平和
「おまたせ。」
「……」
卯月は僕と目を合わせず、そっぽ向いていた。気まずい様にも、怯えている様にも見えた。
僕はドアを閉めて、卯月の左隣に座る。
卯月はオドオドしながら、こっちをチラチラと見る。
数十秒して目が合うと、卯月は小さな声でボソッとこう言った。
「ごめん……」
「……別にいいよ。」
卯月は赤ちゃんの様に、僕の人差し指を握った。
そして、震えた声でこういった。
「どこにも、行かないで。」
誰がこの小さな子を、見捨てることができるだろうか?
「…行かない。絶対、絶対。」
気が付くと僕は、卯月に抱きつかれていた。
僕は、卯月をぎゅっと抱きしめた。
数分経った頃、卯月もだいぶ落ち着いた。
「ごめんね。」
「別に良いって。」
「…好き。」
「ふっ、ありがとう。」
この好きはきっと、この子が言って欲しかったことなんだろう。その言葉の重みを、僕はしっかりと受け取らないといけない。
ガチャ
扉の開く音が聞こえた。
扉の、開く音が、聞こえた。
「…え?」
「あ…」
扉の前には、姉が立っていた。
僕らは、抱き合っていた。
脳内に警報が鳴り響く。生命の危機である。
「お、お邪魔しましたぁ!」
「…あれ?」
姉は赤面して、扉を思い切り閉めて消えていった。
おかしい。普段なら、ドロップキックをお見舞いされる筈なのに。
……まぁ、よく分からないが、痛い目に遭わなくて良かった。…とんでもない誤解を残した気がするが。
「……そろそろ離れて貰えませんか?」
「……ヤダ。」
「……そうですか…」
頭を軽く撫でる。卯月は顔を赤らめる。
「……あ。そういえば、泊まる許可まだ取ってないんだった。」
「私も行ったほうがいいよね。」
「そうだね。」
「じゃあいこっか。」
卯月は僕に強く絡めていた手を振り解いて立ち上がった。
「あと、夜ご飯もお願いしようか。」
「え?ご飯も食べていいの?」
「あー、多分?」
「…ふふっ。」
心からの笑顔を浮かべた卯月と僕は部屋から出た。
***
「母さん。は、まだいないか。」
リビングを覗いてみると、姉しか居なかった。
それもそうだ。今はまだ五時。母が帰ってくるのは基本的に六時だ。
「小太…?どうしたの?」
「あぁ、今日卯月を家に泊めて良いかなって。許可を取ろうと思って。」
「お願いします。」
卯月は僕の後ろからひょっこりと顔を出す。
「家に!?」
姉はそう言って、目を見開いて顔を赤らめた。
「ねぇ、姉さん。僕らの間にとてつもない誤解を生んでいる気がするんだけど。」
「だって、さっき抱き合って…」
「あ、あれは友達同士のスキンシップってやつさ。海外の映画とかでよくあるでしょ?」
「で、でも。す、すすすすす、好きって!」
この人どこから話聞いてたんだ!
「か、勘違いです勘違い。友達としてのやつです!」
お、そうだ!卯月も言ってやれ!
「でも、ありがとうって言いながら頭を撫で撫でして!」
だからこの人どこから見てんだ!あと、その様子見たならドア開けないでそのまま放置しといてくれよ!
「……」
卯月は耳まで赤らめて、口を開けて硬直していた。心なしか湯気が出ている様な気がした。
「ま、まぁまぁ、それは置いといて。卯月家に泊めても良いかな?」
「変なことしない?」
そんな潤んだ目で言われても…。
「しないから!」
「したら殺すよ。」
その時、殺気に満ちた視線が僕に刺さる。先ほどまでの可愛らしく潤んでいた目を返してほしいものだ。
そうだ。この目はあれだ。テレビの特集で見たライオンの目と同じだ。
僕は身を震わせ、声を裏返しながらこういった。
「わかりましたっ!」
「分かった。泊めてもいいよ。」
「はい!ありがとうございます!」
「あっ!ありがとうございます!」
そう言ってリビングから逃げ出すように卯月と僕は部屋に戻った。
***
「とりあえず許可は取れました。」
僕らは正座をして見合っていた。理由はよく分からないが。
「明日はどうする?」
「え?」
「明日、どうする?」
「明日も一緒にいていいの?」
「...勿論。」
「...」
「うおっ!」
卯月は無言で僕に抱きついた。いや、飛びついたとも言える。
胸の中で、何かが動く。心が揺らぐ。
「ありがとう...ありがとう……」
「良いんだよ?別に。」
「...ううっ……」
「...で、明日どうする?」
「貴方の行きたい場所に行く……」
「...じゃあ、僕は君の行きたい場所に行きたい。」
「...じゃあ……」
「じゃあ?」
「散歩。」
「散歩!?...ま、まぁ、良いけど。じゃあ、行こう。」
そうして僕らは散歩の約束をした。
***
コトッ
卯月と僕、家族がリビングのテーブルに集まる。父は飲み会で居なかった。
「母さん。」
「どうしたの?」
母はニコリと笑う。
「どうしてお赤飯なの?」