第四章 第七節 嵐の地平
朝霧が晴れぬ戦場の地平。
対峙する二つの軍勢。その中央に、一つの影が歩み出た。
赤黒の甲冑を纏い、背には長大な黒槍――まるで旗のように揺れるそれを担い、漆黒の戦士は堂々と進む。
「……来たか」
ドルゴ将軍が低く唸る。レオンハルトは地平の彼方、ゆっくりと歩を進めてくる巨躯を見据えていた。
「ドワーフの戦士たちよ。我が名は、カイ・エンヴィラス」
その声音は静かでありながら、戦場全体に響き渡るほどの威圧を持っていた。
「無用な血を流すな。ここで武器を捨て、我が主に忠誠を誓えば、お前たちの命は保証される」
ざわめくドワーフ陣営。だが、誰一人として声を返さない。
カイは眉一つ動かさず、続けた。
「……それが叶わぬのならば。勇気ある者、我が前に出よ」
沈黙を破ったのは、ドワーフの中年将軍――ベルトラム・アイアンスパイク。
「貴様ごときに、この誇りを屈するかよォッ!!」
怒号と共に、巨大な戦斧を振りかざし、突撃する。
だが次の瞬間──
「……遅い」
静かに放たれたその言葉と共に、黒槍が閃いた。
風を切る音すら残さず、一閃。
ベルトラムの身体が、縦に割れ、血煙と共に地へ崩れ落ちた。
戦場全体が、凍りつく。
「ッ……!」
リリシャは思わず顔を背け、レオンハルトは拳を握りしめた。
カイはゆっくりと振り返り、ドワーフ軍へと視線を向ける。
「ならば、次は誰だ」
その言葉に応じて、歩み出る影があった。
「俺が行く」
「レオン!? 待って、やめて!」
リリシャが叫ぶも、レオンハルトは静かに首を振る。
「ここで誰も動かなければ、奴は勢いづき、我らは士気を失う……」
彼は蒼鉄の剣を背に、リリシャを見つめた。
「今、出なければ“誇り”を失う。……だから、行かせてくれ」
リリシャの手が、彼の腕を掴むも、力なく離れる。
「わかった……でも絶対、無事に戻ってきて」
「約束する」
微笑みを残し、レオンハルトは地を蹴った。
風のように駆け、彼の姿が戦場の中心へと近づいていく。
漆黒と蒼鉄。
二人の武士が、ついに相対する。
戦場の中央、風が止む。
漆黒の槍王と、蒼刃の騎士が向かい合う。周囲の兵たちが、固唾を呑んで見守る中、先に口を開いたのはカイ・エンヴィラスだった。
「……名を名乗れ」
その声音は威圧ではなく、誇り高き戦士としての礼節だった。
レオンハルトは静かに剣を抜き、答える。
「王国神聖騎士団副団長――レオンハルト・ルシアード」
「貴殿の槍に、我が剣を以て応えよう。ここが、我らの誇りの交わる場所だ」
カイはわずかに頷き、背の黒槍《黒牙》を地に突いた。
「我が名は、カイ・エンヴィラス。“漆黒の槍王”と呼ばれようとも、我はただ、兵法に従い、戦を収めるのみ」
黒槍をゆっくりと構えると、その眼には一点の迷いもなかった。
「いざ、尋常に勝負」
「応ッ!!」
地を蹴る。
剣閃と槍撃が、空間を裂いた。
――激突。
レオンハルトが蒼刃を振るうと同時に、カイは黒槍《黒牙》を突き出す。
轟音と火花が散る。
一撃、一撃が地を震わせ、土煙が舞い上がる。すでに常人の目には追えぬ速度。だが、互いの動きは、読み合いの応酬だった。
「はあああッ!」
レオンハルトが跳び退き、左手をかざす。
「《水弾》!」
圧縮された水の弾丸が、次々と放たれる。高速で飛来する水弾に、カイは槍を回転させながら防御。
「風よ、我が身を駆けよ──《旋風障壁》!」
風が渦巻き、周囲を包む。水弾が弾かれ、周囲の草木を薙ぎ倒す。
「やるな……!」
レオンハルトが呟く間もなく、カイが風に乗って突進する。
「《風牙穿》!」
風の刃を纏った突きが、レオンの腹部を狙う。ギリギリで蒼刃を横に構え、受け止めるも、その威力に吹き飛ばされる。
「ぐっ……!」
しかし、倒れる間際、レオンハルトの目が光った。
「今だ──《氷鎖》!」
足元に展開された魔法陣から、氷の鎖が地を這うように伸び、カイの足を捕らえようとする。
「見切った!」
カイが即座に後方宙返りで跳び、鎖の射程外へ。だが、それもレオンの計算のうち。
「逃がすかッ!!」
地に膝をつき、剣を構え、魔力を一点に集中させる。
蒼刃の刀身が震え始め、内から水の圧力が高まる。空気中の湿気が剣に集まり、光を帯びていく。
「――奥義、《蒼刃裂破》!!」
巨大な蒼刃が唸りを上げて、一文字に薙がれた。
圧縮された水の斬撃が放たれ、大気を裂き、月光の下を一直線にカイへと走る。
「む……!」
カイは構えを深く取り、風の奔流を纏わせた。
「双風牙!」
槍を両手で振り抜き、十字に交差する二重の風刃が水斬撃と衝突する。
爆風。蒼い奔流と風の奔流が拮抗し、激しい衝撃が戦場全体を揺るがす。
兵たちはよろけ、旗は倒れ、空にまで達する衝突音が響き渡る。
そして──
破裂。
風と水が弾け、二人は互いに吹き飛ぶ。
地を転がりながらも、どちらもすぐに起き上がった。
息が荒い。血が流れる。それでも、どちらも目を逸らさない。
「……これが、レオンハルト・ルシアードか」
「貴殿こそ、化け物じみた力だ……だが」
レオンハルトは、再び蒼刃を構える。
「まだ……終わっちゃいない」
カイの口元がわずかに緩む。
あまりにも激しく、そして美しい戦いだった。
誰一人、言葉を発することができない。ただ拳を握り、剣の柄を強く握りしめ、呼吸さえ忘れるような静寂の中で、ふたりの戦士は刃を交え続けた。
――だが、その戦いは一向に終わりを見せない。
蒼刃と黒槍が何度も火花を散らし、水と風の魔法が交差する激突の応酬は、まるで一つの舞のように続いていく。
陽は傾き、空が紅から群青へと変わり、やがて深い闇が地上を覆い始めた。
「――灯りを点けろ」
低く、しかし確かな威厳を込めた声が、暗黒の教団側から響いた。
カイ・エンヴィラスが、仲間の兵へと背を向けぬまま、命じたのだ。
「この戦い、闇に呑ませるには惜しい」
その一言に従い、教団軍の兵士たちが次々と松明を掲げ、周囲に光がともる。
それを見たドワーフ側の兵も反応し、魔導の光晶石を起動し始めた。
やがて戦場全体が、複数の松明と光石の灯火に照らされる。
地を這うように揺らめく炎の光。その中心に、二人の影が向かい合う。
「……風流だな」
レオンハルトが、血を拭いながら呟く。
「戦とは、かくあるべきものだ」
カイの口元が、わずかにほころぶ。
「策を弄せず、背を見せず。光の下で武を尽くす。それが、俺の戦い方だ」
レオンハルトは、微かに頷いた。
「ならば……この灯火の下で決着をつけよう」
両者の武器が、再び構え直される。
蒼刃には魔力が流れ込み、刀身がうっすらと蒸気を帯び始める。
黒槍《黒牙》もまた、風を巻き上げ、地面の砂を踊らせていた。
蒼刃と黒槍――ふたつの武が、最後の魔力をまとって激しく光を放つ。
「――蒼刃裂破!!」
「――双風牙!!」
夜空に響く、ふたりの絶叫。
レオンハルトの蒼刃が、水の刃となって奔流を描き、目に見えぬほどの速さで風を切る。
カイの黒槍は、風を裂き、空間すら振動させる二重の斬撃を生み出して迎え撃つ。
瞬間、世界が白く染まった。
轟音。爆風。地鳴りのような圧力。
光晶石の光がかき消され、松明の火が一斉に揺れる。
ふたりを中心にした地面が爆発的に抉れ、炎と水飛沫、そして風の旋回が大地を裂いた。
見守る兵たちは思わず後退し、口々に叫び声を上げる。
「……っ、うおおおおっ!!」
「な、何だこの……っ!」
視界が晴れた時、そこには――
静寂の中、互いに距離を置いたまま、両膝をつくふたりの姿があった。
どちらも動かない。
呼吸は荒く、血がにじみ、全身が打ちのめされている。それでも、どちらも目を逸らしてはいなかった。
レオンハルトが、口の端をわずかに上げる。
「……互角、か……」
カイ・エンヴィラスもまた、微かに笑う。
「ふむ……久しく、ここまで届く者はいなかった」
ふたりは、ほぼ同時に、重く立ち上がる。
決着を強いるでもなく、言葉を重ねるでもなく。ただ、互いの誇りに敬意を示し、背を向けずに歩き出した。
この戦いは――引き分け。
だが、それで終わりではない。
戦場全体に静かなざわめきが走る。
レオンハルトが陣へ戻る途中、リリシャが駆け寄る。
「……無事で、よかった……!」
「まだ戦いは終わってない。だが、今夜は……ここまでだ」
彼が夜空を見上げると、星々が無言のまま瞬いていた。
一方、カイは教団軍陣に戻ると、無言で黒槍を背に収め、本陣へ向かう。
その背に、兵たちが自然と道を開ける。
戦場に残されたのは、抉れた大地と、焦げた草木、そして剣士と槍王の“武”の余韻だけだった。
――だが、夜明けは近い。
そして明日、ついに軍と軍が激突する総力戦が始まる。




