていた。
のみならず、その合間に高速移動しながら、アミーラたちを狙う他の賊を次々と昏倒させたりもしている。
にもかかわらず、戦いは常にファーレスが優勢だった。
そして決着の時が訪れる。
「九死一生剣!」
「あびいいぃぃぃぃー!」
ファーレスの大技が決まり、死神が倒れ伏す。
どうやら全身の骨が砕けたようで、酷い惨状だ。
しかし、生きている……1/10くらいは。
他の賊も全員無力化したファーレスは、馬車に向かって跪き、言った。
「マレカ王妃、この死神の捕縛をもち、勇者様に与えられたすべての修行過程が終了したことをご報告いたします。これで、約束どおりアミーラさまとの婚約を認めて頂けますでしょうか」
目を白黒させるアミーラに、マレカは説明した。
騎士として、今回のような敵を殺さず、しかも自らや周囲を危険にさらすことなく捕縛するには、凄まじい力がいる。また、将来お人好しの綺麗ごとだけでやって行く王族になる場合も、周囲に敵になる気も起こさせないような凄まじい力がいる。
それこそ、伝説の勇者と聖女に比肩するくらいの、圧倒的な力が。
過日、ファーレスは高い理想に実力が伴っていなかった。
しかし、お人好しな国王と夫婦仲は良好の王妃。
実はファーレスの掲げる理想自体は、とても気に入っていたのだ。
だからマレカは考えた。弱っちいなら鍛えればいいじゃない。
そうだ、隠居した二人にこっそり依頼して、秘密裏に徹底的に鍛えてもらおう、と。
かって人間の汚さに嫌気が刺して隠居した勇者と聖女。しかし逆に、こういった正しい志を実現するための努力は大好物で、ノリノリで協力してくれたという。
「それでも、よく勝てたわね。ほら、死神は『死と隣り合わせの修行の末に殺人剣を極めた』とかいっていたでしょう。もしかして貴方ってすごい才能があったの?」
「いえ、違うのですアミーラ様。勇者様がいうには、私に剣の才能はないそうです。ただ、いい師匠がいるならばやりようはあるのだと」
師曰く。
――毎日儂と模擬戦じゃ。
――人間、死に直面すればリミッターが外れる。
――ぶっ壊れるまで鍛えてから聖女に治してもらおう。
――死んでも超えられない才能の壁って、ほんとは死んだら超えられる。
――死ねば終わりの殺人剣などに、死んでも生き返して修行させる活人剣は負けん。
「谷へ突き落としたってそういう……」
「いやー本当に、何度も死にかけました……」
アミーラとファーレスはそろって遠い目になる。
そこに、笑顔でマレカが言う。
「でもまあ、今回の大活躍のお陰で二人は結婚出来るわよ、よかったわね。貴方が過酷な修行を頑張れたのも、第一騎士団に入って実績を積んで、アミーラと結婚したかったからでしょ。実は両想いだったこと、私は知っているんだから!」
それは、娘も久しぶりに見た「鉄血妻女」の心からの笑顔であった。
◇
宝暦1500年代。
アランビア王国は全盛期を迎えた。
歴代最強の王ファーレスが有名だが、実はその先代王妃であるマレカこそが隆盛の立役者だという歴史学者は多い。
彼女の最後は多くの子孫、家臣、そして国民に惜しまれながらの大往生で、盛大な国葬が三日三晩続いたと言われている。
私情を排し国を導く姿勢と、ハニートラップに引っ掛かりそうになった夫を拷問器具に入れて血まみれにした逸話から〈鉄血妻女〉の異名を持った女傑。
しかし合理的な判断を下す一方で情に厚く、正しい志を持つものであれば、その時の実力が伴わずとも見捨てることなく、手厚くサポートし、根気強くチャンスを与えることで多くの有能な人材を輩出した育成上手でもあったという。
彼女の逸話から生まれた故事は有名だ。
『崇高な騎士は辺境に送り谷から突き落とせ』。
大切に思う相手こそ甘やかさず、厳しい経験をさせて成長を促すべきだという教え。
この言葉は、海外の教科書にも掲載されるほどである。
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壁に耳あり正直メアリー
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