第三章 第十二節 失われた光、分かたれし道
アシュランは、まどろみの中で微かな声を聞いた気がした。
──アシュラン。
誰かが、自分の名を呼んでいる。
重く沈んでいた意識が、ゆっくりと浮上していく。
瞼が開き、眩しい光が視界に差し込んだ。
「……ここは……」
天井の模様は見覚えのないものだった。
身体はひどく重く、右目には固く巻かれた包帯がある。
「やっと目覚めたか」
低く、どこか安堵した声が聞こえた。
視線を向けると、そこには椅子に腰掛けたレオンハルトと、壁にもたれかかったグレンがいた。
「……レオン、グレン……?」
「おう、久しぶりだな、寝坊助」
グレンが軽く笑いながら声をかける。
「一週間も寝てたんだ。心配したぞ」
アシュランは朦朧とした頭で状況を尋ねた。
「……封印は……どうなった?」
レオンハルトの表情が曇る。
「……封印は、破壊された。エリオス様は……亡くなられた」
アシュランの心に、冷たいものが落ちた。
「トラバンとハーランは……なんとか生き延びた。リリシャも無事だ」
グレンが続ける。
「だけど……レイが……」
アシュランの視線が鋭くなる。
「レイがどうした……?」
「外傷は癒えた。エルフの治癒魔法でな」
グレンが言う。
「だが……まだ目を覚まさねぇ」
アシュランの手が、無意識にベッドの端を握りしめる。
「魂が……沈んでいるらしい」
「……そんな……」
その時、扉が軋む音と共に、ノックもせずに開いた。
「……ようやく起きたか、人間」
無骨で低い声が響く。
扉の向こうに立っていたのは、包帯を巻き、右腕を吊った状態のハーラン・フォングレイヴだった。
「……ハーラン殿」
アシュランはかすれた声で呼びかける。
「“その子”のことで話がある...」
ハーランは一度、視線を外し、溜め息混じりに言った。
「……お前が暴走した時、あの子は自分の魂で、お前の前に立ち塞がった。
そのせいで、心が壊れてしまったのだ。」
アシュランの拳が、シーツの上で震える。
「……治す方法は……ないのか……?」
「……一つだけ、可能性はある」
ハーランは静かに言った。
「犬人族の国、フェンリガルに、“癒しの泉”がある。
それには魂の沈静を解く力があると言い伝えられてる」
「……!」
「だがな...」
ハーランはそこで言葉を止め、ゆっくりと告げる。
「その泉の力を引き出すには、“調律”が必要だ」
「調律……?」
「...泉はただの水たまりではない。魂と魂を重ね合わせ、泉と共鳴しなきゃ力を貸してくれないのだ」
アシュランは息を呑む。
「では誰かに、その調律を……」
「今の犬人族に、調律ができる奴はいない...」
ハーランは肩をすくめた。
「過去には“導師”と呼ばれる者がいた。導師だけが調律を行えたが、今ではそんな奴は一人も残っていない」
「……じゃあ、どうすれば……」
「それにだ...」
ハーランは鋭い目つきでアシュランを見据えた。
「仮に導師がいたとしても、俺たち犬人族は、人間族を恨んでる」
その言葉は重く、鋭く突き刺さった。
「過去の歴史で、私たちが人間にどれ程踏みにじられてきたのか、お前は知らないだろう。
私も、他の犬人族も……人間の頼みなんて、聞く耳持たない奴ばかりだ」
アシュランは、唇を噛みしめながら拳を握った。
「それでも、行く。どんなに拒まれようと、レイを取り戻すためなら……」
ハーランは、その姿をしばし無言で見つめたあと、ふっと鼻で笑い、去ろうとした。
その背中を、グレンが呼び止めた。
「おい、待てよ」
ハーランは足を止めるが、振り返らない。
「どうしてそんなこと、教えてくれるんだ?」
問いかけるグレンの声に、アシュランもレオンハルトも、じっとハーランの背中を見つめた。
だが、ハーランは何も答えなかった。
無言のまま扉へと歩みを進める。
ただ──
吊った腕の下、腰から伸びる尻尾だけが。
左右に、ゆっくりと振れていた。
「……ったく、不器用な奴だな」
グレンが小さく呟く。
⸻
病室を出たレオンハルトとグレンは、静かな廊下を歩き、やがて中庭の片隅に設けられた倉庫前で足を止めた。
そこに置かれていたのは──
無惨に折れた二振りの双剣と、大きくひび割れた大剣。
グレンは割れた双剣を手に取り、苦々しい顔で呟いた。
「……情けねぇもんだな。まるでおもちゃだ」
レオンハルトも、自分の大剣を手に取り、指先で亀裂に触れる。
「……これでも、人間族の名工が打った一品だった」
「名工ねぇ……」
低く鼻を鳴らした声が聞こえた。
振り返ると、包帯を全身に巻いたトラバンが、無骨な足取りで近づいてきていた。
「おいおい、こんなナマクラで戦ってたのか。これじゃジークに折られて当然だ」
「……これでも王都じゃ最高の品なんだがな」
レオンハルトが苦笑混じりに答えると、トラバンは肩をすくめた。
「人間族の“最高”か……お前ら、どこまで甘いんだ」
そう言って、ポンとグレンの肩を左手で叩く。
「ドワーフの国、グラン=ドラムなら、ジーク相手でも簡単に折られねぇ武器なんざ、山ほどある」
「……マジかよ」
グレンが双剣を見下ろしながら、ぼそりと呟く。
「本当か?」
レオンハルトが問いかけると、トラバンは口の端を少しだけ上げた。
「ドワーフの名は伊達じゃねぇよ。
お前らが本気で戦うつもりなら、うちの鍛冶場に来い。武器だけでも一流にしてやる」
その言葉に、グレンは双剣を見つめ、深く息を吐いた。
「……俺は、もっと強くならなきゃならねぇ」
グレンは折れた双剣を両手で掴み、静かに言葉を続けた。
「武器の当ては、俺にもある。ヴォルカニア──故郷に戻る」
その瞳は、決意の炎を宿していた。
「二度と、誰も守れないなんてことがないようにな」
レオンハルトはそれを見て、小さく頷く。
「俺はドワーフの国へ行く。戦いの準備を整えなければならない」
「なら、リリシャも行くわよ!」
振り返ると、いつの間にか建物の陰からリリシャが顔を出していた。
「……お前、盗み聞きしてたのか」
レオンハルトが呆れた声を出すと、リリシャは得意げに胸を張る。
「当然でしょ! レオン様のこと、放っておけないんだから!」
トラバンは苦笑しながら、怪我をした腕をさすった。
「……ま、好きにしな。どうせお前ら、止めたって行く連中だ」
レオンハルトとグレンは、折れた武器を見つめ、それぞれの決意を胸に刻んだ。
──そして、それぞれの旅路が始まる。
アシュランは眠り続けるレイを抱え、犬人の国へ。
レオンハルトとリリシャはドワーフの地・グラン=ドラムへ。
グレンは故郷ヴォルカニアへと、一人背を向けて歩き出す。
だが、どの道もやがては一つの未来へと交差する。
それぞれの歩みは、世界の命運を賭けた戦いへと続いていく──




