#15
急な獅音の一言に琥珀は驚きを隠せずにいた。
「い、いや帰る。」
琥珀は下を向きながら呟くように言った。
「そうだよね、流石に急すぎたか。あ、じゃあ何か奢らせて!なんか助けてもらってばっかだと申し訳ないしさ」
二人の間に静けさが戻る。
「お、奢られるのはちょっと……何か嫌で……。」
「そ、そっか!あ、やば!そ、そうだよね、俺何してんだろ!琥珀くんのこと困らせてばっか――」
「ちょ、落ち着けって!落ち着けよ……何そんな焦ってんだよ。」
琥珀のその一言で獅音は、ハッと我に返った。
「あ、あれ何で僕、焦って……。あ、また僕って言っちゃ」
「別にいいよ、そんなん自由に自分のこと呼べばいいじゃん。法律で決まってるわけじゃあるまいし。」
「っフ、法律はちゃんと守るんだ」
「あ、当たり前だろ。捕まりたくねーし。」
――捕まりたくないって、っフフ。あー、もう。
そう思いながら獅音の心の中で淡いピンク色をした水面に波紋がいくつか生まれた。そして徐々に落ち着きのある元の獅音に戻っていった。獅音はまた月明かりを探すように窓を見上げ、再び口を開いた。
「怖かったんだ。自分をさらけ出して、自分の言葉でまた人を困らせるのが、傷つけるのが。いつも思う。今日こんなことしたとか、推しがこんなことしてたとか。そうやって自分のことについてとか、好きを好きと言えることとかってすごいなって。……だから自己紹介とかも本当、小さい頃から苦手だったな。自分のこととか一番自分がよく分かってない。母さんを傷つけたあの日から……大切な人を傷つけた自分が嫌いになった。でも本当はどこかで誰でもいい、誰かに知ってほしいって思っている自分がいた……誰かに知って欲しかった。分かって欲しかった。こんな僕のこと。」
「分かんねぇよ。……上手く言えないけど、そんな過去のこととか俺知らねぇし、分かんない。でも、俺が言えるのは『お前がめんどくせぇ奴』ってことぐらいかな。それに過去のこととかちゃんと知らないくせに大丈夫だとか言われたって、安心するわけでもないだろ。」
予想外の琥珀の言葉に獅音は目を大きく開いた。琥珀の言葉が獅音の心に優しく染み込んでいく。
獅音は長く明かりのないトンネルの中をずっと歩き続けているその先にやっと眩しく感じられるほどの明るい光を見つけたような気分だった。
――めんどくさい奴か、初めて言われた……っフ、琥珀くんらしいや。
「……本当はちょっと言ってもらえるのを期待してたかも」
「んなぁっ」
少しからかってみたい思いから無意識に発した自分の言葉に獅音自身驚く。しかし自分の言葉に頬を淡い赤色にする琥珀の姿に胸がぎゅっとなった。
一方琥珀は、獅音の言葉で自分の感情が動かされていルことに恥ずかしさと悔しさを感じていたが、なぜか悪い気はしなかった。むしろ自分の言葉で獅音がどこか明るく感じられることに不思議と嬉しさを感じていた。
「あ、あと……奢るっていう話のやつ。その……やってもらうのが、苦手というかなんというか。……とにかく自分ができることは自分でやりたいんだ。」
――自分でやりたいか。気になるけど聞いても今の琥珀くんと僕の関係じゃきっと教えてくれない。琥珀くんは今何を考えているんだろう。僕ももっと琥珀くんのことが分かれば……。もっと仲良くなりたい。
「そっか。あ、じゃあ連絡先教えて!」
「は!?」
「いいじゃん、いいじゃん!やっぱりお礼はしたいからさ。ゆっくり決めるということで、これを機にね!お願い!」
――お願いって……。そういえばこいつしつこいんだった。
「わ、分かった。」
「本当!?やった、ありがとう!」
――なんでそんな嬉しんだ?友達いっぱいいるんだし、そんな他の奴と交換するのと変わんないだろ。こ、子犬みたい、しっぽが見えるような……。
そんなことを考えがら琥珀は獅音と連絡先を交換した。
「獅……音。」
連絡先を交換した琥珀は、登録されている連絡先の名前を呟くように読んだ。
「そう!藤田獅音、僕の名前!って……前にも話したっけ?獅音って呼んで!」
「お、おう。お、俺もその……くん付け慣れないから」
「え、そうだったの!?早く言ってよ~ごめん。じゃぁ改めてよろしくね、琥珀!帰ろっか。こんな時間まで付き合ってくれてありがとう!」
「別に、平気。」
「そういえば琥珀は一人暮らし?いつも一緒に昼食食べたりするけど、あんまりご家族のこととか聞かないなって」
「まぁ、そんなとこ。両親は俺が小さいときに死んで、今は母方の祖父母の家でお世話になってる。」
「え、あ、そうだったんだ。ごめん、何も考えずに……また僕」
「平気。こんな回答誰も予想つかないと思うし。じゃ、俺スーパーよって帰るから。」
「あ、そか。じゃまた!今日は遅くまで本当ありがとう」
「ん。」
校門を出てお互い違う方向へと別れていった。獅音は琥珀が話してくれた質問の答えがまだ耳に残っていた。獅音は琥珀が進んだ方向へと振り返る。琥珀の後ろ姿は、さっきまで話していた彼の姿とは裏腹にどこか儚く切ないように獅音は感じた。獅音はその背中が見えなくなるまでなぜか目が離せなかった。