第二十五話幕間 花火の少女
あの日、あたしは花火を観に行くはずだった。
「ねぇねぇ、お父さん! 花火大会、本当にやるのぉ?」
「あぁ、なんでも今日は特別らしいぞ」
「花火なんて久しぶりよね。こんなご時世だから仕方ないけれど……」
お父さんと、お母さん。大好きなふたりと、あたし。
あたしがもっと小さかった頃、一度だけ見たことがある花火。
ぱちぱち、キラキラ、夜空に咲いた光の花が——今も、目の奥に焼きついている。
「楽しみね、アリス————」
お母さんが、優しくあたしの名前を呼んだ。
その瞬間——あたしの視界は、真っ白な光に呑みこまれた。
ーーーーーーーーーー
「ったく、なんでこの子だけ生き残っちまったんだか……。親と一緒にくたばってりゃ、私らが押しつけられることもなかったのに!」
「こら、そんなこと言うもんじゃない。この子は、何も悪くないんだから……」
「こんな時代に、何の役にも立たない置物なんか押しつけられて、どうやって生きろってのよ!? これから食べるのにも困るかもしれないってのに!」
——次に、あたしが見たのは、闇だった。
どれだけ目を凝らしても、お父さんも、お母さんも、どこにもいなかった。
見ようとしても、探そうとしても、あたしの世界はただ、真っ黒だった。
「お父さん……お母さん……」
怒鳴り合う声が頭の近くで飛び交う。
男の人と、女の人の声。たしか、お父さんが“あんまり好きじゃない”って言ってた……お父さんの姉妹の声だ。
「おい、目を覚ましたぞ」
「へっ、目も見えないくせに起きたって? おい、アンタ。アリス、だっけ? アンタのパパとママはね——死んだよ」
「お前! 言い方ってもんがあるだろ!」
「どうせすぐ聞くでしょ。お父さんは? お母さんは? って。私が答えるなんて、まっぴら御免だね!」
怒鳴られても、なじられても、何を言われてるのかよくわからなかった。
ただ、ここから逃げなきゃ、って思った。あたしは立ち上がろうと——
「きゃ……うぅ……!」
「! だ、大丈夫か? 無理に動かなくていい……!」
「脚もないのに、どこ行こうってのさ。やだやだ、目も脚も潰れたお人形の介護なんて、冗談じゃない!」
足をつこうとしたのに、何もなかった。
そのまま冷たい床に落ちたあたしは、震える手で足先を探った。
「あたしの……足……?」
そこには、何もなかった。
太ももから先、脚は——膝も——なにも、なかった。
「こんなもん、いっそどっかに捨ててしまおうか」
「そんな酷いこと……!」
「じゃああんたが食わせてくのかい!?」
「そ、それは……」
どうするか、どうしようか。あたしを巡って、怒鳴り合う声だけが、空っぽな胸の中に響いていた。
——何が起きたのかも、自分がどうなったのかも、わからないままに。
「な、なら……俺が引き取りますよ。……へへ」
その時、不意に声がした。
あたしの記憶の隅にある、毎朝の「おはよう」と重なる声。
近所に住んでいた、おじさんの声だった。
「あんたたち、困ってるんだろ? ……へへ、アリスちゃんなら、俺が……面倒見ますよ」
「……まぁ、置いてても邪魔なだけだし。引き取ってくれるなら、それでいいけどさ」
「おい、お前……本気か?」
「アンタは黙ってな!」
「あたし、は……」
そうして、あたしはおじさんに“引き取られた”。
おじさんは毎日、あたしの顔を、体を撫でるように触ってきた。
そして、いつもこう言った。
「お人形さんみたいだな、アリスちゃんは」
その声は気味が悪いくらいに甘くて、柔らかかった。
でも、あたしの身体はいつもこわばって、心はどんどん遠くなっていった。
「……お父さん……お母さんに、会いたい」
その言葉を口にした瞬間、おじさんは豹変した。
怒鳴って、叩いて、「お前は俺の人形なんだ!」と叫んだ。
それがあたしの“日常”になった。
何日も、何日も、何日も。
あたしの時間は、そこで止まってしまった。
「へっ、へへ……ちょいと注射受けるだけで、こんなに配給券が貰えるなんてな。……おいアリス、今度はお前も連れていくからな」
「……」
おじさんの言葉は次第に粗暴になっていき、態度もどんどん乱暴になった。
「チッ……最近、反応が鈍いな。まぁ、いいか……今日もいっぱい、可愛がってやるよ。“俺の人形ちゃん”」
「……ぃや……」
声に出しても、誰にも届かない。
でも、それが“いつものこと”になると思っていたある日——
「ん? なんだてめ——」
怒鳴りかけたおじさんの声は、途中でぷつりと途切れた。
代わりに響いたのは、びちゃびちゃと水がはねるような音。
もう、二度とおじさんの声を聞くことはなかった。
「……君は、何か……望むことはあるか?」
「……え?」
その声は、男の子だった。
冷たくて、どこか怖い。でも、どうしようもなく優しくて——あたしは、涙が出そうになった。
「オレなら……君に、光を見る目と、自分の脚で進む力を与えられる。君は……どうしたい?」
「……わから、ない。あたしは……お人形だから……言うことを聞く、お人形なんだって……」
そんなふうにしか、生き方を知らなかった。
あたしの存在は、ただ黙って従うだけの、モノだった。
「いいや。君は——俺たちは、“人間”だよ」
「人間……?」
「そうだ。自分の意志で、選び、歩いていける生き物だ。……君にも、それができる」
そっと、あたしの頬に触れたその手は、氷のように冷たかった。
けれど、どうしようもなく懐かしくて、涙があふれそうだった。
お父さんやお母さんに触れられた時の記憶が、心の奥から浮かび上がってきた。
「花火が……見たい。……お父さんと、お母さんと、あのときの……花火が」
「……そうか」
少年はやわらかく笑って、あたしの手をそっと握った。
「オレについてこい。君のお父さんやお母さんにも届くような、でっかい花火を……あげさせてやる」
「……本当? あたし、は……」
もう一度だけ、あの光を。
あのときの続きを——そう願った。
「ああ。もう君は、“お人形のアリス”じゃない。これからの君は、人間だ。“スカジ”——それが、君の名前だよ」
「スカ……ジ……?」
「そう。君がこれから生きていく名前だ。さぁ、行こう」
どこか母さんを思わせる腕に、ふっと抱き上げられる感覚。
気がつけば、あたしはそっと目を閉じていた。
ーーーーーーーーーー
「ひか、り……」
薄暗かった視界が蒼い光に染まっていく。
まるであの時のように、全身を伝う雷の痛さはあの時の比ではないのだけれど。
「お父さん、おかあ……さ————」
花火、見せてあげられなくてごめんなさい。
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