#19
琥珀の押すカートのせいで足が重いのか、それとも気持ちの問題で足が重いのか分からないまま、琥珀は料理用の本が置かれているエリアへと獅音達を案内した。
――っクソ、早くここから逃げたいのに。人がいるから下手なことは出来ねぇし。
そんなイラつきと焦りを一切感じさせない声のトーンを意識しながら琥珀はあくまで獅音をお客様として接しようと努力していた。
「あ、兄さん。ちょっとあそこも見てみたいから後でそっちに向かうよ」
「わかった。」
そんな兄弟の会話も聞こえず、琥珀はいつのまにか獅音だけを案内していることに気づいていなかった。
「こちらになります。それでは失礼します。」
「あ、あのありがとうございました。あ、あと――」
去ろうとする琥珀に対し、普段学校で見慣れた笑顔を着けながら獅音はお礼を伝える――と同時に琥珀のもとへと近づいた。周りに人が徐々にいなくなってきたタイミングでさらに琥珀の方へと足を動かす。
――ちょっ、近!?
あまりの近さで咄嗟に琥珀は目をつむってしまった。すると獅音はそっと上から飴玉を落とすかのように琥珀の耳元で言う。
「今日いつもの服装となんか違う。似合ってるね」
それは普段の獅音からは聴いたことのない、少し低音の獅音の声が琥珀の耳元へと響く。
そしてその声はなぜかやわらかかった――丁度その時、彼が普段とは違うやわらかい微笑みを見せながら発したからだろうか。
獅音の声が琥珀の耳元へと落ちていくと同時に今度は琥珀の耳元で赤い火がだんだんと浮かび上がった。
「っっうるっさ――」
突然の出来事で感情に任せて大きな声を出そうとした瞬間、琥珀の口は獅音の左手によって塞がれる。すると獅音は左手を琥珀の口元へと残したまま、右手で人差し指を立たせ、今度は獅音自身の口元へともってくる。
「シー。このフロアでは私語厳禁ですよ」
「っんな」
――なんなんだよ、こいつ……!
琥珀は戸惑いと恥ずかしさ、そして怒りの感情を右手に込めて、自分の口を塞ぐ獅音の手をどかす。琥珀はそのまま下を向き黙っていたが、少し経つと琥珀的に心が落ち着いたのか顔を獅音の元へ戻した。
「それでは失礼します。」
そう一言残し、足早にカートへと向かい本を元の位置に戻しに行った。
しかし、自分の顔色が淡い赤へと熟したさくらんぼのように染まっていることを琥珀は知らない。
「ッフ、ちょっとやりすぎちゃったかな」
独り言を獅音はポロッとこぼす。
――ごめんね、琥珀。後でちゃんと連絡しよ……でもあの顔、また見てみたいな。
「あ、いた。兄さ……っと声抑えなきゃ」
「お、丁度よかった。いい本あった?」
「うん、見つけたよ。兄さんは?」
「俺も。じゃあ、借りて帰ろうか。」
「そうだね、兄さん付き合ってくれてありがとう。」
獅音は微笑みだけを碧音に返して2人でカウンターの元へと向かった。