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第四話 終わった世界

 落ちる、墜ちていく。


 軋む体に痛みが走るたび、次の瞬間には奈落の底に激突しそうな錯覚がシグルドを襲う。だが、恐怖よりも先に意識を向けるべきものがあった。


 ——目の前を落ちていく、シルラだ。



「シルラ……っ!」


 呼びかけに応える声はない。無抵抗に空中を漂うその身体は、手足をだらりと伸ばしたまま、力なく揺れている。


 気を失っている。すぐにそれはわかった。



「追いつけ……!」


 重いほうが速く落ちる。空気抵抗が少ないほど、加速する。

 シグルドは自らの体重と装備を活かし、落下速度を上げるように姿勢を整える。


 装備の差を含めれば、体重は倍近く違う。距離さえあれば、必ず追いつける——!



「っ、よし……次だ」


 力なく伸びるシルラの腕を掴み、体ごと引き寄せる。まだ、地面までは距離がある。

 だが、落下の勢いは増す一方。次に考えるべきは——どうやって生きて着地するかだ。



「炎は……出ない。いや、出せ……イメージしろ。体内のマナを、全部……!」


 魔術は、燃料となるエーテルと、火をつけるマナで成り立っている。

 体内でエーテルをマナに変換する仕組み——つまり、マナの源もまたエーテルだ。


 ならば、外のエーテルが尽きても、自分の中にあるものだけで——。


 シグルドは残されたマナを意識のすべてで捉え、炎のイメージを脳裏に焼き付ける。



「タイミングを間違えれば死ぬ。成功しても無事かはわからない……けど、やるしかねぇ……っ!」


 強く握った折れた剣。その刃に、かすかに——

 まるで炭の奥から燻るように、小さな炎が宿り始めた。



「っ! うおぉぉォッ——」


『はーい、落ちてきてる人ー! 余計なことしちゃダメだよー! 死んじゃうよー!!』


「なっ!? ぐっ——」


 覚悟を決め、剣を地面に向けて炎を叩きつけるタイミングを見計らおうとした、その瞬間——

 突如、向かう先から陽光のような強い声が響き渡り、同時に眩い光が四方からシグルドたちを照らした。


 目が焼けそうなほどの強烈な光に集中力が途切れたその刹那、全身に絡みつくような何かが飛来し——



「っ! ぁっ……何が……起こ……っ」


 身体が急激に減速し、ぐんと引き止められる衝撃。

 全身を締め上げる痛みに耐え切れず、シグルドはそのまま意識を手放した。



「ぁぁぁあああああーーっ!」


『おっ、もう一人落ちてきた! 今日は大漁だねー! 暴れたら危ないよー!』


 それから数十秒後。遅れて落ちてきたヒルダも、同じように網に絡め取られた。



ーーーーーーーーーー



「……っ、ぁ……はぁ、はぁ……っ」


 手放していた意識が戻る。


 目覚めと同時に襲ってきたのは、全身を貫くような激しい痛みだった。



「おや、ずいぶん早いお目覚めだねぇ。ちょっと待っててね、無理は禁物だよ」


 視界に映るのは見知らぬ天井。


 身体を動かそうとした瞬間、鋭い痛みが走り、シグルドは思わず息を呑む。動けない。せめて視線だけでもと、周囲を探るように目を動かす。


 目覚めに気づいたのか、近くにいた妙齢の女性が、落ち着いた声色でそう語りかけてきた。だがシグルドが警戒の色を見せるより早く、女性はその場を離れていった。


 視線を反対側に向けると、ぼんやりとだが、横たわる二つの人影が見えた。ヒルダとシルラだろう。彼女たちも生きている――そう確認できたことに、シグルドは安堵の吐息をこぼす。



「おはよう。もう少し眠っていた方がいいんだけど、知らない場所じゃ落ち着いて休めないよね? だったら、ちょっと話でもしようか」


 妙齢の女性に代わって現れたのは、20代後半か30代前半ほどの、どこか軽やかな雰囲気を纏った女性だった。

 落ち着いているように見えて、軽薄さも滲む。妙に調子の外れた口調でそう言うと、椅子を引き寄せ、シグルドの傍に腰を下ろす。



「あ、あんたは……それに、ここは……?」


「私? 私はセレン。ここでは――まぁ、代表ってところかな。隊長とも呼ばれてるよ」


 紫がかった水色の髪に、鋭さと柔らかさを併せ持つ濃い黄色の瞳。セレンと名乗った女性は、どこか得意げに肩をすくめながら名乗った。



「で、ここがどこかって? 色んな呼び名があるよ。旧文明跡地、廃墟都市、南方拠点――でも、一番わかりやすいのはこれかな。ここは“終わった世界”だよ」


「終わった、世界……?」


「そう。ここまで傷だらけになって落ちてきたってことは、君は“聖別”を受けたんだろう? だったら、多少は聞いてるはずじゃないかな」


「聖、別……?」


 シグルドは思い出す。崖の上で対峙した教会の剣士が、確かにそんな言葉を口にしていた。



「かつて……我々の先祖が、繁栄していた……」


「そう、そっちの記憶はちゃんと残ってるみたいだね。あれは本当の話さ。何世代も前、人類はこの地上で栄えていた。でもある時、大災害や戦争、疫病……色んな理由が重なって、人は次々と死んでいった。そして、生き延びたわずかな人々が、上空の浮遊大地――“ヴァルハラ”へと逃れた。それが今の世界の始まりってわけ」


 セレンの言葉を聞きながらも、シグルドの中ではその内容が現実としては結びついてこない。


 父と二人で過ごした静かな森、街、村、教会。彼の知る世界は小さく、穏やかで、断絶されたものだった。


 そして「終わった世界」と聞いて、自然と浮かんだ疑問が口をついて出る。



「……あんたたちは何者だ……? なんで、そんな終わった世界にいるんだよ……?」


 人類は空に逃げたというなら、ここにいる人間たちは一体、どこから来て、なぜ生きているのか。考えて当然の問いだった。



「私たちは“勇士隊”。――って言っても、決まった呼び名があるわけじゃないんだけどね。上から落とされた人、降りてきた人、ここで生まれた人……まぁ、有志の集まりってやつ。有志だけに!」


 最後に寒い駄洒落を挟んでヘラヘラと笑うセレンへ、シグルドは冷ややかな視線を送る。



「……ってことは、お前も元々“上”の人間なのか?」


「私? うん、そうだね。十五から二十までは教会で働いてた。その後、こっちに来て今は現場監督――もとい、隊長として皆をまとめてるってわけ」


「教会……だと……? お前……っ、くっ……!」


 その言葉にシグルドの警戒心が跳ね上がる。怒りと警戒が入り混じったまま身を起こそうとするが、身体に走る鋭い痛みに顔をしかめ、体勢を崩す。



「おっと、落ち着いて。安静にしなって。私たちが君たちの命を狙ってるってんなら、わざわざ助けてこんなに丁寧に手当てなんてしないでしょ? そのまま潰れたトマトになるのを眺めてたさ」


「……じゃあ、お前たちの目的はなんだ」


「うん、そう構えないで。私たちは何かを強制するわけじゃない。ただ、“選択肢”を提示するだけ」


 セレンはくすりと笑いながら、手をヒラヒラさせて寝転がるよう促すと、指を三本立ててみせた。



「まず一つ目。君たちには“勇士”として、私たちの仲間になってもらえたら嬉しいなーっていう勧誘!」


「仲間……?」


「そう。“聖別”を受けてここに落とされた者は、教会に“勇士”として認められた者ってこと。つまり、ここにいる皆と同じ立場ってわけ」


 ――一つ目の選択肢は、“仲間になること”。



「二つ目は、労働。仲間にならなくても、ここで生きていくには自分で食い扶持を稼いでもらわないとね。農業でも整備でも、できることは色々あるから」


 ――二つ目は、“働いて暮らす”道。



「……三つ目は?」


 シグルドの声が低くなる。



「私たちと、敵対する」


「っ……!」


 柔らかく笑ったままのセレン。しかしその目は鋭く、言葉の奥にはぞくりとするほどの冷たさが宿っていた。



「ま、言葉は強いけど――要するに、気に入らなきゃ出て行ってもいいよ。ま、上には戻れないけどね? いきなり殺すなんて野蛮なことはしないよ、よっぽどのことがない限りはね」


 冗談めかした口ぶりで笑うセレン。しかしその言葉には、明らかに“本気”が混じっていた。

 シグルドは、その軽薄な笑みの奥に、静かに潜む敵意や殺気をはっきりと感じ取っていた。



「そんなわけで、君たちにはその三つの選択肢の中から決めてもらう。でも、今すぐじゃなくていい。体が元気になって、他の子たちも目を覚ましたら、ゆっくり相談して決めればいいよ」


「……」


「それじゃ、お大事にね」


 言いたいことを言い終えると、セレンはあっさりと立ち上がり、部屋を後にした。


 残された静寂の中、シグルドはベッドに寝転がったまま、じっと天井を見つめる。



(勇士……俺は、今どういう状況に置かれてるんだ……)


 理解しきれない言葉と、掴めない立場。


 これから何をすべきか、自分は何を望んでいるのか――


 その問いをぐるぐると反芻しているうちに、シグルドの意識はまた深い眠りへと沈んでいった。



ーーーーーーーーーー



「教皇様、戻りました」


 場面は変わり、空の大地ヴァルハラ。中央都にある空誓くうせん教会本部――


 この空誓教会は、ヴァルハラを実質的に統治する宗教組織であり、その権力は国家そのものと言っても過言ではなかった。



「スヴェンか。どうだった」


 呼びかけに応じたのは、シグルドたちを奈落へと突き落とした剣士。その名は、スヴェン。

 いかなる手段か、遥か南方の地からこの中央にまで戻ってきていた。



「三名とも、逃げ出すことなく立ち向かい、抵抗の意思を示しました。よって、勇士として送り出しております」


「三名……そうか」


「差し支えありませんか」


「……構わん。人の選択とは、その者自身に委ねられるものだ。たとえ選べる道が一つであろうとも、“自らの意志で選ぶ”ということが、何より重要だと私は信じている」


 報告を受ける教皇は、威厳に満ちた白髪の老人。

 その姿は、まさに“教皇”の名に相応しく、ヴァルハラにおける最高権力者であった。


 ゆっくりと目を閉じ、重々しく言葉を紡ぐ。



「……御意に。すべては、教皇の求める“世界”のために」


 スヴェンは静かに一礼し、踵を返して部屋を後にした。

 重厚な扉が閉じる音が響き、再び静寂が戻る。


 そして、その静けさの中で――



「我が娘よ。お前は、どの道を選ぶのか……」


 教皇は誰にともなく呟いた。



ESN大賞7応募作品です。

応募期間中はなるべく早く更新頻度を高めて、できる限り書き上げていく予定です!


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