麦茶と氷
「ここだよ。」
「…暑い。」
家の前まで連れてきてしまった。
同学年の女の子に、「貴方の家に連れて行って。」などと言われたら、思春期の僕が断れる筈がないのだ。
だが一つ、問題がある。
高校二年生の姉が、家に居るのだ。
僕の姉は、少し怖いのだ。もし夏休みに会ったばかりの女の子を家に連れてきた、なんてバレたらどうなるかわからない。
「今家に姉さんがいるから、バレないように行くぞ。」
「……」
卯月は何も言わず親指を立て、今にも「任せろ。」とでも言いそうなドヤ顔をしていた。
僕はそーっと玄関を開け、家の様子を覗く。
テレビから声が聞こえるため、おそらく姉はリビングに居るはずだ。安全を確認してから、卯月に入って来て良いとジェスチャーを出す。
僕の部屋に行くためには、リビングの出入り口の近くにある階段を登り、二階に行くしか方法は無い。
僕らは靴を脱ぎ、廊下を忍者のように、足音を立てずに歩いた。リビングからクーラーの涼しい風が漏れ、最高に気持ちよかった。
バタッ
バタッと言う音が、廊下に響く。嫌な予感しかしない。おそるおそる後ろを振り向いた。
その状況を理解するのに数秒掛かった。
そこには、床に両手をついている卯月の姿があった。そう、何もないところで足を滑らせ、倒れたのだ。
卯月は、先ほどまでのドヤ顔とは似ても似つかない、青ざめた顔でこちらを見つめている。
その様子を見て僕は固まり、声すら出せなかった。
リビングから、足音がし、段々音が近づいてくる。
それに合わせて、僕の心音もどんどん大きくなっていった。
足音が止まった時、クーラーよりも冷たい声が、耳に入る。
「その女、だれ?」
僕の姉。浅野 愛々は腰に手を置き、アイスを咥えながら、僕をゴミを見るような目で見つめる。
終わった……と絶望していると、卯月が立ち上がり、僕の腕を体に寄せた。
そして卯月は顔を赤らめこういった。
「か、彼女です!!」
その状況を理解するのに、また数秒掛かった。
何を言っているんだ?本当に何を言っているんだ?言い訳をするにしても、友達でいいのに、何故わざわざ彼女を選んだんだ?
大変疑問に思いながら卯月の顔を見ると、今にも、やってしまった……と言いそうな顔をしていた。
普段であったら、女の子を家に連れてきたとして僕はおそらく、すでにみぞおちに蹴りを食らっているだろう。だが、卯月の発言に姉は驚いた顔をして、僕を指差し質問した。
「小太の彼女!?友達すらいないのに!?」
「最後の一言余計でしょ。」
少し腹が立ったが、その一方で、蹴られなくてよかったと、安心している自分がいた。
「でも、優しいです!」
何を言い出すかと思うと、卯月は真剣な眼差しでそう言った。
僕は頬が赤くなるのを感じ、顔を逸らした。
「…はぁ。とりあえず、こっち。」
姉はリビングに僕と卯月を招いた。そして、四角い木のテーブルを囲う四つの椅子に、僕たちを並んで座らせた。
その後、キッチンで食べ終わったアイスの棒を捨て、グラスに麦茶を注ぎ、テーブルに置いてくれた。
姉と卯月の分に氷が入っていたが、何故か僕だけ氷が入っていなかった。それでも、ないよりはマシか。と思い、麦茶を一口飲んだ。
麦茶は想像通り常温で生ぬるかったが、猛暑の中外を歩き、乾ききった僕の喉には関係なかった。
きっと、砂漠で飲む水は、これくらい美味しいのであろう。
卯月も同じ事を思ったらしく、とても美味しそうに麦茶を飲んでいた。
最高だ。と思って表情を緩めていると、姉の鋭い視線が僕に突き刺さる。そして今の状況を思い出す。
姉はコホンと咳払いをして、卯月に質問を投げかける。
「君、名前は?」
「卯月 七時です。」
「はい。年齢と職業は?」
「十四歳です。中学二年生です。」
「小太と同い年、か。」
質問は淡々と進められた。不思議な緊張感と圧が場に広がり、僕と卯月は背筋をピンと伸ばしていた。
「小太とはいつ、どこで出会ったの?」
まずい。まずいまずい!「今日死のうとしているところを助けてもらいました!」なんて言えば、「こいつ今日会ったばっかりの女を家に連れてきたのかよ。しかも付き合ったのかよ。」なんて思われてしまう。
そうなれば、一巻の終わりである。そのため、僕が上手く言い訳をしようと口を開く。
「それは、」
「あんたは黙ってなさい。」
「いてっ!」
言い訳をしようとした瞬間に、テーブルの下で思いきり足を踏まれる。もしカートゥーンアニメであれば、僕の足は赤く腫れ上がっていただろう。
そんな事はどうでもいい。今はこの質問を卯月がどう切り抜けるかだ。
「三ヶ月前からお付き合いを始めました。私と彼は、クラスメイトなんです。」
「ふーん。」
どうやら上手くいったらしく、姉は特に疑問に思っていなさそうだった。
卯月の言い訳は素晴らしいと個人的に思った。一番無難な選択肢だ。
「小太のどこがいいと思ったの?」
……どうやって答えるんだ?
「…優しいところです。」
「と、いうと?」
「彼はとにかく優しいんです。ただ優しいんじゃないんです。相手の気持ちを察して行動するんです。そういうところが、大好きです。」
……作り話だとしても、少し照れるな。
「………はぁあ〜。良かった。」
「「え?」」
僕と卯月は同時に声を上げた。姉は肩の力をぬき、麦茶を飲み干して、背もたれにグダリともたれかかった。
先程までのとてつもない圧はなくなった。
「彼女じゃないんでしょ?」
「…気づいてましたか。」
「その上、小太の学校の子でもない。」
流石に姉は騙せない、か。
「まぁ、何を隠そうとしているのか分からないけど、小太が変なことに巻き込まれてる訳じゃなくて良かったよ。」
「お姉さん…。」
姉はニコッ、と今まで僕に見せたことがない満面の笑みで笑っていた。正直、別人かと思った。
「とりあえず、シャワー浴びてきなよ。汗かいてて嫌でしょ?卯月ちゃんの服は私の子供の頃の服貸すから。」
「ありがとうございます!」
「……」
…何か優しい。やっぱり偽物か?
***
卯月がシャワーを浴びている時、姉と僕はこんな会話をしていた。
「…小太はあの子のこと好き?」
「…………別に。」
「ふ〜ん。」
姉は僕を揶揄う様に笑った。
「でもあの子、可愛いよね〜。」
「…確かに可愛いと思う。」
「やっぱ好きなんだ〜。」
「言ってないよ!」
「…あの子の事、大切にするんだよ。」
いつもと少し違う様子の姉に、戸惑いながらも、僕は答えを返す。
「…勿論さ。」
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