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#39

体がいくなと、義文のいる部屋へと向かう足を重くさせる。


”行きたくない。行きたくない。行きたくない。行きたくない。行きたくない。行きたくない。行きたくない。行きたくない。行きたく――”


部屋が近づけば近づくほど、琥珀の体は震え、体温も低くなっていった。

心臓もうるさい――。

だが、これは獅音といるときはまた違うような心臓の音。怯えるような、すぐにでも抱きしめたくなるように震える音――。


目の前の扉をノックする……が、中からは何も返事がなかった。

琥珀は、恐る恐る襖を開ける。

この時、自分の震える手を見ないようにした――震えがさらに強まることを防ぐためだった。


「失礼します。」


義文の書斎に入るのは、久しぶりだった。

最後に入ったのはいつだったか――多分、高校の文理選択の時だ。

琥珀の脳内に、()()()の記憶がよみがえる。

義文の部屋に入ること、それはつまり何かについて問われ、叱られることという認識となった。


――あれ以来、やっと入らずに済んだと思っていたのに……。安心しきってたのか……俺。


「座れ。」


たった二文字が、琥珀の体をより硬直させる。

義文は、胡坐をかいて、腕を組みながら、琥珀をにらんでいた。

義文の前で正座をする。


「今日は、何をしていた」

「きょ、今日は図書館で勉強をしていました。」

「図書館でか」

「はい」


いつもより、やけに早く進んでいく義文の会話に飲み込まれそうだ。

 

「何時から」

「10時半頃だと思います」

 

()()


その一言に、一瞬にして背筋が凍った。

それと同時に様々な思いが琥珀の頭で生まれる。


――え……誰と……。

 なんで?どうして?もしかして、あいつと一緒のところを見られた?いや、そんなはずはない。待て、まず否定しなくちゃ。

 でもなんで?なんで、そんなことを聞くんだ?分からない……何で。何で……何で、何で、何で。


「何を黙っている。」


 ――とにかく……あいつを守らなくちゃ。


「いえ、一人で――」

「日中お前が誰かと並んで歩いているのを見た。まさか友達とでもいうんじゃないよな?遊んでたのか?外にいれば自由だと思ってるんじゃないだろうな。ふざけるな、お前は誰のおかげでこうして、大学に通えているんだ。それじゃなくても、大事な娘を殺したお前が……調子に乗るな、この悪魔が。」


琥珀の言葉を遮るように、話し続ける義文の行動に、自分の言葉を聞く気はないのだと理解させられる。

心臓が痛い。苦しい。

獅音といる時とは違う苦しさだった。

この苦しさには、もう慣れている……はずだ。何度も味わったこの痛みは、いつからか感じなくなっていた、だからもう慣れたのだと思っていた。

なのになぜだろう……苦しさと同時に、獅音が自分にだけに見せる柔らかい笑顔が脳裏によぎる。


 ――あいつを……あの笑顔を守りたい。もっとあいつの隣にいたい。


「違います。1人で行きました。」

「……そうか。……部屋に戻れ。」

「はい、失礼します。」


部屋に戻り、ドアを閉めたと同時に、安堵からその場に座り込む。


――な、何だったんだ。


静かにため息をつき、肩を落とす。

そして、少し経ってからベッドに置きっぱなしだったスマホの画面を確認する。

見ると、獅音からの返信が何件か入っていた。


――あれ、俺何も送ってな……って待て。え、ちょ、マジか。


確認すると、自分が送った覚えのないメッセージが表示されている。


――うわ、あの時か……。やらかした。

 とりあえず、既読した以上返信した方がいいよな。


その時だった。


”バンッ”


突然、勢いよくドアが開く。

反射的に、スマホの画面を暗くした。


「琥珀。」


落ち着いたはずの心臓が、強く跳ねた。

その瞬間。

小刻みにスマホが揺れた。床に置いたことで、振動音が義文の耳の中に入る。


「……誰だ」

「知らない()です。」

「見せなさい。」


スマホの方へと伸ばす手が震える。

義文はスマホを受け取ると、画面を確認した。


「獅音……誰だ。」


義文の口から出た名前に、また強く心臓が跳ねる。


”痛い、苦しい、痛い、痛い、痛い……。”


心臓が脈を打つたびに、痛みは強くなっていく。

不意に、また獅音の笑顔が脳裏に浮かぶ。


――ごめん。


「本当に、知らない奴です。授業が一緒になっただけで、連絡交換を求めてきて、うるさいので交換しました。そしたら最近、しつこく連絡きてむしろ困っているんです。なので、本当に関係ありません。」


思った以上に、言葉が、流ちょうに口から流れ出る。これが嘘なのか……それとも本心なのか……徐々に言葉を発する自分でさえも分からなくなっていった。


――ごめん、ごめん、ごめん……本当に……ごめん。


脳裏に浮かんだ獅音の笑顔が徐々に薄れていく。


「ッフ、そうか。お前は、勉強して恩を返さなきゃいけないからな。こんな邪魔してくる奴な――」


徐々に周りの音も消え、ついに義文の言葉も耳に入らなかった。視界もぼやけていく。

まるで、狭くて暗い小さな部屋に一人閉じ込められているみたいに。

琥珀は、本当の孤独にふれているような気分だった。


「おい。」


頭の上にずっしりとおもりを乗せられたような、二文字の言葉で琥珀は我に返った。


「今後、授業が終わり次第連絡しろ。そして帰るときもだ。連絡して1時間以内には、帰ってこい。1時間あれば十分だろ。いいな?お前の時間割は知っている。間違っても寄り道等学業に支障をきたすことはするな、誰のおかげで大学に通えていると思っている。学生と言ってもまだ子どもだ。子どもは子どもらしく、上の言うこと素直に聞け。いいな?」

「はい、承知しました。」


琥珀の瞳に、光はなかった。

まるで、両親を亡くし、ここで暮らしてきた頃のように……。

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