第二章 第三節 教団の影
夜の帳が静かに降り、星々がひっそりと瞬くその下で——
王都アルディナスから遥か北方、断崖の影に沈む古の山中。
そこに、かつて滅びたとされる「暗黒の教団」の残党が潜む場所があった。
外界から隔絶された古の地下聖堂。そこでは、死者の声が今もささやくように、封印された闇の気配が脈動していた。
重厚な石のアーチと黒き炎に照らされた空間の中央——
黒曜石で作られた玉座に一人の男が座していた。
レイヴン。
教団の戦略を一手に担う男。
その眼差しは冷たく、鋭く、まるで未来をも見透かすかのようだった。
玉座の前で、静かに扉が開く。
「……ご報告に参りましたわ。」
現れたのは、一人の黒衣の女。
艶やかな黒髪、深い微笑みをたたえた瞳、妖艶な気配と冷徹な理性を併せ持つその女の名は――
ラヴィーナ。
暗黒の教団の観測者にして、レイヴンの密命を受ける影の諜報官。
その真の正体を知る者はほとんどいないが、水面下で幾つもの策を巡らせる彼女の存在は、すでに世界の均衡を静かに揺るがし始めていた。
「遅かったな。王都での会談は無事に終わったか?」
レイヴンの声は低く、威圧的というよりも、確かな重みを持っていた。
だがその目は、ラヴィーナの一挙手一投足を鋭く観察している。
「ええ、六種族すべてが集い、会談は予定通り進行しました。互いに協調の姿勢は見せておりましたが——綻びは確かに、随所に。」
ラヴィーナは静かに微笑みながら、会談の様子を報告していく。
その声には揺らぎがなく、すべてを掌握している者のような自信と余裕があった。
「エルフの長は、ドワーフの発言に明確な不快を示しておりました。
猫人族の代表は周囲に警戒を怠らず、人間族の女王も、犬人族の代表には距離を保っておりましたわ。」
「……結束に見えるのは仮初めのもの。実態は、火薬の上に敷かれた薄布か。」
レイヴンは静かに目を細めた。
「よかろう。だが、それだけではないはずだ。もう一つ……やってきたのだろう?」
「ええ、もちろん。」
ラヴィーナはしなやかに微笑み、わずかに背筋を伸ばす。
「オルデナ遺跡の封印——破壊しました。」
聖堂に、沈黙が落ちる。
次の瞬間、レイヴンはごく僅かに口元を歪めた。
それは、滅多に見せぬ“満足”の表情だった。
「やはり……あの騒ぎは陽動だったというわけだな。騎士団が瘴気と教団の残党に気を取られている隙に、裏手から深部へ……」
「ええ。封印核に直接接触し、魔術的構造を崩壊させました。
既に瘴気の拡散は始まっております。」
「ふふ……これで次の段階へ進める。」
レイヴンの声には、焦燥も歓喜もなかった。
ただ、次の一手を見据える冷徹な思考が滲む。
「よくやった、ラヴィーナ。だが、これはまだ序章だ。六種族を一気に分断するのは、今ではない。
揺らぎを、疑念を、“内部”から生じさせろ。お前の得意なやり方でな。」
「もちろんですわ。既に、いくつかの“噂”は仕込み済みです。」
ラヴィーナは妖艶に微笑み、スカートの裾を揺らしてくるりと踵を返す。
その背には誇りと自信、そして冷たい闇が宿っていた。
レイヴンはその背を見送りながら、ぽつりと呟いた。
「封印は壊れた。歪みは広がる。
そして、歴史は再び動き出す……“正しき秩序”のために。」
黒の聖堂に、再び静寂が戻る。
だがその沈黙は、嵐の胎動を孕んだ静けさだった。
次に動くのは、世界の運命そのものだ。




