第三章 第十節 誰がために、命を燃やす
グレンとレオンハルトが無惨に倒れ、護衛兵たちは散り散りになった。
「エリオス様、今のうちにお逃げください!」
護衛兵の一人が必死に叫ぶ。
しかし、エリオスは静かに首を振った。
「誰かが、この場に踏みとどまらねばならない。人間族や部下が命を賭して戦っているのに、エルフの長が背を向けることはできぬ」
その言葉に、トラバンとハーランが顔を上げる。
「ったく……面倒見のいい長だな」
トラバンは肩に担いだ巨大な戦槌を振り下ろし、床を叩いて立ち上がる。
「俺も残るぜ。ドワーフの名折れになっちまう」
「俺もだ」
ハーランは炎を纏ったレイピアを構え、静かに続けた。
「人間もエルフも関係ない。俺たちは今、共に戦う者だ」
ティリスが不安げに彼らを見る。
「……ですが」
エリオスはティリスを振り返り、微かに微笑む。
「お前は戦いに向かぬ。急ぎ脱出し、援軍を呼べ。
我々の誇りは、託せばよい」
ティリスは唇を噛み、深く頷くと、その場を駆け去った。
「では、行こうか──」
エリオスが風魔法を構え、トラバンとハーランが前へ出る。
彼らは残った護衛兵と共に、ジークへと立ち向かった。
「風刃、駆けよ──《風牙乱舞》!」
エリオスの手から鋭い風刃が放たれ、ジークへと向かう。
同時にトラバンが戦槌を振り上げ、地を揺るがすように踏み込む。
「オラァァ!!」
ハーランのレイピアも炎を纏い、閃光のような突きをジークへと浴びせた。
だが──
「無駄だ」
ジークの《覇断》が、一閃。
風刃は切り裂かれ、トラバンの戦槌は弾かれ、ハーランのレイピアすら砕かれた。
次の瞬間──
エリオス、トラバン、ハーラン。
三人は、まるで嵐に巻き込まれたかのように広間の床に転がり、動かなくなった。
***
数分前...ジークとの戦いが始まった直後
ラヴィーナが黒き魔力を纏い、アシュランとレイの前に立ち塞がる。
彼女の周囲に、漆黒の霧が渦巻いた。
「闇に沈みなさい──《黒葬霧》」
アシュランとレイは漆黒の闇に包まれた。
「これは心核が盗まれた時の……!」
レイが呻くように呟いた瞬間、ラヴィーナの声が霧の中から響いた。
「ふふ……さすがね、レイ。よく気づいたわ」
彼女の声は、闇の中で不気味に反響する。
「でも──あなたの推理、ひとつだけ抜け落ちていたわ」
ラヴィーナは楽しげに、しかし冷たく告げた。
「確かにあなたは、私の仮面を暴き、私が猫人族ではないことを見抜いた。
でも──“どうやって”完全な暗闇の中で心核を盗み出せたのか、その答えには辿り着かなかった」
闇の中、ラヴィーナの足音だけがゆっくりと響く。
「教えてあげるわ。私も──“感応者”なの」
アシュランとレイが息を呑む。
「私の固有の力は《深闇視》。
私はどんな闇の中でも、昼間のように視えるのよ」
その言葉と同時に、ラヴィーナの気配がアシュランの背後に移動する。
「さあ、どうするの? 闇に沈んだまま、無様に終わる?」
ラヴィーナの声が、耳元で囁かれる。
その時──
「アシュランさん、今です! 闇を祓ってください!」
レイの必死な声が響いた。
「光よ、闇を裂け──《閃光》!」
アシュランは強烈な閃光を放ち、広間を覆う漆黒の霧が一瞬にして祓われた。
その瞬間、ラヴィーナの姿が白日の下に晒された。
「っ……!」
眩しさに一瞬、目を細めたラヴィーナ。
「今よ!」
レイは迷いなく駆け出した。
その手には、小さな銀の短剣。
ラヴィーナが振り返る間もなく、レイは彼女の間合いに飛び込み、ナイフを鋭く突き出す。
「──っ!」
ラヴィーナの左腕が裂け、赤い血が滲んだ。
「くっ……!」
「もう逃がさない!」
アシュランが詰め寄ろうとしたその時──
「──ラアアアヴィイイイイイイナァァァァアアアア!!!!」
天地を震わすほどの咆哮が、広間全体に轟いた。
まるで地響きのような怒声。
ジークの咆哮とともに、戦場の空気は変わった。
まるで天地が怒り狂ったかのように、広間の床が割れ、瓦礫が浮き上がる。
「……っ! なんだ、この気迫……!」
アシュランは目を見開いた。
「ラヴィーナを……傷つけたな」
低く絞り出すような声は、怒気で震え、聞く者の心臓を握り潰すかのようだった
ジークの姿は、すでに目の前にあった。
「消えろッ!!」
怒声と同時に、覇断が振り下ろされる。
アシュランはとっさに剣を構え、受け止める──
怒りに燃え滾るジークの一撃は、まるで大地そのものが押し潰してくるようだった。
「ぐっ……!!」
膝が砕けそうなほどの衝撃に、アシュランは必死に踏み堪える。
「アシュランさん!!」
レイの叫びが響く。
「させない──!」
レイはアシュランとジークの間に割って入り、短剣を構えた。
しかし──
ジークの視線は、完全に狂気に染まっていた。
「邪魔だッ!!」
次の瞬間、ジークの膂力が爆発し、覇断が振り抜かれる。
「レイ──!!」
鈍い衝撃音。
レイはそのままアシュランの腕の中へと崩れ落ちた。
「……っ!」
アシュランは必死にレイを抱きかかえた。
その身体は、ぐったりとして動かない。
「レイ……?」
呼びかけても、彼女の瞼は閉じられたまま。
その瞬間──
アシュランの胸の奥で、何かが壊れた。
彼の身体から、黒く禍々しい瘴気が噴き出した。
「──ぐっ……ああああああああああああッ!!」
叫びとも、咆哮ともつかぬ声が広間に響く。
その瘴気は嵐のように渦を巻き、割れた床石を吹き飛ばし、空気を震わせた。
アシュランの瞳は、完全に赤く染まっている。
理性も、秩序も、もうそこにはない。
あるのは、たった一つの感情。
怒り。
「ジーク……」
声は低く、震え、血を吐くようだった。
「お前だけは……絶対に許さない……」
その瞬間、アシュランの足元に魔力の陣が展開され、暴走した瘴気がさらに高まる。
広間を満たす闇と、ジークが放つ戦気。
その中心で、アシュランはまるで“災厄”そのもののような存在へと変わり果てていた。
手にした剣は、もはや彼の意思を超えた狂気の刃と化している。
「全部……壊してやる……!」
赤い瞳が、ジークを捉えた。
アシュランは地を蹴った。
暴風のような瘴気が爆発し、ジークへと迫る。
「殺してやるッ!!」
その一撃は、誰のためでもない。
自分の中に渦巻く怒りと、どうしようもない喪失感を、ただ叩きつけるだけの一撃だった。




