#25
獅音がドアを押すと同時に、コーヒーの匂いが琥珀の鼻の中で広がった。
――うわ……これ本当に安いのか?絶対に場違いじゃ。
琥珀は、緊張を少しでも和らげようとあたりを見渡す。しかし、店内の柔らかく、落ち着いた雰囲気にあてられ緊張が増し背筋が伸びる。
一方、獅音はメニューに通し始めた。
「何飲む?」
獅音は、琥珀にメニュー表を渡しながら軽い口調で尋ねる。
「いや……っとその」
琥珀は思わず敬語になりかけ、それを見て獅音が笑みを浮かべた。
「ッフ、緊張してる?ごめん、せかしすぎちゃったよね。ゆっくり選んで!あ、ちなみにどれもおいしいよ」
――んなこと言われても、こんなとこ来たこともないって。それに、どれもおいしいなら余計選ぶのむずいだろ。
選ぶ飲み物が気になるのか、それとも真剣に悩む琥珀の姿が気になるのか……獅音はなぜかメニューを持つ獅音の指とメニューを見つめる獅音の瞳から目が離せない。だが、獅音は目の前に置かれた水で、我に返った。
お礼を言おうと獅音が顔を見上げると、獅音の1つ年上の同じく男子学生・一条だった。
「いらっしゃいませ、シフト以外の日に来るなんて珍しいね、獅音。あ、これお水どうぞ」
「条さん、ありがとうございます!授業の課題をやらなきゃいけなくて……」
「偉いな。にしてもお友達を連れてくるとは、獅音にしては珍しいじゃん。こんにちは!いつも獅音がお世話になってます」
そう言いながら、一条は琥珀へと目を移す。琥珀は、メニュー表に目を奪われていたため、少し遅れて返事をした。
「あ、こんにちは。」
「獅音ってば、全然友達とか連れてこないんだよ?だから、ちゃんとやっていけてるんか心配だったけど……君は獅音にとって大切な友達なんだね」
琥珀は、一条の最後の一言が聴こえず反応に困ったが愛想笑いで返した。
「って、何にしますか?」
急に仕事モードに戻った一条を見て、琥珀もさっきまでの緊張感を取り戻す。
「じゃあ、俺はキャラメル・ラテで、キャラメルソース多めでお願いします!琥珀は?もし決まってなかったら後ででも全然大丈夫だよ」
琥珀は、もう一度メニュー表を見返した。焦りからか、奥歯に少しだけ力が入る。
「あっと、ショコラ・ラテでお願いします。」
そう言いながら、琥珀はメニュー表をテーブルの上に置いた。
「キャラメル・ラテとショコラ・ラテですね!ショコラ・ラテの方もチョコソース多めになさいますか?甘いものがお好きであればおススメです」
「お、お願いします。」
失礼しますと一礼した後、一条は厨房へと戻っていった。
それと同時に獅音は口を開く。
「チョコとか甘いもの好きなんだ?」
向日葵のように温かい笑顔を浮かべ、気づけば獅音の体勢は少し前のめりになっていた。
「いや、……うんまぁ。」
――パッと見て、目に留まったからだけど、チョコは好きっちゃ好きだし……ま、いっか。それにしても何がそんなに嬉しいんだ?それくらいおいしいってことなのか。
様々な感情が琥珀の心に詰まっていく。
琥珀は一旦落ち着こうと窓の外へと目を移した。
外は、夕日が建物をオレンジへと染め始めていた。日が落ちていく……その事実が、琥珀の胸のざわめきを一瞬にして空っぽにし、我に返らせる。琥珀は、瞬時に視線を落とした。
「課題……課題やりたい」
琥珀は声を少し震わせながら、ボールがただ一直線に落ちていくように、言葉をおとした。
「琥珀……?」
琥珀の急な様子の変化に獅音は首をかしげながら尋ねる。
琥珀の前髪がカーテンとなり、きちんと琥珀の表情が見えなかった。
心配になった獅音は、隙間からのぞき込み……目を大きく見開いた。
そこにあったのは、あの無理やり塗りつぶしたかのような、冷たい硝子をした瞳だった。