第三章 第一節 翠晶の心核
大陸南部──
深緑の森を抜け、陽光の届かぬ樹海を抜けた先。
そびえ立つ巨木と、緑の帳に包まれた、静謐なる都があった。
リィル=フェリア。
六種族のひとつ、エルフ族の国であり、森と調和するように築かれた美しい都。
木々の枝がそのまま街路を形成し、幹の中に刻まれた階段が空へと伸び、蔦に覆われた楼閣が霧の上に浮かぶように佇んでいる。
その都の正門前。
「……着いたな」
アシュランが手綱を引き、馬を止めた。
長旅の疲労を微塵も見せず、彼は前方に広がる森の都を静かに見上げる。
「何度来ても、ここの造りはすごいな」
グレンが感嘆したように口笛を吹いた。
「自然と共に在る都市……エルフ族らしいわね」
レイも馬上から街を見渡し、小さく微笑む。
正門の前には、すでに数名のエルフの衛士たちが立ちはだかっていた。
細身の長槍を携え、均整の取れた体躯と、鋭い碧眼が彼らを見据える。
「王都アルディナスよりの使者か」
門番の一人が、淡々と告げる。
「ああ。我々は、王国の命を受けて来た。封印の異変に関する調査のためだ」
アシュランは馬上から名乗り、腰の剣に軽く手を添えた。
「エリアス様より、連絡は受けています」
衛士は短く頷き、扉の奥に合図を送った。
ゆっくりと、緑の木門が開く。
「では、通られよ。長旅の疲れを都で癒すといい」
アシュランたちは軽く会釈し、ゆっくりと馬を進めた。
リィル=フェリアの中は、まるで別世界だった。
風は穏やかに木々を揺らし、頭上には鳥たちのさえずりが響く。
石畳の代わりに、太い蔦と苔むした木の根が道を形作り、左右には小川が流れていた。
「……静かだな」
グレンが呟く。
「けど、この静けさの奥で、何かが蠢いている」
アシュランは周囲を見渡し、警戒を緩めない。
「エルフの国でも、封印はまだ無事……だけど、それがいつまで保つかは分からない」
レオンハルトは短く言い、遠く見える都の中心──大樹の麓にある神殿を見据えた。
「私たちが来た意味、きっとすぐに分かるはずです」
レイは、そっと指輪に触れた。
彼女の指先で、絆の指輪が微かに光を宿す。
彼らの到着と同時に、森の中の空気は静かに変わり始めていた。
***
リィル=フェリアの中心部。
天に届かんばかりの巨木《聖樹エルフィナ》の根元に築かれた、エルフ族の議事堂。
自然と魔法が織りなすこの場所は、森そのものが彼らの城塞であり、聖域だった。
議事堂の奥、陽光が差し込む高座に、一人の男が静かに座している。
エリオス・フェンリル。
エルフ族の長であり、銀髪と碧眼を持つ美丈夫。
その佇まいは、まさに森の理を体現する存在。
アシュランたちは、広間の中心で跪いていた。
「よくぞお越しくださいました、人の国よりの使者たちよ」
エリオスの声は穏やかでありながら、澄んだ刃のように冷静だった。
「長き歴史の中で、人の国からの使者をこの議場に迎え入れることは、決して多くはありません。今回の訪問が、平穏を脅かすものではないことを願うばかりです」
「ご挨拶とご配慮、感謝します」
アシュランが深く頭を下げ、続けた。
「私たちは、王国の命を受け、貴国に眠る封印の調査と、暗黒の教団の動向についてお伝えするために参りました」
エリオスは頷いた。
「既に、王国より文書を受け取っております。……オルデナ遺跡のみならずヴォルカニアの封印が破壊されたとの報せ、決して看過できぬ事態です」
「今は、大陸全土が動乱の淵に立たされています」
レオンハルトが静かに言った。
「ですが、エルフ族の封印は未だ健在。そう伺っています」
「その通りです」
エリオスは立ち上がり、広間の奥へと歩みを進める。
「我がリィル=フェリアには、千年前の戦乱より伝わる《翠晶の心核》が安置されています」
彼は手を掲げ、魔法陣を描く。
議事堂の中央に設えられた封印の祭壇。
そこに、翠色の光を宿した結晶が浮かび上がった。
「これこそ、精霊との契約により、封印を守護するために作られた秘宝……《翠晶の心核》。我らエルフの民が、幾世代にもわたり守り続けてきたものです。心核があれば封印が破壊されることは決してありません」
淡く輝くその結晶に、レイは思わず息を飲んだ。
「……こんなに澄んだ魔力、初めて見ました」
「ですが」
エリオスの声が低くなる。
「近頃、この心核が微かに震えております。……ほんのわずかながら、均衡が揺らいでいる」
「やはり……」
アシュランは静かに呟いた。
「教団が、次に狙うのはここだと、私たちは考えています」
「確かに、その可能性は否定できません」
エリオスは席に戻り、深く息を吐いた。
「しかし、今この封印と秘宝は我々だけの問題ではなくなりつつあります。封印の異変を受け、各種族から代表者や専門家がこのリィル=フェリアに招かれています」
「他種族の代表が……?」
レオンハルトが問い返す。
「ええ。我が民だけでこの危機に対処するのではなく、共に知を結集しようという提案が、他国より上がってきました。数日後には、彼らを迎える歓迎の宴も予定されています」
「歓迎の宴……」
レイがそっと繰り返す。
「もちろん、アシュラン殿たちにも参加していただきます」
エリオスが頷く。
「そこで、他種族との意見交換を行い、封印と《翠晶の心核》の守護体制を共に考えていければと」
「……わかりました。その場で得られる情報は、きっと役立つはずです」
アシュランは静かに頷いた。
「我々も、調査のため可能な限り協力します」
レオンハルトも力強く応じる。
「よし、じゃあ俺は飲み食い担当ってことで!」
グレンがにやりと笑い、レイは思わず小さく吹き出した。
エリオスも微笑みながら言葉を継いだ。
「宴までは数日、ゆるやかに森での時を過ごしていただきたい。何かあれば、我が側近たちが案内に当たります」
アシュランたちは一礼し、改めて《翠晶の心核》を見つめた。
そこに宿る輝きは美しくも──
わずかに脈打つような、揺らぎを感じさせるのだった。




